なぜか私は退屈な街に恋い焦がれてしまった《ありさのスケッチブック》
「なんかさあ、理想のタイプと好きになる人って違くない? あれってなんでだろうねえ」
ぐつぐつしている水炊きを前にピーチサワーを煽りながら、私は呟く。
その日私は福岡に来ていた。
福岡に住んでいる友人とご飯を食べに行き、
お決まりのように恋愛の話になり、
あれやこれやとお互いの近況を話していたのだった。
「相手のどんなところが好きなの?」
「最近、どこにデートいった?」
「喧嘩とかするの?」
と、相手に探りを入れるような質問を繰り返した。
「あの時って何考えてたの?」
「正直きつかったでしょ」
「これからどうするの?」
なんて、真面目な話もした。
そんな話を三時間も続けた後、私たちは店を後にした。
火照った顔に吹いてくる風がなんとも気持ちの良い夜だった。
年下の友人が思い出したように言った。
「これから頑張って大学の単位をとらないといけないんですよー」
ああ、そうか……私はもう単位を心配する生活から離れるんだなあ……
そう、私は大学を卒業し、四月から社会人になる。
私は楽しかった余韻から一気に目が覚め、
これから一カ月もしないうちに始まる社会人生活を思い描いた。
私には、社会人になったらこんな生活がしたい、という理想がある。
毎日仕事で忙しいながらにも頑張って成果を出して、
仕事終わりには友人とご飯にいったり同期と飲みに行ったり。
時間が空いたときには大学の友人とお洒落なところへショッピングしたり。
休みの日には学生の時は手の届かなかったようなお高いレストランに行ったり、
自分で稼いだお給料で素敵なアクセサリーを買ったり。
絵にかいたような社会人生活である。
そんな生活がこれから就職する場所で実現できる可能性は大いにある。
ちょっと生活リズムを整えたり、
目の前にある仕事に一生懸命に取り組んだり、
意識的に人に会おうとするだけで、実現できるはずである。
それなのに、私は今この現状を思いっきり喜ぶことができていないのである。
なんとなくもやもやしているのである。
六月ごろ、これから働く会社に内定をもらってからというもの、
このもやもやはずっと私に付きまとっていた。
それは、学生という身分がもうすぐ終わることによる焦りや、
社会人になるにふさわしいスキルが身についていないことに対する不安、
それらのものからきているのではないかと思っていた。
だから私は今しかできないことをしようとあちこちを奔走していた。
「新卒一年目はこれをしろ!」みたいなコラムを食い入るように見て、
エクセルだったり、マナーだったり、資料作成術だったりを学んだ。
大きなイベントのスタッフとして駆けずり回り続けながら、
一方で自分が目指す社会の実現のための第一段階を形にするために、
毎週ミーティングを重ねていた。
そうしているうちに、いつしかもやもやの原因を突き詰めるための行動が、
いつしかもやもやを気にしないようにするための行動へと変わっていった。
気を紛らわせることにいつのまにか必死になっていた。
その最終章として、私は「セルフ天狼院旅部」を企画したのだった。
気軽に天狼院に行くことができるのも東京のスタッフである今のうちであり、
ましてや京都や福岡に長期滞在できるのは大学生の今しかないと思ったからだ。
さらに、今は東京にはいないスタッフに会いたかった。
なっちゃん、みすずさん、さきさん、かほさんに会わずに卒業することは考えられなかった。
あの人たちに会えば何か変わるような、そんな予感がした。
そうして私は、京都と福岡へと向かった。
三度目の京都は、やはり美しい街だった。
不安なんて思っている間もないくらい、私は京の街を楽しんでいた。
朱色の鳥居に、苔が生えた緑が映える池に、色とりどりの着物姿。
それらの彩りに目を奪われ、気が付いたときにはるんるん気分で街を歩いていた。
さらに、京都天狼院で会ったなっちゃんやみすずさん、
久しぶりに会ったかほさんは笑顔で私を迎えてくれた。嬉しかった。
スタッフの三人と少し話しただけで、天狼院的な何かを吸い込んだような気がして、
なんとなく強くなれたような気がした。
あちこちの神社やお寺にお参りに行き、京都天狼院で息を着く。
そんな生活はあっという間に過ぎ去ってしまった。
京都にいる間は何も困らなかったし、
こんなところで生活したいと思うくらい充実していた。
もやもやしていることも、ここでなら忘れられた。
そして福岡。
着いたときの感想は、「福岡感どこ……」だった。
高いビルがあって、ファミレスやコンビニがあって、ショッピングモールがある。
言ってしまえば、いつも東京で歩いている街並みと変わらなかった。
京都に着いたときの「京都だー!!!」という興奮はなく、
福岡銀行、博多駅、など福岡の地名の着くものを見て、
やっと「ああ、福岡だ」と冷静に思う程度だった。
観光したのは、太宰府天満宮だけ。
それ以外に観光する場所もなく、三日目以降はスタバや福岡天狼院にこもる生活だった。
友達と会う約束もあったが、それも一瞬で過ぎ去ってしまうから何となく味気ない。
そんな中、スタッフみんながおすすめする定食や焼き鳥が美味しいので、
昼ご飯と夜ご飯の時間ばかりを楽しみにしていた。
……なんて退屈な街だろうか。
一週間前まで運営していたイベント関係でやるべきこともあったが、
だらだらとしてしまい、なかなか気乗りがしない。
息抜きに記事でも書こうかとワードを開くが、
どれも1000字くらいで手が止まってしまい、5本の記事をボツにした。
そんな中、三浦さんも含めた福岡のスタッフは何だか楽しそうだった。
いいこと思いついたんだよね! と店舗でスタッフに語る三浦さん。
イベントの中で活き活きと司会を務めるさきさん。
いらっしゃったお客様と談笑しているりえさん。
さすがは古株、手慣れた様子で仕事をしているまみちゃん。
そんな福岡のスタッフと一緒にいると、私は明るい気分になれた。
これから天狼院が発展するためには難しい局面もあるだろうに、
未来の話をする時はいつも楽しそうで、力強くて、これなら間違いないだろう、
と傍から見ても思えるほどの勢いがあるからだ。
険しい顔をしてパソコンを睨んでいる時もあるけれど、
あれもこれもしたいね! と話すその姿はとてもいきいきしていた。
私は彼らといる時は一緒に天狼院の明るい未来を頭の中に描いていた。
ずっと抱えていて厚い雲のようになっていたもやもやに光が差したような気がした。
そして今、福岡から羽田に向かう飛行機の搭乗時間が迫った最終日、
私はあれだけ進まなかった記事を書く手が止まらない。
気づいてしまった。
私は今、ここから離れるのが嫌だと思っている。
なぜだかわからないけれど、もっとここにいたいと強く願っている。
本当に、どうしてそう思うかはわからない。
福岡という街での生活は、理想とはかけ離れていた。
福岡で美味しいと思ったものも、レストランのリゾットではなく、焼き鳥だった。
福岡で眩しい、かっこいいと思った社会人は、オフィスではなく書店で働いていた。
東京の方が会いたい人にすぐに会えるし、
これからの社会人生活は理想のままを過ごせるかもしれないし。
それなのに、私はここがいい、と思ってしまっている。
ああ、と私は昨夜の会話を思い出す。
相手ではなく、私が言っていたあの言葉。
「なんかさあ、理想のタイプと好きになる人って違くない? あれってなんでだろうねえ」
そしてそのまま続けたあの言葉も。
「なんか、ピン、とくるんだよね。これしかない、と思っちゃうんだよね」
そう、具体的な理由なんてないのだ。
真夜中に食べた焼き鳥だったり、
お昼にお腹いっぱいになるほど食べたサバ味噌定食だったり、
福岡で言葉を交わした友人だったり、
夜な夜な話した天狼院の未来だったり、
そうしたことに対する小さな満足感や充足感を感じられるこの場所に、
私は魅了されてしまったのだ。
私が抱え続けたもやもやは、理想と現実に好きだと思う働き方が違うかもしれない、
という漠然とした不安が原因だったのだろう。
ああ、こんな刺激を感じてもなお私はこの街を出ようとしている。
恋い焦がれる気持ちを押さえながら、大きな荷物を抱えて飛行機に乗ろうとしている。
ここに来なければこんな気持ちに気づくこともなかったのに。
なんてことをしてくれたんだ、福岡。
なんてことしてくれたんだ、サバ味噌。
なんてことしてくれたんだ、福岡天狼院。
でも、まだわからない。
もしかしたら、働き方は理想と現実の好きが一緒かもしれない。
今は、それを確かめるつもりで社会へ飛び込んでみればいい。
それで違うと思ったら、それはその時だ。
どうするかは、その時の自分が考えればいい。
これから社会へ出ることが、小さなトライだと思えた今、
もやもやは晴れ、すっきりした気分で未来を見据えることができている。
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