器用で不器用な子ども
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記事:ありのり(ライティング・ゼミ)
30年以上も前の小学生時代の記憶がある。
南部先生のことだ。
何かの拍子に、時々ふっと思い出す。
そのたび私は、目の奥と胸が同時にきゅんとつままれ、切ないような、安らぐような気分になる。
この気持ちは、なんだろう。
「いえ~い、オレ、会長! かっこいい!」
実物版ジャイアンのような風貌の大谷君は、椅子の上に上ばきのまま立ち上がって叫んだ。
午前中行われた児童会の役員選挙の結果発表が、給食の時間の校内放送で流れたのだ。
「こら、大谷! 椅子から降りろ! 会長になったんやから、しっかりしろよ」
と厳しい声で担任の先生が大谷君を叱った。
『続きまして、副会長は同じく6年A組の有藤のりこさん当選です。そして、書記は……会計は……』校内放送で、副会長以下3名が発表された。
「おおっ! のりこ、おまえが副会長か。オレの言うことをよく聞いて、児童会をしっかりまとめるんやぞ」と大谷君は威張った様子でふざけた。
「最悪ぅ~。なんで、あんたなんかが会長? それより、いいかげん椅子からおりなさいよ」私はうんざりして答えた。
当然、児童会の会長はいつも利発な品行方正タイプの男の子が選ばれるものだった。
しかし、先生たちも少々手を焼くほど、学年1番のお調子者である大谷君が会長になったら面白いのではないか。
そんな「ノリ」が男子を中心になんとなく生まれ、目立ちたがり屋の大谷君が悪乗りをした。
結局、学校内の男子票を多く集めて大谷君は当選し、まだ椅子の上にのったまま両手でピースをしてはしゃいでいる。
「なんか、嫌な予感がするなあ」と、私は給食の牛乳のストローを唇に押し当てたままつぶやいた。
隣の席の女友達が、少々気の毒そうに私を見て深くうなづいた。
児童会役員会は、隔週木曜日の放課後に開かれた。会長、副会長、書記、会計の4人の児童と、児童会顧問の南部先生の5名が毎週集まることになっていた。
南部先生は、背が高くてやせていた。飄々とした、すこしとぼけた感じがする気のいいおじいちゃん先生だった。
長女気質で、幼いころから何かと頑張って優等生をしてしまう私にとって、南部先生はふと心が安らぐ存在だった。
悪い予感は当たった。
大谷君はあっという間に、役員会に参加しなくなった。
「なんだ、大谷は今日もおらへんのか」
と、南部先生はいつもの飄々とした口ぶりで言った。
「ごめんねえ、先生。明日しっかり私から大谷にいっておくから」私が代わりに謝った。
翌朝、私は大谷君の襟をひっつかまえてこういった。
「大谷! あんた、ちゃんと役員会に来なさいよ!」
しかし、調子のいい大谷君は、踊るようにひるがえって私の手を振り払い、
「へへっ! そのうちな!」と笑って走って逃げた。
結局、大谷君がその後一度も顔を出すことがないまま、年度末になった。役員会もなにかと忙しくなった。
「大谷のやつ、いい加減に来いよな!」と、会計と書記の男子二人からも、さすがに愚痴が出るようになった。私も一緒に愚痴った。
しかし、そんな大谷君の不真面目さに腹を立てながら、真面目な自分たちが少々割りを食っている気もした。
そのうち、男子二人までもが、もっともらしい言い訳を作り、交代で役員会を休み始めた。
昼間、私が二人に「今日は役員会だからね!」としっかり念押しをしても、放課後になって草野球やゲームに誘われると、彼らはそちらへ行ってしまうようになった。
「押し付けられている。なんか、惨めだ……」そんな思いが湧いた。
しかし、即座にそれを否定した。
「いや、私は間違っていない。ちゃんと責任を果たしているわ」と。
あと数回で役員会も終わるという日、今度はとうとう二人が同時に無断で休んだ。
「先生、今日はだれも来ないみたい」と私は南部先生に伝えた。
「なんや、あいつら。しゃあないなあ、二人でやるか」と先生は言った。
その日、私はほとんど口を利かなった。
「私はいつも、こういう目に合う。いつも、私だけ……。いつも、いつも」
と、普段よりずっとたくさんの文句が頭の中に浮かぶ。それを自分でなだめるのに精一杯だった。
そして、いつものように自分に言い聞かせた。
「でも、やらなくちゃ。先生もやってるんだし、私は役員だし」
「のりこ、どうした? 今日はあんまりしゃべらんのやなあ」
いつもおしゃべりな私が黙り込んでいるのを見て、南部先生が手を止めて言った。
「別に……」と言って、私はまた口を閉じた。
自分でもちょっと驚くほどぶっきらぼうな言い方になってしまった。
そして、次の役員会の日。
私は、思いがけない行動を取ってしまった。
その日も私は当たり前のように、放課後になると役員会室まで足を運んだ。
しかし、本当に唐突に、私はドアを開けることを拒絶したくなった。
しばらくドアの前で立ち尽くした。
「私だって……私だって……」
私はきゅっと踵をかえし、役員会室を後にした。
南部先生が、いつもの優しい顔を少し困惑させて役員室にポツンとひとりで立っている姿が頭に浮かんだ。
私の歩く速度は徐々に速くなり、最後はダッシュで自宅へ帰った。
罪悪感と、得も言われぬ開放感が同時にあった。
翌朝。「しまった!」と思ったときは遅かった。
一晩寝て反省をした私は、朝イチで自分から職員室へいって、先生に謝ろうと思っていた。
でも、不意打ちにあった。
廊下の向こうから、南部先生が私を見つけて早足で歩み寄って来たのだ。
「おお、のりこ! おいおい、まさか、お前まで来ないとはなあ」と先生は言った。
そして、こう続けた。
「先生、ショックだったぞ」
私はフリーズした。
私は器用な子どもだった。昔から、相手の期待を察するのがやけにうまかった。私は周りの期待に沿うことで人とつながることを学んだ。
それが幼いころからの私のやり方だった。これしか、知らなかった。
だから、こういう時どうしたらいいかの経験が、私には圧倒的に欠けていた。
大谷君のように調子よくかわすこともできないし、あの二人の男子のように要領のいい言い訳も出てこない。
フリーズしたまま、ぽろぽろと大粒の涙が出た。
手で泣き顔を覆うことすらできず、そこに棒立ちになった。
そんな私に、先生の方が面食らった。
「なんだ、なんだ。こんなことで泣きよって。ほら、来い」と、先生は私を職員室の隣の小さい和室に連れて行った。宿直の先生が泊まるような部屋だった。
その和室で、私は嗚咽を上げて泣いた。なにか言葉を出そうと思うが、「うえっ、うえっ」という声にしかならなかった。
南部先生はそんな私を見て、
「あんたはなあ……まあ、あんたは、そうなんやろなあ」とつぶやいていた。
かなりの時間がたった気がした。
南部先生も自分のクラスに行かなくてはならない時間になった。
「のりこの担任の先生に言っておいてやるから、泣きたいだけ泣いておけ。気がやんだら、クラスへ戻れ」と、私に言い残して去って行った。
職員室で先生たちがつまむお茶菓子だろうか。小さい袋に入ったあられを置いて行ってくれた。
先生がいなくなっても、しばらく私は泣き続けた。
やがて泣きつかれてほっと息をつくと、急に目の前のあられを食べたくなった。
袋を開けて小さいあられを口に含んだ。
のりとお醤油の味が口に広がった。
私の記憶はそこまでだった。
時々私は思い出す。
南部先生の飄々とした姿。
「ショックだったぞ」という声。
そして、あられの香り。
その度に、切ないような温かいような気持になる。
この気持ちはなんなのか。
それは、おそらく「甘え」という感情だ。
私のような、器用で、そして不器用な子どもは、ひと好かれるのはうまいが、愛されるのは下手だ。
しかし、あのとき私は初めて甘えたのだ。
優しい南部先生の期待をわざと裏切り、それを許される、という体験を通して、愛されに行ったのだ。甘えに飛び込んでおきながら、結局フリーズして泣き出すという、やはりとても不器用なやり方で。
もう、30年以上も前の話である。
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