プロフェッショナル・ゼミ

劇団四季【美女と野獣】を最初の20分だけ見て、スタンディングオベーションをして退出してきた話《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:土田ひとみ(プロフェッショナル・ゼミ)

ミュージカルというものを初めて観たのは、32歳の誕生日だった。
身震いがした。
「魂が震えた」という表現がぴったりだと思った。

初めて観劇したミュージカルは、劇団四季のライオンキング。「いつか観てみたい」と思いながら30代まであっという間に時間は流れた。私は特別教養もなく、芸術に触れる機会などほとんどないまま大人になってしまった。ミュージカルをこの歳まで見なかったのには、恥ずかしい理由がある。
芸術作品を観るためにお金を払うという価値観がなかった私は、たった2、3時間のミュージカルのために、1万円ほどのお金を使うなんてもったいないと思っていたのだ。どうせお金を使うなら、服やアクセサリーを買って形として残したり、レストランで食事をしてお腹が膨れた方がいいと思っていた。

だけど、32歳の誕生日は特別にしたかった。今までとは違う価値観のものを自分に贈りたいと思ったのだ。
お腹の中に命を授かったからだ。
これから私はこの子の親になる。親になったら、この子にはいろんな世界を見せてあげたい、そう思ったのだ。我が子にいろんな世界を教えるためには、まずは自分が知っていなくてはならない。本当は、欲しい靴や服があったけれど、私は劇団四季のライオンキングを観に行くことに決めた。

そして、魂が震えた。

最初から最後まで涙と胸の高鳴りが止まらなかった。映画では感じられない臨場感というか、とにかく、もう、言葉では言い表せないほど感動してしまった。だから劇団四季は、超人気なのか!
もう、最初から「ブラボーー!!」と泣き叫びたかったけれど、そんなことをしている日本人は誰もいなかったので、私も大人しく座っていた。その代わり、手がジンジンするほど拍手を送った。

「すごい! すごいよ! 劇団四季っ!」

いつまでも、いつまでも拍手を送っていたかった。感動をありがとう、と叫びたかった。そして、ものすごく嫉妬した。

歌や演技については全く知識がないけれど、厳しい練習を重ねてステージに立っているのだろうということが分かったからだ。何度も何度も失敗しながら、練習しているからこそ、こんなにも素晴らしいものができるのだろうな、と感じた。失敗してもまっすぐに努力し続けられることがうらやましかった。
そして、何より悔しかったのが、演者の方々がとても楽しそうに輝いていたことだ。ステージの上で、スポットライトを浴びて、多くの人を感動させている……。このことがうらやましくて、うらやましくて、仕方がなかった。

「こんなに大勢を感動させるなんて、どんなに気持ちがいいだろう。私も感動を与えられる人になりたい!」

嫉妬と敗北感、そして大きな感動をもらい、劇場を後にした。

それからしばらく私は、ライオンキングにすっかりハマってしまった。毎日ミュージカルの音楽を聞き、鼻歌を歌った。歌詞は分からないから適当に、ふんふんと歌った。お腹にいるであろう、小さな命に向かって歌い続けた。

「あなたもこの世に生まれてきたら、一緒に観ようね」

ポンポンとお腹をたたき、あの時のステージを思い出してくるくると踊った。「妊婦なんだから気をつけなさい」と夫に言われながらも、隙あらば踊った。

私の踊りに振り落とされることなく、我が子はお腹の中で順調に育ち、元気に生まれてきてくれた。そして、私はすっかり狭い世界を好むようになってしまった。子供を連れて外出するのがものすごく大変だからだ。「今日は冷え込むから」「インフルエンザが流行っているから」など、理由をつけては家にこもることがほとんどになってしまっていた。

電車に乗って、1時間ほど先へ出かけることもあったけれど、大冒険の気分だった。体の前面には抱っこ紐に入った子供、後ろのリュックにはパンパンの荷物を持ち、それにベビーカーを持って電車の乗り換えをするときには鼻息も荒くなる。ついでに、がに股にもなる。
バリアフリーが進み、子育てが終わったママさんたちに言わせれば「私たちの頃に比べれば便利になったわよ〜」なのだが、ママ初心者の私にとっては、トラップだらけの冒険でしかない。しかも、ちょっとしたことで子供は風邪をひくし、風邪をひいたら治らなくて鼻水はいつまでも垂れているし、いつ大声で泣き出すか分からないし、いつうんちするかも分からない。こんな大変な思いをして出かけるのはちょっと……、と思っているうちにすっかり出不精になってしまった。

そんな引きこもりな私の33回目の誕生日がやってくる。さて、何をプレゼントしようか。(してもらおうか)
うーん、去年は何をプレゼントしてもらったんだっけ?

あ!

あの時の魂の震えを思い出した。劇団四季のライオンキングだ! お腹の子にも見せてあげると約束までしていたのに、日々の忙しさですっかり忘れてしまっていた。ダメだ、ダメだ。今がこの時じゃないのか? あの約束を果たす時が来たのではないか!? よし! この子に魂の震えるほどの感動を味わってもらおうではないか。引きこもりはもう終わり! いざゆかん! 劇団四季っ!

私たちは、京都劇場で行われている「美女と野獣」を観に行くことに決めた。私は同じタイトルのディズニー映画が大好きだったのもあり、この日をとても楽しみにしていた。「美女と野獣」の「美女」であるベルが着ているドレスと同じ黄色の服を着てしまうほど浮かれていた。

「またあの感動に出会える! しかも、念願の我が子と一緒に!」

子供を抱っこし、背中にはパンパンのリュックを背負い、がに股で歩いて劇場に向かった。
会場に入ると、大勢の人がいた。予想通り、満員だ。プリンセスのベルと同じ黄色のドレスを着ている小学生くらいの女の子が何人かいた。

「ああ、うちの子も大きくなったらこんなドレスを着て観劇させたいなあ」

妄想を膨らませ、席に向かう。途中、私と同じく黄色の服を着た大人の女性を見かけ、「同志よ」と心の中で思いながらニヤニヤした。
席に着くと、係りの女性が親切に観劇中の注意点を教えてくれた。

・子供を抱っこする時には、自分の肩より上に出ないこと(後方の人の迷惑になるため)
・子供が泣いたり声を出したりする時には、ロビーに行くこと(ロビーには、ステージが映し出されたモニターがある)
・子供がぐずったままロビーに移動せずに座席にいる時には、係りの者から声をかけることもあるので了承してほしい

というようなことを、笑顔で、優しく教えてくれた。なるほど。生後6ヶ月の小さい子供を連れてくる時には、それなりに覚悟が必要だったのだな。3歳未満はチケットはいらない、という自分に都合のいい情報だけ仕入れて、ここまでやってきてしまったことをちょっぴり後悔した。でも、まあ、いつでもロビーに移動できるように端の席を確保できたし、大丈夫だろう、と思った。
一度、映画館にも行ったことがあり、最後まで観劇できた経験もあったので自信があった。しかも、公演中は歌やセリフで大音量だ。子供が多少ぐずってもそう目立たないだろう。そして、今、我が子はとてもゴキゲンだ。このゴキゲンな状態で観劇していたら、そうそうぐずることもないのではないか? しかも、去年、お腹の中で一度あの感動を感じているのだから、きっと大丈夫!

色々な理由を並べて自分の考えに頷くと、劇場内が一気に暗くなった。
「大丈夫! こういう時、母親が妙に神経質になるから子供がぐずるんだ。嬉しい、楽しい、そう思っていたら大丈夫!」
暗闇で一瞬不安げな表情を見せた娘に笑いかけると、安心したように笑い返してきた。

「うん、大丈夫!」

そして、ミュージカルが始まった。楽しい音楽に、カラフルな舞台。映画で見た「美女と野獣」の世界がそこにあった。まるで村人の一人になったかのような気分にさせられる。一気に世界に引き込まれる。さすが劇団四季……。すごい!
抱っこ紐の中にすっぽりと入っていた娘も、首の向きをステージに向け、きょろきょろとし始めた。

「わあ! やっぱり娘も感動してる! こんな小さなうちから本物に触れられて良かったね」

私は抱っこ紐を外し、ステージがよく見えるように前向きにして娘を座らせた。娘は、身を乗り出してステージを見ている。「キャッ」と小さな声を出したが、大音量の音楽でかき消されている。

「良かった。こんなに喜んでくれて。勇気を出して連れてきて良かった」

安堵して、私も「美女と野獣」の世界にどっぷりと浸かった。カラフルな衣装の村人たちが、歌い踊る。主人公のベルもとても楽しそうに歌い踊り、大好きな本の魅力を歌にのせてうっとりと語り始めた頃だろうか。
突然、娘は私の膝の上に立ち上がった。焦ったが、娘はまだ生後6ヶ月。立ち上がっても、私の肩から上には出ない。後方の迷惑にはならないだろう。ふう、と一息つこうとした時だ。

「あーあーあーーー!」

キーンと響く大きな声を出したのだ。大音量の音楽がちょうど鳴り止んだタイミングだったため、あたりに響き渡ってしまった。焦った私は、すかさず背中をトントンと叩き、眠れ眠れ〜と念じたが、時すでに遅し。娘は、かなりの興奮状態になっていた。足を踏ん張り、私の膝をぐいぐいと押す。ロックスターのようにヘッドバンキングしながら、

「アーーウーー!」

再び声を出した。私たちは、すかさずロビーへ避難した。ああ、端の席を確保しておいて良かった、と心から思った。

係りの人はとても親切に足元をライトで照らし誘導してくれた。そして、ロビーでも観劇できるようにとモニターが置かれている場所まで案内してくれた。しかし、そのモニターは、家庭用のテレビサイズのもので、生の迫力とは全く違っていた。リアルタイムに観られるものの、やはり「魂の震え」は感じられなかった。しかし、娘はまだ興奮しており、モニターを見たり周りをキョロキョロと見渡しては声を出していたため落ち着きそうになかった。そうこうしているうちに、お腹が空いたのかぐずり始めた。ぎゃあぎゃあ泣いてしまい、とても中で観劇するわけにはいかなくなってしまった。ミルクを飲ませて落ち着かせながらしばらくモニターを眺めていたけれど、生の公演との違いは歴然だった。一緒に来ていた夫も「このモニターを観ているだけじゃ家で見ているのと一緒だ」と言い、すっかり飽きてしまっていた。

「やっぱりこの子には早すぎたのかな……」

お腹いっぱいになり娘はスヤスヤと寝てしまった。娘が寝て静かになったので、また劇場内には戻れる。しかし、またいつ声を出してしまうかも分からない状態で戻るのは気が引けたし、何より娘が観劇しなければ意味がないと思った。私たちは、係りの人に「帰ります」と告げ、トボトボと帰宅した。

「去年の感動を、今度は親子3人で感じられると思ったのにな……。チケット、もったいなかったな。無駄だったのかな」

私は、電車の中で涙が滲みそうになるのを必死にこらえた。娘は、大きな声も出さずに、ただただ周りをキョロキョロと見ていた。

家に帰り、娘を寝かしつけた後も、このわだかまりは続いた。物心がついていないこの時期だからこそ、本物の感動に触れさせてあげたいと思っていたのは、私のエゴだったのかな……。私のように「小さな子供に感動を味あわせてあげたい人はいないのかな」と思い、寝室の暗闇の中でぼんやりとスマホで検索してみた。

そしたらなんと、劇団四季も同じ思いだったということを知り驚いた。「子どもたちにこそ本物の舞台を見せるべき。その感動は、必ず将来役に立つ」という考えを元に、50年以上も前から、ファミリーミュージカルというものをしているらしい。また、劇団四季の専用劇場には「親子観劇室」というものが用意されてあり、ガラス張りの部屋で観劇することができるそうだ。しかも、こうも付け加えられている。「ご希望の方は開演前から(親子観劇室の)ご利用も可能ですが、客席での迫力は格別です。どうぞまずは客席でのご観劇をお楽しみください」と。そこまでして、小さな子供にも生のミュージカルを見せてあげたいという気持ちがあるのだ。

私が今回選んだ京都劇場には、残念ながら「親子観劇室」はなかったのだが、スタッフは周りのお客様にも、騒がしくしてしまった私たちにも最善を尽くしてくれていた。さすが一流の劇団なのだな、と感じずにはいられなかった。劇団四季と私の思いが同じだということが嬉しくて、ホッとして、帰りの電車の中で堪えていた涙があったかい涙に変わってこぼれ落ちた。
「野獣」のぬいぐるみを小脇に抱えながら眠る娘の姿を見て、「ああ、やっぱり劇団四季を観に行ってよかったな」と心から思った。

あの時、娘はぐずって泣いていたわけではない。生のミュージカルを全身で感じて、とても興奮していた。まだ”立っち”もできない小さな足で、私の膝をぐいぐいと押すほどに立ち上がっていた。「あーあーあーーー!」という大声も、彼女なりの「ブラボー!」だったのかもしれない。
開始たった20分で、感動のあまりスタンディングオベーションをしたくなる気持ちは、私と娘も同じだったのかもしれない。

これだけの感動を生み出せる劇団四季には、改めてスタンディングオベーションで「ブラボー」を言いたい。そしてまた、娘と共に生で観劇し、魂の震えを感じたい。生で感じる感動は、行ってみなくちゃ分からない。洋服やアクセサリーのように形には残らなかったし、お腹も膨れなかったけど、やっぱりこの感動の体験はなんとも言い難い。
「たった20分間だったけれど、最高の時間だったな」と暗くなった寝室で、心の中でスタンディングオベーションを送った。

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