マーケティングは過去のこと。クリエイティブは未来のこと。
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記事:unai makotoki (ライティング・ゼミ)(フィクション)
「クリエイターって本当に自己中だよね!
もう信じられない。頼まない」
クライアントへのプレゼン時間が迫る中、
ラフはいっこうに仕上がる様子じゃなかった。
クリエイティブの中心に据えるキャッチコピーが
コピーライターから出てこない。
たったの1文。それも20文字ほどの文章が。
制作スケジュールからすでに2週間遅延している。
いや、遅れることは、はなから織り込んでいた。
それも踏まえると、4週間も制作期間だ。
コピーライターの言い分はこうだ。
「すでに何本も出来上がっている。
最悪プレゼンはそれで乗り切れる。
でも、クリエイターは最後まで
品質を高める努力をする義務がある。
だから、もうしばらく待って欲しい」
では、その出来上がっているキャッチコピーを
提出してくればいいじゃないか。
見せるように伝えると、
今度はこう言ってのけた。
「一度見せると、おれ自身が妥協しちゃうんだよね。
こんなもんで、もういいか、ってね」
それはあなた自身のスタンスの問題であって、
コピーの品質とは関係の無いことだ。
話をすり替えないで欲しい。
これ以上待てば、完全にプレゼンに遅刻する。
状況が差し迫る中、ようやくキャッチコピーが出てきた。
「藤田、やっといいやつ降りてきたぁ。
おまたせ~、笑」
コピーライターは、ニヤついている。
お前は積年の思いを吐き出せて、
すっきりしているのかもしれない。
でも、これで完成というでわけではない。
プレゼン用の資料に落とす工程が
まだ残っているのだ。
制作オペレーター達が、出来たばかりの
キャッチコピーのデータをすぐさま、
ラフに反映する。
「もっと早く降りてきてくるように、
頭の中におもりの一つでも吊るしておけば
いかがですか?」
「ごめん、ごめん、藤田の素晴らしい
マーケット分析無しじゃ、書けなかったよ〜
いつもありがとね!」
嫌味のつもりで言ったのに、
おれを持ち上げてきた。
自分だけ仕事から開放されたという
気分なのだろう。
「絶対クリエイターのことは信じない」
今年だけで、すでに100回はつぶやいた。
そういえば、肝心のコピーを
まだ見ていなかった。
ふと我にかえる。
慌ただしく仕事を進めるオペレーターの
邪魔をしないようにそっとPCのディスプレイを
覗き込む……。
「情熱を持った挑戦者を求める
自動車メーカーが総合職を募集」
なんだ、この稚拙で手垢まみれの表現は!
いくら、自動車メーカーの中途採用広告だからって
何もひねっていないじゃないか!
今どき、「情熱」、とか、「挑戦者」、なんて言葉が
刺さる人なんているのか?
ぎりぎりまで粘って、これ?
おれのそばで、同じくディスプレイを見つめていた
クリエイティブディレクターは、天を仰いでいた。
あまりにクオリティに言葉が出ないようだ。
もちろん、ひどいという意味で。
スマホを取り出して
部下に連絡を取り始める。
「プレゼンの後、そのままの流れで、接待するから
いつものクラブに連絡しといて! 絶対に遅れるなよ」
電話を切ると、当然のごとく
おれにも言った。
「お前も接待付き合えよ。
こういうのはチームの連帯責任だからな」
今夜も午前さまになりそうだ……。
クリエイターは広告界の花形だ。
対して、マーケターにスポットが当たることは少ない。
広告が話題になると、真っ先にクリエイターの
名前が挙がる。
「あの広告って誰が作ったの?」
「あの広告って誰のマーケティングなの?」
とはならないのだ。
そして、話題の広告の裏側には、膨大な数の失敗。
つまり、つまらなくて効果が無い広告が存在している。
広告に失敗した場合、マーケティングの問題を検証する。
そしてクリエイティブの問題を検証する。
ただ、クリエイティブの問題になると、クライアントと
広告制作陣の間で空中戦がはじまってしまう。
ゆえに、マーケティングの不出来な部分を
適当にみつくろって、原因にしたててしまう。
営業が謝罪し、接待を通じて、リベンジのチャンスを狙う。
そして、いろいろなタイミングが合致して、
時々、「あたる広告」が生まれる。そんなサイクルだ。
にも関わらず、クリエイターのあの態度は何なのだ?
当事者意識のかけらも感じられない。
本当に、クリエイターという人種は、
必要なのだろうか?
おれは、マーケターをはじめて、
10年経った。
年齢も30歳半ばを過ぎている。
すでにベテランマーケターの自分でさえ、
存在価値が分からなくなっていた。
確かに、素晴らしい才能を持った人がいることは認める。
でも、人によってアウトプットのばらつきがでかすぎる。
また、大物クリエイターになると、全部自分の思い通りに
ならないと、すねるから、それを周囲がなんとか
お膳立てするという構図ができあがっている。
そうなると、いくらアウトプットがすごくても、
周囲の「お膳立て工数」と 差し引いたら、
効果はマイナスなんじゃないかとも思う。
その点、マーケターのアウトプットは
非常にわかりやすい。
品質のばらつきは少ないし、何より論理的だ。
論理的ということは、誰でも品質を理解できるということ、
そして、誰でも学習すればマーケターになれる。
学問として確立されているのだ。
クリエイティブが博打だとすれば、
マーケティングは銀行預金だ。
ここ10年くらい低金利ではあるが、
大損はおろかマイナスになることは、絶対に無い。
金利は、原則、景気に連動して、上昇する。
マーケターがクリエイティブやったほうが、
まだマシなんじゃないか?
グラフィックやデザインのスキルは
さすがに無いけれど、コピーなら書けなくもない。
コピーライターのように洒落た言葉は書けないけれど、
ターゲットに刺さる言葉は分かるはずだ。
マーケターが情報を分析して、ターゲットの
ペルソナと有効な訴求ポイントを抽出する。
そこまで把握してるのだから、
後はブレずに言葉にすればいい。
広告にホームランなんていらないのだ。
ヒット。いや、四死球からの盗塁とバント、
そして、相手のエラーでも1点は、1点。
確実に勝利する、ということが一番重要だ。
「クリエイター無しでもやれる案件ならば、
一度、外して制作体制を組めないかな?」
クリエイティブという不確定要素を極力廃すことで、
制作スタッフも営業も、結果、クライアントも
ハッピーにならないものか?
日本の広告業界において、純粋にクリエイティブの
フィーだけで稼いでいる会社は、ほとんど存在しない。
広告代理店が広告出稿するメディアを買い集めて、
その出稿料をクライアントからもらっているに過ぎない。
クリエイティブは、そこで賄われている、
いわばおまけの扱いなのだ。
つまり、クリエイターの知名度や実績があっても
1円も載せられないケースがほとんどなのである。
ただ、これはある意味では、当然の話だ。
クライアントと契約した段階では、
広告は出来ていない。
品質の良し悪しが分からないものに、
値付けはできない。
広告の費用対効果を測るのが難しいと言われる
原因のひとつもこのあたりにある。
実は、クリエイティブとは、
クライアントにとっても、我々広告の側にとっても
やっかいな存在なのだ。
そういう意味でも、クリエイターを外す、という発想が
広告に「分かりやすさ」という価値をもたらすことを
期待していた。
海外の家電メーカーから新型洗濯機の
プロモーションをやりたいから、
競合プレゼンに出ないかと声がかかった。
これから夏にかけ気温が高くなる。
必然的に洗濯物が増えることから、
このタイミングでプロモーションして
日本でのシェア獲得を狙いたいという。
オリエンテーションに出席した結果、
コピーライターを外すには、絶好のチャンスだと
分かった。
ただの新型というわけではなく、
衣類の汚れを除去する機能が従来品の約2倍、
それでいて、優しく洗い上げるため、
衣類の寿命が1年以上伸びるという。
この事実をまっすぐターゲットに伝えても
十分に響くであろう、と予感した。
電化製品は生活に直結するだけに
スペック勝負がしやすい。
つまり、洒落た言葉はいらないのだ。
制作チームの体制を検討する場で提案した。
「今回は、機能そのものが、従来品と
差別化できているので、事実をストレートに
訴求すれば、ささるでしょう。
これから調査してはっきりさせますが、
ひねったコピーは、いらなそうですね」
この段階で関係者の間で
体制の合意ができた。
「ターゲットは、20代〜40代の主婦。
子供の人数は、1〜3人。4〜5人家族くらいがメイン。
ダンナと育ち盛りの子供が、毎日大量の洗濯物を
出してくる。特に夏場になると、汗とかにおい、
あと子供が部活に入っていれば、土とかホコリ、
そんなどろどろの手強い汚れと格闘している。
従来品では、洗い残しなんかが出てしまう。
一方、激しいモードで洗っちゃうと
衣類がすぐに傷んでしまう……」
広告のターゲットの分析を進めれば進めるほど、
新型のスペックをそのまま訴求することで
ささると確信を持てた。
クリエイティブは検討の結果、主婦層に好感度の高い
タレントをキービジュアルにして、キャッチコピーを
そのタレント自身が語ることで説得力を持たせる、
そんな方向で落ち着いた。
キャッチフレーズは、当初の想定どおり、
まっすぐに届く表現を目指して、書いた。
「この夏、買った、お気に入りの服。
来年も活躍しそうです」
新型洗濯機のスペックでは汗や汚れを
しっかり、落とせるから、新品の美しさを保てること、
一方で、優しく洗い上げるから、衣類の寿命が長くなる、
そんな事実を、来年も活躍する、というフレーズに込めた。
衣服を長く着られるということで、
買い替えの頻度が減って、財布に優しい、と
主婦に感じてもらえることも期待した。
広告戦略としては、TVCMと主婦が良く読んでいる
雑誌3誌にカラー2Pのグラフィック広告を
出稿することを決めた。
制作進行は、かなり順調だった。
調査を重ねて、社内で何度検討してみても。
クライアントとも何度話し合っても、
当初の方向性がブレることはなかった。
クリエイティブの制作も滞ることはなく、
制作スケジュールは、1日も遅延しなかった。
クライアントからも広告の制作プロセスを
評価してもらった。
「日本の電車は1分たりと遅れることなくやってくるのは
世界でも有名だが、広告制作も負けず劣らずの正確性ですね。
さすが、made in Japanだ」
おれたちは、自信満々で広告の出稿を待った。
ところが、出稿を開始してから反響が芳しくなかった。
TVCMを流しても、ほとんど売上に影響が出ない。
ネットでそれらしいキーワードを検索しても、
口コミや反響が見られない。
大型の電気店を何件も回ってみたが、問い合わせなども
あまり無く、展示品を見たり触れたりする人こそいるが、
あまり購入には至っていないらしい。
広告出稿した雑誌の売上部数は例年どおりで
読者層の変化も見られないという。
主婦は我々の広告を見ている、ということは
間違いなかった。では、なぜ反響が見られないのか?
調査会社経由で、広告を見たという主婦たちを
100人集めて、匿名の座談会を開いた。
調査会社のオフィスに集められたモニターを
10人の組に分けた。それぞれのグループに
一人ずつモデレーターと呼ばれる、進行役がつき
質問を投げかけ、自由に回答してもらう。
マジックミラー越しに、座談会の様子を観察する。
結果は、広告を作った時の想定とはかけ離れていた。
いろいろな意見がでたが、3種類ほどに大別できた。
1.従来品にくらべて、どれくらい汚れが落ちるのか分からない。
2.衣類の寿命が伸びることの実感がわかない。
3.自分の生活にどんなメリットがあるのか分からない。
クリエイティブを検証すると、タレントに
間違いはなかった。座談会でも主婦というイメージで
見られている、ということが確認できた。
スキャンダルなどの、ネガティブなイメージも
全く存在しないことが分かった。
そして、問題はコピーにあった。
「この夏、買った、お気に入りの服。
来年も活躍しそうです」
まず、洗濯機の広告という印象が無い、という
意見が多かった。どちらかというと、衣料品を
想起するらしい。
また、「来年も活躍する」というフレーズについても
「来年も着られるほどスタンダードな服」という
印象を持ったという声が多かった。
キャッチフレーズは制作段階でも検証していた。
タレントと洗濯機のビジュアルと共にコピーを見せれば
衣料品の広告と見間違える可能性は低いと判断していた。
でも、普通の主婦はそう見てくれなかった。
キャッチフレーズの意図をきちんと説明しても
まだ、よく理解できない、そんな雰囲気を感じた。
そして、このクライアントとの取引は、
終了することになった。
マーケターがコピーを書いて失敗した。
この悪いうわさはまたたく間に社内に広まった。
特にクリエイターたちからの評判が悪く
コピーライターはもちろん、デザイナー、
アートディレクター、CMプランナーなど、
表現を作る立場の人間から激しくバッシングされた。
広告業界において、評判を落とすということは、
一般的なビジネスパーソンよりもキャリアに
傷がつくリスクが大きい。
広告はチーム戦だ。そしてチームを編成する際
指名されることが多い。
つまり、評判が悪いと声がかからないのだ。
良い仕事がしたければ、できるだけ広い
人間関係を作り、普段から仲良くしておく。
仕事の基盤整備が、とても重要なのだ。
クリエイターを外すことで、他人のシマを荒らした、
そして、クリエイティブに失敗することで、
おとしめた……。
マーケターとして廃業するかもしれない。
そこまで思いつめられた。
1ヶ月ほど経ったころ、久保という
コピーライターからメールが届いた。
久保は社内で一番年長の
コピーライターだ。
すでに50歳を過ぎているが、
今だに、現役で書き続けている。
これまでマネジメント業務を
一切断り続けている。
社内では、変わり者と、
噂されている。
ただ、言葉に対するこだわりは、
かなり強い。
納得がいかなければクライアントが設定した
締め切り日を遅らせてでも、品質にこだわる。
「今のおれなんかを真っ先に避けるような
タイプなのに、なんのメールだ?」
悪い評判がたった頃から、新たに担当する案件もなく、
業務が落ち着き、会社に行っても何もやることがなかった。
毎日、定時になると、逃げるように会社を出て、
街をぶらついているような日々を送っていた。
そんなおれに何の用だ?
メールには、マーケターとして
仕事を依頼したいと書かれていた。
国内の家電メーカーが
新しいスマートフォンを発表するという。
競合プレゼンを控えているが、時間が無い上に、
人手も足りない状況と書かれている。
そして、おれに携わってほしいという。
「どうせ、時間があるんだろう」という、
冗談とも嫌味とも取れる内容もあった。
メールを読み終えた直後に、
加わることを決めた。
今は周囲の信頼を
回復させなければならない。
経緯は分からないが、
迷っている場合じゃない。
即アサインしてもらう必要があった。
「今すぐにでも動ける状況です。
インプットをお願いします」
翌朝、久保に会い、オリエンに関する
インプットを受けた。
国内の大手家電メーカーが、
androidを搭載した
新型のスマートフォンを発売する。
世界ではandroidがシェアを伸ばしている状況だが
国内でiPhoneが大人気だ。androidではアジアの
いくつかのメーカーが健闘している程度だった。
国内のメーカーは軒並み、スマフォの製造から
撤退している。
そんな中、今年の目玉商品になるであろう、
大型商品が投入される。
CPUやメモリ、ハードディスクといった、
スマートフォンの主要スペックでは、
ほかのスマートフォンに引けをとらないものだ。
メーカーも商品によほど自信があるのだろう。
広告宣伝費は、他メーカーの2倍の金額が
用意されているという。
クライアントは、プロモーションの結果、
直近1年の間に、国内でスマートフォンを持っている人の
4人に1人は、この商品を持たせたい、と目論んでいた。
プレゼンまであと3週間。
この商品を取り巻く環境を0から洗い直してほしい、
というのが、おれの役割だった。
久保の耳にも、おれの噂は入っているはずだ。
それにも関わらず、久保はそのことには、
一切触れなかった。
ただ、久保がクリエイティブを制作するプロセスを
見てほしいという。極力、自分のそばで、
業務を進めるよう依頼された。
意図が分からないものの、承知した。
どちらにせよ、分かった事実は即座に
共有しなければいけない。
そばにいるからといって
邪魔になるものではない。
その日の夕方、久保から食事に誘われた。
「今晩、マーケット調査を兼ねた食事会があるんだけど
藤田も来いよ。オリエンに重要な情報が分かると思うから」
オリエンまで時間が無いのに食事会?
とは思ったが、マーケット調査、という言葉に
仕事に関係するイベントと判断した。
「久保さん、分かりました。時間と場所は?」
「19時に六本木!」
19時に六本木でマーケット調査?
なんか怪しいけど、約束を了承した以上、
行くしかなさそうだ。
待ち合わせ場所に着いた途端に、
悪い予感が的中したことが分かった。
待ち合わせに来た5人は全員女子大生だった。
メイクも髪型もファッションも、今どきの
しかも、全員かなり派手は方だ。
会うなり、久保の表情は緩んでいる。
いい歳をして、デレデレしている。
情けない……。
この会がマーケット調査ではないことを
確信した。
六本木まで来て、若い子でも入れそうな
安めの居酒屋に入った。
店内の雰囲気はビストロという感じだが、
内装はいまいちで、料理の味もそれなりだ。
まさに学生はこんな店で、合コンでも
しているのだろう。
お酒が入ると、久保は学生たちの
恋愛事情を細々と聞きはじめた。
どんな男が人気があるのか?
気を引くためにどんなことが効くのか?
自分から告白するのか?
告白されるようにしむけるのか?
こんな会話が2時間以上も終始して
会はお開きになった。
女子大生たちと別れると、
久保は妙に真剣な顔で聞いてきた。
「彼女たちのこと理解できた?
けっこう大事なこと言ってよね?」
酔ってでもいるのだろう。
話半分に聞いていた。
そして、このオリエンに対する
危機感を強めていった。
「ただでさえ失敗している状況なのに
この案件でこけたら、本当にマーケターを
辞めなきゃいけない」
久保からメールが来た時、正直うれしかった。
でも、それもつかの間かもしれない。
嫌なクリエイター像で見てしまいそうになり
慌てて思考を停止した。
「いったん様子を見よう。
たまたま今日だけのことかもしれない」
言葉にしてつぶやくことで
気持ちを切り替えた。
それから、3週間が経ち、約束のプレゼンの日は
翌日という段階になった。
あれから久保は、さまざまな人と会い続けた。
この春から就職するという社会人の卵、結婚直後の男女、
妊娠中の女性、大手商社の営業職、普段通っているらしい
美容室のマスター、居酒屋の店長、ファストフード店の
アルバイト……。
性別も年齢も属性もライフイベントの経験値も異なる
全部で300人はくだらないほどの人数と会っていた。
何を話しているのか言えば、本当に他愛もない
世間話がほとんどで、スマートフォンの話は
話題に上がれば、軽く触れる、そんな程度だった。
おれは、久保に付き合い続けながら、
任されたマーケット分析をこなした。
分析した結果、訴求ポイントは、
やはり、スマートフォンの性能とデザインという
要素に集約できそうだった。
この結果は、久保にも適宜共有した。
興味深そうに話を聞いていたにも関わらず
あいかわら、他愛も無い話を繰り返していた。
参考にしているのであれば、スマートフォンの
性能やデザインに関することを尋ねるはずだ。
マーケティングデータに興味深そうなのは
ただのポーズなのだろうか?
真偽を確かめる暇はなく、ただただ、
毎日が嵐のように過ぎ去っていった。
久保は、いっこうにコピーを書かない。
いや、書く以前にPCにすら向かわない。
時間は刻々と過ぎていく。
クリエイターの習性である
時間のルーズな印象が
頭にこびりついて離れない……。
この段階で、おれの久保に対する信頼感は、
崩れる寸前だった。
そして、プレゼン当日の朝。
ぎりぎりになって、久保のコピーが仕上ってきた。
ここ1~2時間で書いたのだろう。
品質が心配だった。
NGだったら書き直す時間無い。
久保は自身のPCのディスプレイを
見るように促した。
コピーが書かれていた。
—–
今日、あなたは、ぼくを見つめて、泣いていた。
今日、あなたは、ぼくを見つめて、喜んでいた。
今日、あなたは、ぼくを見つめて、怒っていた。
今日、あなたは、ぼくを見つめて、微笑んでいた。
ぼくは、あなたを知っている。
誰よりも知っている。
あなたの彼氏よりも、あなたを知っている。
あなたの親友よりも、あなたを知っている。
あなたの母親よりも、あなたを知っている。
あなたは、誰かを幸せにする方法を
知っていますか?
それは、誰よりもあなたのことを
知っていること。
ずっと、あなたのそばにいること。
ぼくが、あなたのためにできること。
—–
スペックの話は、何も書かれていなかった。
デザインの話にも、一切触れられていなかった。
久保は、スマートフォンを擬人化して表現した。
誰しもスマートフォンを、肌身離さずもっているだろう。
スマートフォンを使って、自分の大切な人と
コミュニケーションをとっているだろう。
彼氏にも、親友にも、母親にさえ、話せない
コミュニケーションをとっているかもしれない。
そして、たくさんのパーソナルな情報が
保存されている。それを使って、一人ひとりに
合ったパーソナライズが実現できるだろう。
スマートフォンのそんな特性を
幸せに導いてくれるもの、と表現した。
コピーのクオリティは高い。
ビジュアル表現も広がりそうだ。
ただ、おれが分析した訴求ポイントから
全く外れている。
そして、クライアントもこの表現には
OKを出さないことを直感した。
メーカーが起死回生で生み出した、
プロダクトだ。
まず、我が子の性能を褒めてほしいだろう。
ただ、今は時間が無い。
吉と出るか凶とでるか。
クライアントにぶつけてみるしかない。
営業が、プレゼンから戻ってきた。
幸い、先方から怒られることはなかった。
ただ、予想どおり、性能を訴求する方向で
もう1本考えてほしいという。
最終的には、2案を比較して判断したいと
いうことだった。
クライアントの判断は、まっとうだ。
製品が強いのだから、表現で冒険する必要はない。
性能をまっすぐ訴求する。それだけで良い。
久保は、営業からのフィードバックを
黙って聞いていた。
営業が話し終えると
ため息混じりに、言った。
「書き直しはしない。最高の1本だ。
これ以上の品質は出せない。
書き直したところで、捨て案しか出ない」
おれは、久保に話を戻す。
「久保さん、クライアントの見解は、
一理あると思います。
マーケット分析の結果を見ても
性能やデザインを訴求ポイントとするのが
正しいような気がしています」
分析の元になったローデータを
開いて、久保に指し示して見せた。
ちゃんと分析作業をした結果だ、
思いつきの発言ではない、ということを
アピールしたかった。
久保が言葉を返してくる。
「性能とかスペックが大事なのは分かるよ。
でも、それは、どのメーカーも訴求している。
それに、今回、競合他社より性能が良いことは
誰でも分かると思うよ。
すでに、ガジェット系のメディアは、
この商品を取り上げてるし
発売された瞬間に、レビュー記事なんて
山ほど出回るだろうし」
今度は、営業が口をはさむ。
クライアントの言い分を代弁する。
「久保さんのおっしゃってることも
分かるんですけど、クライアントの言い分も
もっともです。
この案がダメというわけではなくて、
もう1案見たいって言ってるわけだから、
ある意味チャンスとも捉えられませんか?
複数案見てもらえて」
この説得は失敗だ。
久保は、これ以上書けないと言っている。
そんな人に、チャンスと捉えろ、は無いだろう。
久保自身も、営業の発言を聞いて、
噛み合わないと思ったのだろう、
視線を合わせないように、
遠くを見つめたままだ。
沈黙が5分くらい続いただろうか?
久保が話し始めた。
「スマフォってすごいよな? おれは、今回のコピーを
書くために300人くらいの人の話を聞いたけど、
こんなに大切にされている製品って、聞かないよね。
おれたちの頃は、1家に有線の電話機1台だけだった。
自宅で女の子と電話で話すなんて、考えられないし、
話そうもんなら、全部聞かれてたし。
スマートフォンができて、人にとっての幸せの総量が
増えたと思うんだよ。たくさんの人に話を聞いて実感した。
なあ、藤田。なんで、おれが話を
聞きまくったか分かるか?」
おれは曖昧に首を振った。
本当のところ、分からなかった。
「おれは、どこまでいってもおれでしかない。
マーケティングで言うと、サンプル数=1。
だから、どこまで言ってもみんなの意見と
違ってしまうことは否めない。
でも、たくさんの人と会話していると、
だんだん、自分に相手が乗り移ってくるのが
分かるんだよ。一人、またひとりって。
女だろうが男だろうが関係なく、入ってくる。
実際言葉遣いが、おねえになったことも
あるし」
久保の中で思い出が蘇っているのだろう。
口元が少し笑っている。
そして、真顔に戻って話続ける。
「藤田、市場調査していて、こんな風に
ターゲットが自分に憑依することってあるの?
少なくともマーケターからそんな話を
聞いたことはないが」
おれも同意の意味で頷いた。
「マーケッティングって、究極的な意味で、
昨日までの気持ちを何らかの方法で
聞いているだけじゃない?
それが間違っている、というわけじゃないんだけど。
分かることって、知れているような気がして。
少なくともターゲットに届く言葉は見えてこない。
かたや、クリエイティブは未来のことを
表現している。
明日、おれのコピーを見て、ターゲットが
どう感じてくれるのか? 本当に刺さるのか?
ターゲットすら気がついていない、
言葉にしたことがない一言を
いつも探している」
久保の一言で、なぜこの件に
誘われたのか分かった気がした。
久保は、おれに、クリエイティブの本当の意味を
教えようとしたのだ。
クリエイティブというなんとも曖昧で
つかみどころのない価値は
確かに存在しているということを。
自分のそばで、クリエイティブのプロセスを
体験させたのも、納得できた。
久保は、あの夜、女子大生の心の底に眠る
気持ちを引き出そうとしていた。
だから、できるだけ普段の彼女たちでいる
必要があった。六本木とはいえ、
高級なイタリアンでは構えてしまって
本音を聞くことはできない……。
おれは、決意した。
「久保さん、クライアントに
おれから説明させてください」
クライアントにクリエイティブの
趣旨を説明した。
この案が何を狙っているのか。
また、2案目を出す意味が無いこと。
仮にこの案でこけた場合のプランを
丁寧に話した。
「久保さんのこだわりがすごいから
説得してこいって話ですか?」
クライアント担当者は笑っていた。
以前、久保と仕事をしたことがあると言う。
「久保さんは、ぎりぎりまでターゲットと
同化してますからね。
そこまでやってくれてるのを
我々も知っているから、コピーに賭けてみようって
思わされるんです」
ほっとすると同時に、身がひきしまる
言葉だった。
クライアントは久保が言うところの
未来を信じるという。
では、マーケターである自分たちの
価値は何なのだ?
人間は過去からしか学ぶことはできない。
そこから未来を予測するしかないのだ。
だから、マーケターとクリエイティブの
どちらが正解ということは、
無いのだろう。
目指す頂点は違う。
ただ、そのアプローチが異なるだけだ。
ただ一つ言えることがある。
正解が分からない、だからこそ、
過去を知り、未来を信じるのだ。
マーケティングは、過去のこと。
クリエイティブは、未来のこと。
新しいマーケター人生が始まることを
予感した。
***
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