プロフェッショナル・ゼミ

そうして私は、大人になった。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:ノリ(プロフェッショナル・ゼミ)

「一生、この仕事でやっていくにはさ、仕事を選んでいかないと買いたたかれるだけになっちゃう」
「わかるわー! 若いころだったらいいのかもしれないけど、なんでもかんでも引き受けてると、どんどん仕事が安くなるよね、あれ、なんなんだろう?」
「やっぱ自分の特技っていうか、そういうの戦略的に売っていかなきゃならないよね」
「そうだねー、得意なことで売れるのが一番いいよね!」

久しぶりに電話で話したエリコと最後に会ったのは、もう、3年も前になる。

エリコとは大学の同じクラスで、一緒に遊ぶグループの仲間だった。卒業後、東京に出ると、借りた部屋が同じ電車の沿線にあったことから、学生時代よりもよく遊ぶようになった。エリコが私の駅で途中下車して夕飯を一緒に食べたり、私もパソコンを借りによくエリコの家に行ったりしていた。私とエリコの家のちょうど真ん中あたりを流れる江戸川の河川敷で、夏に行われる花火大会には毎年一緒に行くことになっていたし、秋になったと言っては紅葉狩りへ、桜が咲いたと言っては花見へ、ラーメンが食べたいだとか、何かと理由をつけては遊んでいた。

「今、電話大丈夫?」
会うだけではない。何かあれば夜中まで長電話。仕事のことや人間関係、恋愛のことなど、エリコとは何でも悩みを打ち明け合った。振り返ればたいしたことない悩みだったし、お互い膝を打つような解決策は見つけられなかったけれど、聞いてもらえるだけで救われていたのだ。当時の携帯電話には、特定の電話番号への通話がお得になるサービスがあったのだが、私は家族のほかに、彼氏ではなく、エリコの番号を登録していたくらいだった。

それからエリコは結婚して引っ越し、私は東京から実家に戻った。今では家が遠くて、数年に一度くらいしか会う機会はないが、話したくなるタイミングが似ているのだろう、メールでのやりとりは途切れない。しかし電話は滅多にしない。でも年に数回、話がしたいときは電話する。今日がそれだった。

不思議なもので、話し出せば、あっという間に時間が巻き戻っていく。深夜まで語り合った学生時代、長電話であれこれ話していた20代後半、仕事の悩みが増え始めた30代のはじめごろ。いつもエリコがそばにいることだけが変わらない。
そして彼女にも私にも時間が等しく流れているらしい。打ち明けると、なぜかいつも、同じようなことで悩んでいるのだ。お互いフリーランスの仕事をしてはいるが、職種は全然違うのに、だ。離れていても同じ時間を生きてるようで、私はうれしく思った。
「歳と共に悩みって変わっていくもんだねー」
「お互い大人になったってことかな」
「うん、もうすぐ二度目の成人だからね」
「ははは! そうだねえ、早いなあ!」
私たちは軽口をたたいて笑い合った。

大人になった。

そう、実感したのはいつのことだろう。

初めてお酒を飲んだ時。
母親より身長が大きくなった時。
郵便局で年賀状の仕分けのアルバイトをして、生まれて初めての給料をもらった時。
周りの人の様子をうかがいながら、初めて選挙で投票した時。
慣れない振り袖を着て「ナポレオンズ」のマジックを見た、成人式に出た時。
一人暮らしをして、親のありがたみを実感した時。
就職できた時。
初めてもらったお給料で父親に贈り物をした時。
東京で一人暮らしをした時。
クレジットカードを作った時。
洋服を色違いでたくさん買った時。
大きな仕事で表彰された時。

いろいろあるけれど、私が一番大人になったことを実感したのは、
「駄菓子を夕飯にした時」かもしれない。

「100円までだよ!」
夕飯の買い物に行くと、母親はいつも言った。お菓子は100円まで。そういう決まりがうちにはあった。それは、幼稚園のころから始まった。

私は毎日、幼稚園から帰ると祖母に100円もらい、家から50mほどのところにある駄菓子屋、「いちもんみせ」に行っていた。「いちもんみせ」とは、家族が呼んでいた通称で、本当の名前はわからない。100円玉一枚で買い物できるから「一文店」ということなのだろう。看板も出ていないわずか1坪ほどの狭い店内は、子供でも3人入ればもう身動きがとれない。そこに駄菓子やクジ、おもちゃなどが、壁に棚にギッシリと並んでいた。
「チリンチリン」
サッシ戸を開けると、戸についている風鈴が鳴る。音を聞きつけ、奥から赤いチェックのエプロンをつけた店のばあちゃんが出てくる。
「いらっしゃい」
腰に手を当てた、ばあちゃんが見守る中で、私は毎日、手の中に握りしめた100円の内訳を考えるのだ。

定番だったのは、「モロッコヨーグル」、10円。ついてくる木のヘラですくって食べる砂糖のザリザリするヨーグルト風のクリーム。モロッコが何なのか、未だにわからない。
絶対体に悪い粉、10円。パッケージにクリームソーダの魅惑的な写真があり、粉を水に溶かすと、真緑色の飲み物ができる。決しておいしくはないが、つい買ってしまう。
これも絶対体に悪い真っ赤な汁につかった「すもも」、20円。汁をストローで飲んでから、すももを食べる。汁は服に着くと落ちず、母に怒られる。
赤い酢イカ、10円。プラスチックの透明ケースに入っていて、「これ」と言うと、ばあちゃんが割り箸でとって白い袋に入れてくれる。微妙に大きいのと小さいのがあって、どれが入るかは、ばあちゃんの気分次第だから仕方ない。
糸引きアメ、10円。アメのついている糸の束から一本引く、くじ引き制度になっている。「これが欲しいなあ」と思ったものを引くことは一度もなく、その代わり何の形かわからない大きな塊を引くことがあり、よく口の中を切った。アメがなくなった後もいつまでも糸をなめていて、歯にはさまり、乳歯を抜いたこともある。
四角い箱に4つ入ったフーセンガム、10円。ぶどう、オレンジ、いちごなど。味がすぐなくなる。または、銀紙に包まれた二つに割れるフーセンガム、10円。当たりくじが付いていて、結構当たった。
さくらんぼの餅、20円。もはや、さくらんぼ、でも、餅、でもないのだが、1cm角に固められたピンク色の歯ごたえのある甘い食べ物。
三角クジ、20円。クジを一つ選ぶと、ばあちゃんが乾いた手で広げてくれる。1等から5等くらいまであっただろうか。大小さまざまなスーパーボールやカラフルな鈴、紙でできたピロピロが伸び縮みする笛などが当たる。
いつもはこのあたりで、100円を構成していた。
家に帰ると駄菓子を食べながら絵を描いたり、人形遊びをしたり。幼い遊びの思い出はみんな、駄菓子の味がする。

「今日は福袋にしようか」
そんな日は、「いちもんみせ」までの足取りが軽かった。実際、スキップしていたかもしれない。私が「福袋」と呼んでいたのは、天井からつるされていた50円のクラフト袋に入ったクジ。中身は古い漫画雑誌の付録などが入っていた。何個かつるされている中から、手探りや厚さで一つ選び、ばあちゃんに引っ張ってもらう。これは当たりも大きいが、ハズレも大きいクジだった。大人びた女の子のイラストが描いてあるレターセットなど、かわいいものが入っていれば大喜びだが、あまり興味がない男の子向けの付録が入っているとダメージが大きい。何より予算100円の半分をも使ってしまうのだから、月に一度くらいしかチャレンジできない冒険だった。走って家に帰って袋を開けると大抵がっかりするのだが、ワクワクした気持ちを買うには結構お金がかかることを、すでに学んでいたのかもしれない。

小学生になると、「いちもんみせ」の近い家から引越しをした。今度は母親の買い物に付き合って、スーパーのお菓子コーナーで100円の使い道を考えていた。駄菓子屋のお菓子とはちょっと違うけれど、「うまい棒」、「よっちゃんいか」、「ご」が読めなかった「きびだんご」、指輪型になっているアメ「ジュエルリング」、「梅ミンツ」、「ハイレモン」、「チロルチョコ」、銀色のシートから押し出して食べる「めがねチョコ」など、今でも現役で活躍するメジャーなお菓子がたくさんあった。

「今日も『バナヤン』買うべ!」
中学に入ると、私にもきちんと反抗期がやってきて、母親と買い物に行かなくなった代わりに、部活の友達や、当時付き合っていたマサトと買い食いすることが増えていた。同じ町内に住んでいたマサトとは、近所の駄菓子屋によく通った。二人がはまっていたのは、バナナ型のカサカサしたカステラに、チョコがかかって、棒に刺さっている「バナヤン」という名前のお菓子。お祭りで売っているチョコバナナを乾燥して固めたみたいな安い味わいがクセになり止まらない。中でも、袋に書いてある「馬鹿味(うまかあじ)」というキャッチフレーズがとても気に入っていた。学校帰りに一本、二本と買い求めては、歩きながら食べて帰った。
「ほら!」
ある日、マサトがそっけない白い箱を突き出してきた。
「えっ? 何これ?」
「今日、誕生日だべ」
「えっ!?」
箱の中身は、ぎっしり詰まったバナヤンだった。マサトは私のために、あの小さな店でバナヤンを箱ごと買い占めたのだった。今思えば一箱買っても、たかが2000円くらいだっただろう。それでも中学生だった私には、マサトのことを惚れ直すには十分魅力のある贈り物だった。その後、マサトの部屋でチャゲ アンド アスカのCDを聞きながら、無心でバナヤンをむさぼり食べた。

「ささよし行ってくる!」
「ささよし」は、高校の前にあった駄菓子屋だ。確か、もともとの名前は佐々木芳三燃料店。昔は灯油などを販売していたのかもしれないが、その面影はさびれた看板からしか読み取れない。昼間でも薄暗い小さな店内に、アイスケースと小さな棚だけ。外には長年雨風にさらされ、ススけた赤色のコカコーラのベンチが一つ。放課後はいつも顔見知りの誰かが座っている。
学生はみんな、昼休みだけでなく休み時間のたびに上履きのまま「ささよし」へと行くもんだから、次第に先生たちが問題視し始め、昇降口の校門が閉められることになった。しかし、「ささよし」の魅力は、たかが鉄の門などで止めておけるものではなかった。早速サッカー部の佐々木くんが校門を飛び越えているところを進路指導の田中に現行犯で取り押さえられ、こっぴどく怒られることになる。
決して優等生ではなかったが、優等生でいたかった私は、あまり「ささよし」には近づかず、クラスメイトのアイさんがこっそり手に入れてきた「ヤングドーナツ」、通称「ヤンド」のおすそ分けをもらうにとどまっていた。

そして大学時代。初めて一人暮らしをした時、ついに子供の頃からの夢を叶える時がやってきた。

駄菓子を夕飯にする。

自分の好きなもの。しかも、ただの「ご飯」ではないものを、「ご飯」にできるという自由。近所のお店で好きなだけ駄菓子を買い込み、好きなだけ食べた。もう、何を買ったのかは覚えていないけれど、胸がいっぱいになったことだけ覚えている。
そして、一通り満足すると、そこには「100円まで!」と、ガミガミ怒る母親の姿も、「おねえばっかり、ズルい!」だのと文句を言ってくる妹の姿もないことに、少し寂しさを感じたことも覚えている。

「1063円です!」
店を出ようとした私の背後で店員の声がした。私の後に会計をした女の子の値段だった。私の会計は523円。なぜか、「負けた!」と思った。
私が買い物しているのは、大きなショッピングモールの中に入った「夢屋」という名前の駄菓子屋。今の私は、月に一度か二度、このお店で買い物するのが楽しみになっている。
ただし、この店、「うまい棒」はいろんな味がそろっているし、「モロッコヨーグル」も「すもも」も「酢イカ」も「さくらんぼの餅」も、私の定番駄菓子はだいたいおいてあるが、値段は昔の1.5倍から2倍以上。「人の夢を食い物にしやがって!」などと悪態をつきたくなるが、原材料のせいなのか、流通のせいなのか、時代のせいなのか、文句をいっても仕方ない。
これはうまいこと、はめられているのではないか。そう思うこともある。いや、それでもいい。それならそれで、まんまとはめられてやろうじゃないか。今でもこうしてあの味を味わうこと、それがうれしい私は、値段も見ずに、どんどんカゴに入れてしまう。駄菓子という夢に屈するのは子供も大人も関係ないのだ。

「今日はありがとう、なんか、話してラクになった」
「私も話せてよかった。自分のことも確認できた気がするよ、ありがとう」
エリコの電話を切ってからも、エリコと話したことを反芻している。私は今では、毎日エリコに会ったり、毎日電話で話を聞いてもらえたりしなくても大丈夫になった。それでも友達であることは変わらない。こうして電話で話せば、あっという間に、懐かしくて温かい自分の居場所がそこに広がる。そしていつも今の自分を再確認させてくれる、大切な存在だ。

そんなエリコよりも、私は駄菓子と長く付き合ってきている。

振り返れば、子供の頃から、いつも駄菓子と一緒だった。計算、期待と裏切りの駆け引き、酸っぱい、甘い、ほろ苦い、そんな味わいもみんな、駄菓子が教えてくれた。そして大人になることも、駄菓子から教わった。今では、毎日食べることはない。毎日食べなくても大丈夫になったのかもしれない。それでも食べるとやっぱり楽しいし、元気になるし、子供に戻ることができる。

駄菓子を夕飯にして、私が大人になったと思った日から、気がつけば20年が経とうとしている。あの頃の私が思い描いていた「大人の未来」には、かすりもしていない自分が、ここにいる。もしかしたら、駄菓子ばっかり食べてきたから、こんなことになったのだろうか。そうだとしても、私はまだ、駄菓子をやめる気はない。
昔の自分にちょっとごめん、だけれども、値段を気にせず買いこんだ駄菓子を、コタツで食い散らかしながら、ウイスキーを飲んで、映画を見る。こんな大人も悪くない、そう思える週末の夜がある。

***

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