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記事:ヒダミサキ(ライティング・ゼミ日曜コース)
会議室の外へ出て、わたしは小さなため息をついた。扉を閉めたはずの会議室からは、面接官のひそひそ声が聞こえてくる。きっと、わたしについて講評し合っているのだろう。
「今日もまた聞かれたなあ……」と、わたしはひっそりとした廊下で、息をゆっくり吐くように呟いた。顔を上げると、梅田の街が眼下に広がっていた。こんな高層ビルの中で働きたいと思いながら、わたしは帰路に就く。
黒いスーツに黒いバッグ、黒髪のポニーテールという正装を纏い、毎日のようにオフィス街へ向かうわたしは、まさに就職活動中だ。今は説明会がひと段落して、気に入った企業の面接を受けている。今日だって、眠たい身体を無理やり起こして面接を受けたのだ。
就職活動が始まるまで、バイトの面接しか受けたことのなかったわたし。就活の面接は人を落とすためだから、鋭い質問を集中的に浴びるのが当たり前というイメージがあった。しかし、いざ面接を受けてみると、そういう印象は払拭されて、夢や希望や功績を少々の誇張とともに話すだけだった。何度面接を受けても、質問内容はいつも同じ。ひとりで自由に話しが出来るので、テレビのコメンテーターやラジオのDJにでもなったかのような気分だった。はっきり言うと、話すのが楽しかった。たったひとつの質問を除いて。
何度面接を受けても、その質問をされると、わたしの心にはいつもわだかまりが残った。といっても、高層ビルのエレベーターに乗って地上に降りている間に、そのわだかまりは高揚感に打ち消されるのだけれど。
でも、その日は違った。積み重なるわだかまりが身体に溜まり、ため息として形を得た。そして、無意識に生み出された言葉。そのつかみどころのない異物を、わたしは打ち消すことができなかった。
―――あなたがやりたいことは何ですか?
面接官の言葉が、頭の中をこだまする。こだまが大きくなり、身体中がその言葉で埋め尽くされていく。
面接を受けるにあたって、二十数年の人生を振り返り、企業の特色を理解し、その接点からやりたいことを見つけていた。これだと、論理的な回答が出来るし、企業側の印象も良い。至極普通の作業だと思っていた。
しかし、ついに身体が「NO!」と叫んだのだ。
いまのままじゃだめなの? 本当にわたしがやりたいことって何だ?
面接官の質問が新たな質問を生み、答えようとするも自分を納得させることができない。必死に考えるが、エレベーターを降りても、ビルから出ても、答えが出なかった。ふと振り返ると、夕焼けが高層ビルを真っ赤に染めていた。わたしは、自然と人工の織り成す美しい景色をぼんやりと眺めていたけれど、質問を忘れることも答えを見つけることも出来なかった。
わたしは電車に乗って家に帰ろうと、いつもと同じように駅に向かって歩いていた。しかし、気づいたら梅田の地下にある飲み屋の暖簾をくぐっていた。その理由を探したが、よく思い出せなかった。
飲み屋はカウンター席のみ。カウンターの中では、大将と女将さんがせっせと料理をしている。時間が早いので、お客もまばらだ。女子大生がひとりで梅田の立ち飲み屋に来るなんて、都会でイノシシに出会うくらい珍しいんだろう。入り口に立ちすくむわたしを女将さんは驚いた顔でちらりと見て、端の席に案内してくれた。席につくとすぐに、「ウチのオススメはおでんだから、よかったら食べてね」と言いながら、カウンター越しにおしぼりを渡してくれた。おしぼりは、あたたかかった。
こだまはまだ消えずに、わたしの中で鳴り響いている。忌々しい迷いをはやく取っ払ってしまいたい。わたしは、またため息をついていた。
わたしは、とりあえず何かを頼もうとして壁のメニューを眺めたが、その情報量を処理するだけの能力が身体には残っておらず、勧められるままにおでんの盛り合わせと生ビールを注文した。女将さんが慣れた手つきでジョッキにビールを注ぎ、おでんを取り分け、わたしの前に運んでくれた。「ありがとうございます」とお礼を言うと、女将さんはにっこり笑ってくれた。わたしは、金色に輝くビールを早速喉に流し込んだ。ビールは裏切ることなく、旨味と少しの苦味をわたしに運んでくれた。自然と顔がほころぶ。その余韻を残したまま、おでんに手をつける。大根、じゃがいも、たまご、はんぺん、ちくわ。どれも出汁が染みていて、とても美味しい。もう一度、幸せな気持ちになる。
ビールとおでんのお蔭で、わたしは少し冷静になれた。こだまは消え失せ、代わりに面接官の質問だけが頭の片隅に残った。しかし、それを完全に取り除くことは出来ず、取り除いたらいけないような気もした。
わたしは質問を反芻した。そして、今までの人生を振り返り、やりたいことをしていた瞬間を探った。飲み屋のカウンターで、わたしは必死に探った。でも、明確な答えを見つけられなかった。
どれぐらいの時間が経ったのだろう。ビールはあと一口ほどしか残っておらず、おでんもちくわを半分残すのみだ。そろそろ帰らないとなあ、と思いながら、わたしはちくわを漠然と眺めていた。
「そういえば、最後にちくわが残るなんて初めてだなあ……」わたしは、好きな食べ物を最後に残すタイプであり、大根やたまごを押しのけて、ちくわがその座に就くことに妙な感動を憶えていた。それほど、この店のちくわは美味しかったのだ。
ちくわに想いを馳せていると、ふと、質問の答えが頭に浮かんだ。
―――わたしには、やりたいことはないけれど、環境によって役割を全う出来る。
それがわたしの出した答えだ。勉強も運動もそこそこ出来たので親や先生は褒めてくれたし、おしゃべりだったので友人にも恵まれた。だから、自発的に行動しなくても楽しい生活が送れているし、無理に頑張らなくても既に幸せだ。このように生きた軌跡を結論付けると、わたしは面接官の質問を正面から受け止めることが出来た。
わたしは、ちくわ。
ちくわは中身がない。だけど、どんな調理をしても美味しく食べられる。他の食材の良さを最大限吸収しながらも、全体の邪魔を決してしない。
お皿に寂しく残ったちくわを口に入れ、わたしはじっくりと味わった。そのちくわは、冷めてもやっぱり美味しかった。そしてわたしは、ビールを飲み、お勘定をし、一日の疲れを感じさせない足取りで家に向かった。お店を出たときには、自然と笑顔になっていた。
数日後、わたしは再び梅田の高層ビルの中にいた。今日も面接だ。待合室には大きなガラス張りの窓があり、そこから梅田の街が一望できた。天に向かってまっすぐ伸びる高層ビル群。いまわたしは、それらを見下ろしている。
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