セックスをしたことはないけれど世界で一番私が欲しかった人《プロフェッショナル・ゼミ》
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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《日曜コース》
記事:市岡弥恵(プロフェッショナル・ゼミ)
セックス中に泣いてしまうのは、本当に愛に満たされているか、本当に悲しいかのどちらかだと思う。そして私の場合、大半が悲しかった。
セックスをしている時に、「上に来い」と言われるのは嫌い。
涙がこぼれ落ちそうになるから。だから私はいつだって、下から男の人を眺めていたい。そしたら、目の淵から静かに流れ落ちていく涙に気付かれないから。ただ天井のシミを数えたりしながら、上下に揺れる景色を見て、痛みに耐えながら男の人が達するのを待つ。そして静かに、髪の中に落ちていく生ぬるい涙を地肌で感じていたかった。
隣で寝静まった男を置いて、そっとベッドを抜け出した。
シャワーは熱い方がいい。汗をかいたはずなのに、私の手足は冷え切っている。火傷しそうなほど熱いシャワーで、体を温めたい。
ホテルのユニットバスって、なんでこんなにシャワーの首が安定しないんだろう……。壁に向かって首を振ろうとするシャワーを手に持ち、首筋に抱えた。徐々に温まりだす体に、心が置いて行かれた気分になる。
私は、ユニットバスの中に座り込んだ。首筋から体をつたい、足から排水溝へ流れていくお湯。ぐるぐると吸い込まれていくお湯を見ながら、私はタカシの事を思い出した。
「お前、まだそんなことやってんの?」
そうやって、タカシに笑い飛ばして欲しかった。
シャワーで濡れた髪が、頬にへばり付く。そうしていれば、涙なのか水なのか区別がつかない。ただ、静かにこうして、水が体内から流れ出るままにしておきたかった。
シャワーを浴びて、そっと洋服を拾い集めた。
髪は濡れたままでいい。濡れた髪をねじり上げ、ホテルのデスクの上に置いてあるボールペンを手に取る。右手で濡れた髪をボールペンで少しすくい上げ、そして左側に返してグサリと濡れた髪団子の中に刺した。落ちてこない髪を鏡で確認し、私はホテルを後にした。
昔からこうだ。
私との関係を始めるつもりもないのに、私のことを抱く男がいる。そして、分かっているのに、私はその男たちを受け入れてきた。どうせ一度で終わる。そんなこと分かっているのに、私はそういう男に限って体を許してきた。
スマホを取り出し、電話帳の「タ行」を探す。
平、高尾、高崎、高田……。
「タカシ」の名前はやはり、無い。
とぼとぼと大通りを歩いていると、私の横をタクシーが徐行しながら通り過ぎていく。こんな時間に女が一人で歩いていたら、タクシーを拾うと思われるようだ。私はやはり、「タカシ」の名前を見つけることができず、スマホをバッグに戻した。
ふと、道路の脇に目線を泳がせてみる。
道路脇に、バイクに腰掛けて待ってくれているタカシの姿を探してみたりする。そんなはずないのに、私はやはり未だにこうして、タカシの姿を探す。
「ほら」
そう言って、メットを渡してくれるのではないかと期待をする。思い出すのは、タカシの後ろに座って、何も見えない海岸沿いをバイクで走ってもらった時のことだ。エンジン音で波の音は聞こえないけれども、潮の匂いをかぐだけで、肌がべた付ついたような気がした。転んだら危ないからと、ノースリーブの私に自分のパーカーを着させてバイクに乗せるタカシ。その大きな背中にしがみ付いていれば、私は底知れない安心感を感じることができた。
もう春も終わりそうなのに、夜は少し肌寒い。
そして私は、タカシのパーカーが恋しくなる。
私はタクシーを拾い、家に帰った。そしてそのまま、車に乗り込む。エンジンをかけ、ヘッドライトを点ける。タカシがいつも聞いていたジャズをかけながら、私は車を出した。きっとあの頃なら、私はこのままタカシの家に行っているのだと思う。
「タカシ、今から家行っていい?」
大学生の頃、私はタカシという男に懐いていた。既に社会人だったタカシに、私は猫のように懐いた。何かあれば、いつもタカシの足元に擦り寄って、頭をなすりつけ、そして抱きかかえてくれるのを心待ちにした。
「またか……お前どうせ男と別れたとかだろ?」
そんな事を言われながらも、大学生の私はタカシの家に向かった。
タカシの言う通りだ。ついさっき、彼氏と別れたばかりだった。
別れたと言うか、「もう会わない」と自分一人で決心をしたところだ。彼氏だったのか、何なのかも分からない。恐らく私は、あの人の彼女ではなかったと思う。2番目か3番目だったんじゃないかと思う。最初から、そんな事は分かっていた。それでも私は、当時寂しさを埋めるように、その人とセックスをしていた。俺の女だと言われながらも、どこか虚無感を覚えていた。
私はタカシの部屋に上がり込み、ベッドの上に転がり込んだ。
「お前さ……なんかあるだろ、男と別れて悲しいとか、寂しいとか、そういう一言を言ってからベッドに入れよ……」
「寂しくはない。もう慣れた」
私は、素直にそう言った。
寂しさになんか慣れた。会いたい時に会えない男を待ち続けてもしょうがない。ただ、男が会いたいという時に、可愛い格好をして出ていく。それが、当時の私だった。
「風呂ぐらい入れよ……」
呆れたように、タカシは言ってくる。
「やだ、元気がない」
「お前ほんと、しょうもねぇな」
そんな事を言いながら、タカシはベッドの上に丸まる私をひっぱりあげ、抱え上げる。つい先ほどまで、彼氏もどきにセックスされた体が痛い。私はタカシに抱き上げられ、首に巻きついた。まるで2歳児がするように、私はタカシにしがみつく。タカシの香水は、いつも柑橘系の匂いがする。冬と夏で少し匂いが変わる。夏は汗の匂いと混じって、「男」って匂いがする。タカシの首に顔をうずめながら、私は脱衣所まで連れて行かれた。
「ほら、タオル、Tシャツ、短パン。下着はねぇな」
そう言いながら、テキパキと私の面倒を見るタカシ。まるでお兄ちゃんのように、私の面倒をみてくれる。
「服も脱がせましょうか?」
そう言って、笑いながら脱衣所を出ていくタカシ。
私は、ノースリーブのシャツを脱ぎ洗面台に映る自分を見た。彼氏もどきにセックスをされたのは、つい2〜3時間前だ。まだ体が痛い。
シャワーを浴びて部屋に戻ると、タカシはDVDを観ていた。
「ずるい……」
「お前が遅いからだろ」
私は、タカシの横には行かずに、そのままベッドに転がり込んだ。枕からタカシの匂いがする。それだけで、私は底知れぬ安心感に包まれてしまう。タカシがDVDを止めて、風呂場に向かった。
「先に寝てろ」
そう言われ、やはり私は安堵する。どんな男と寝ても感じられない安心感。私はこの安心感に包まれたくて、猫のようにタカシの家に来て、ただこうして布団の中に丸まる。
つい先ほどまで一緒に居た男の事を思い出す。
突然連絡も無しに私の部屋に来た。私が連絡をしても、なかなか返事も来ないのに。それなのに、あぁやって突然私の部屋にやってくる。
「どうしたの?」
私の問いにも答えずに、彼氏は私の口を塞いできた。酒臭い。
「嫌だ」
私は、酒臭さから逃れるように顔を横にずらした。それでも、今度は私の首筋を舐めてくる。髪をかき上げられ、首筋から耳を舐められながら、私は思う。
どうして私は、こんな人にでさえ、愛して欲しいと思うのだろうと。私が会いたい時に会いに来てくれないのに、自分がしたい時だけ私を呼びつけたり、勝手に部屋に来たりする人なのに。どうして、私はこんな人にでさえ、愛して欲しがるんだろう……。
いつの間にか外されているブラのホックが背中で垂れている。
スカートを捲くられ、下着の上から触られる。少しずつ湿ってしまう下着が気持ち悪い。口を塞がれたまま、指を突然入れられ、私は咄嗟に彼の口から顔を離した。息が勝手に口から漏れ出す。
ベッドに連れて行かれ、私は天井をぼんやり眺めた。
セックス中に泣いてしまうのは、本当に愛に満たされているか、本当に悲しいかのどちらかだと思う。そして今、私は悲しい……。
無理矢理入ってくる男をなんとか受け止めながら、私はやはり思う。それでも、愛されてみたかったと……。
まだ下半身に穴が空いている気がする。
そんな体を抱きしめながら、私はタカシの布団で丸くなった。タカシの匂いがする布団で丸くなれば、私は守られているのだと思えた。
安心感に包まれ、うとうとしていると、石鹸の香りが布団の中に入ってくる。私はタカシに腕枕をねだり、そしてその腕の中で安心して眠った。タカシは私に腕枕をしてくれるものの、それ以上のことをしない。そして一言だけ言う。
「お前、もうちょっと自分の事大事にしろよ」
そう言って、タカシは寝入ってしまう。
そんな人だった。
男と女の関係なんて求めてこない。それなのに、タカシは私のことを面倒見てくれていた。そして私も、タカシには男を求めていなかった。
セックスしたことはない。それでも私は、タカシの腕の中で、愛されていたと思う。女としてではなく、ただ一人の人間として。
『もうすぐ2時間です。少し休みませんか?』
突然カーナビに話しかけられ、私ははっとした。まるで電車にでも乗っているように、私はいつのまにか、タカシが連れて行ってくれた場所に車を走らせていた。
タカシと連絡がつかなくなって、もうどれぐらい経つだろう。もう5年以上経っている気がする。
私は、海岸沿いに着き、車を停めた。
ヘッドライトを消し、窓を開ける。生ぬるい潮風が車内に入ってくる。波はほとんど見えないけれども、遠くで福岡市内の光が浮んでいる。こうして、タカシが連れてきてくれた場所に来ると、少しだけ安心する。
私はたまに、こうやって夜に隠れたくなる。
自分の事を知っている人間がいない場所に、逃げたくなるのだ。
こうして記事を書いていながら、私は時々不安になる。
どんな女だと思われているんだろう、こんな事まで書いて、私は痴女とでも思われてるんじゃないか。フィクションを書いていても、やはり人は、私の事をそういう女だと思っているのではないかと不安になるのだ。
「経験してないと、書けないでしょ?」
天狼院に通い始めて、もうすぐ1年。この1年で、このセリフを何度言われたことか。
そして、その問いは真意を突いている。フィクションを書き、実在しないキャラクターを作り上げてきた。それでも、その時私が書いた「感情」は、紛れもなく過去私が経験し、感じたものだった。
「そうだね。経験したよ」
私は、そう答えてきた。そう答えるしかなかったから。
セックスのシーンも、私が感じた惨めな感情も、そして誰かに愛されたいという感情も。今まで書いてきたことに、嘘はなかった。
それでも、たまに心が折れそうになる。
なぜ私は、こんなにもクズな女っぷりを曝け出しているのだろうと。何でこんなに、惜しげもなく、本来誰にも知られるはずのない事を書き続けているんだろうと。性というものを、なぜこんなにも緻密に描写しているのだろうと。もう、辞めてしまおうかと思う時がある。
しかし、そんな時に私はこの本に出会った。
千早茜さんの『男ともだち』。
私には、確かにこの本の中に出てくる「ハセオ」のような男友達が居た。それが、タカシだった。もちろん、本の中の「ハセオ」とタカシじゃ性格もまるで違う。それでも、私には確かに、彼氏以上に私を守ってくれた「男ともだち」が居た。
もう、何年も封印してきた想いだった。
タカシに対する気持ちも、なぜタカシが私の世界からいなくなってしまったかも。そんな事も全て、私は封印してきたつもりだった。
それなのに、私はこの本を読み、怒りを覚え、そして悲しみを感じ、最後のページをめくった時には、心から涙を流していた。
最後にタカシと話した日、タカシは私にこう言ってくれた。
「お前は、大丈夫だから。ちゃんと日の当たる場所を歩け」
タカシが、私にそう言ってくれたのだ。
私は誰よりも、タカシが欲しかった。彼氏よりも、女友達よりも、誰よりもタカシが欲しかった。セックスをしたことはないけれども、世界で一番タカシが欲しかった。
もしかしたら、タカシに抱かれてみたかったのかもしれない。もしかしたら、タカシとセックスをして、満たされた涙を流したかったのかもしれない。
もし、あの時こうしていれば……。
そしたら、私は今でもタカシと一緒にいられたのかもしれない。そんなタラレバの想いがこみ上げてきたのだ。
本を読み終わり、私は本を胸に抱えたまま泣き続けた。泣いても泣いても、涙が出てきた。タカシはちゃんと生きているだろか。タカシは、ちゃんと結婚できただろうか。タカシは今頃、お父さんになっているんだろうか。そして、思ったのだ。
ありがとう、私の事守っててくれて、と。
数年ぶりに、私はタカシへの怒りも、悲しみも、感謝も、全てを思い返す事が出来たのだ。
私は、この本に救われた。
もしかすると、この本を読んで全く共感しない人がいるかもしれない。男女の友情なんて、あるはずがないと言う人も居るかもしれない。
それと同じように、私が書くような記事を読んで、嫌悪感を抱く人が居るかもしれない。バカな女だと思われるだけなのかもしれない。
それでも、私がこの本を読んで、涙を流して本を抱きしめたように、私が確かに過去経験した「感情」に、涙を流してくれる人がいるかもしれないのだ。そして、また明日から笑顔に生きていける人が居るかもしれない。
この本は、私にそのことを教えてくれた。
私が書いている事は、きっと多くの人の共感を呼ぶものじゃない。男性からは「分からない」と言われた事もある。
でも、私には、タカシという男ともだちが確かに居た。
そして私は、本の中の「ハセオ」とタカシを重ねた。
「お前は、大丈夫だから。ちゃんと日の当たる場所を歩け」
最後にそう言ってくれたタカシの言葉を信じて、私は今日も書いている。タカシが「大丈夫」と言うなら、私は大丈夫なんだって信じていられる。
だから私は、こうしてタカシと共有した場所に来て、タカシが残してくれた安心感の欠片を拾いに来る。
セックス中に泣いてしまうのは、本当に愛に満たされているか、本当に悲しいかのどちらかだと思う。
こんな事を書きながら、私はタカシの記憶を抱きしめている。
そして、誰かが愛に満たされた涙を流してくれるのなら、私はやはり書いていくのだと思う。
紹介した本:『男ともだち』 千早茜 文春文庫
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