「書く」ことはどうしてこんなにも辛く、苦しいのだろうか。《スタッフ山中のつぶやき》
こわい。
行為としてみれば、至極単純なことなのに、
そこに手を触れるのことがどうしても怖かった。
指が鉛のようにどっしりと重くなって動かなかった。
そこから何が生まれるのか、どうしようもなく自信がなかった。
何よりも恐ろしかった。
普段から触り慣れているはずなのに、
それをしようとするときは一瞬息がつまる感覚さえする。
苦しい。 やりたくない。 どうせできない。 辛い。 こわい。
「書く」ことは、私の中でとてつもなく辛く、苦しいことだった。
書くなんて簡単だよ。
そう店主の三浦は当たり前のように言ってのける。
天狼院店主の三浦は天狼院書店を経営する傍らライターとして様々な本の制作に関わっていて、本のあとがきを眺めては、「あ、これも三浦さんが関わっている本か」と本の文面として登場する三浦崇典と、目の前の三浦崇典とを同時に眺めるということも珍しくない。
そんな彼は、書くのがどーしようもなく、どーーしようもなく「楽しくて」仕方がないと言う。
仕事の話をしている時でも、疲れると、文章を書きたい! となるらしい。
パソコンを前にカタカタとキーボードを打つという行為には変わりないはずなのに、文章を綴るその指は心なしか軽やかに見える。
そんな店主を筆頭に、天狼院という場所には大変に「書く」とこに喜びや夢を持っている人が多い。
東京の店長の川代は天狼院をきっかけに文章を書く喜びに目覚め、今や小説家を目指し、その姿がNHK U-29で特集されている。
その川代の記事をきっかけに天狼院に訪れた京都のスタッフの三宅も天狼院で書き続け、2016年に記事が大ヒット。それが出版社さんの目に止まり、この秋にも書籍が刊行されようとしている。
それを見た人々がまた天狼院に訪れる。そして決まってこう言うのだ
「私、 書きたいんです」
その姿を見て、私は素直にこう思う。
「あぁ、 きっとこの人たちと私とは全く違う人種なのだ」と。
かういう私は、一言で言ってしまえば書くことに大変な苦手意識があった。
中学高校の時にmixiというSNSが多いに流行していた。そこには「日記」という小さなブログのような機能があって、
何か出来事があるとそこに文章を内内だけで公開するというのが私たちの中では当たり前になっていた。
部活の練習がきつかったーとか。先生の話がつまらなかったー。とか
その程度の話。箸が転んでもおかしいこの頃の私たちにとってはそんな日常の一つ一つが日記のネタとなっていた。
でも、私はその日記と書くことすらもひどく億劫だった。
何か高まる感情があって、どうにかしてこの気持ちを伝えようとはるするのだけれど、
この文章を読む人は楽しんでくれるのだろうかとか、
早く言いたいこと言って終わらせてしまいたいだとか、
珍しく長く文章が書けても、これ面白いのか? だとか、
そもそも私はそんなに書きたいという思いがないんじゃないか? だとか
そんな思いがぐるぐると頭を巡るばかりで、画面上の文字は一向に増える気配がない。
そんな友人しか見ていないような、小さな日記に対してさえ、
「書く」ことは私にとってひどく苦痛なことだった。
「書くことができない」というのは天狼院書店で生きていく上ではひどい致命傷である。
自分の記事を書くにしても、イベントを立てるにしても、雑誌を作るにしても。どうしても「書く」ことが重要になってくる
「書かないスタッフはクビだ!」と言い放つ店主を、横目にビクビクと過ごす日々もあった。
でも、どうしても書けない。
なんとか必死の思いで1つの記事を仕上げたとしても
それを生み出すまでが苦痛で、苦痛でたまらない。
パソコンを開き、ワードソフトを立ち上げるたびに、キーボードの上の指がピタリと止まる。
頭の中の考えをどう文面にすればいいのかを思い悩んでしまう。
気がつけば、私は文章を書くことを諦めていた。
書くのは他の優秀なスタッフにまかせればいい。
私のような「書くのが苦手な人種」は他に必要な仕事をすればいい。
そう自分にいい聞かせて
福岡天狼院のオープンも、スタジオ天狼院のオープンも、京都天狼院のオープンもせっせと準備に勤しんだ。確かに楽しかったものすごく。
でも、なぜだろう。何かが、何かが足りないような気がしてならなかった。
すごく貴重な体験をしているはずなのに、何か思いがこみ上げてきているのに、私はそれを表現することができない。
感じたことを、思いを、感動を自分の中にいっぱいに溜め込むばかりで、それを表現する術を見失っていた。
どうすれば伝わるのだろう。 どうすれば届くのだろう。
そう悶々と私が天狼院にいながら文章から離れている間、川代は天狼院を離れながら文章は書き続けていた。
天狼院を卒業し、就職した会社ではたらきつつ、その上で自身の作品を書いていたのだ。
よく、そこまで書けるなぁ。 書くことが苦痛なんて思ったことがないんだろうなぁ。
川代が天狼院にふらっと遊びに来た時は決まって三浦と三人でご飯を食べた。
もっぱらの話題は川代の書く「文章」についてである。
仕事をやっていても、ご飯を食べていても「書く」「書く」「書く」話し。
三度の飯より書くことが好きなのだろうか。やはりこの人たちは私とは人種が違う。
でも、その中でふと川代は険しい顔で確かにこうつぶやいた。
「あぁ、もう。 苦しい」
川代の小説はそのときちょうど行き詰まっていた時で、その相談も含めてのご飯会だった。でも、
苦しい? 書くことが? あの川代ノートが大人気の川代でも?
それに対して三浦は満面の笑みで
「いいね、いいね〜。 苦しむほどいいよ〜」
苦しむほどいい? とは。書くことはこの二人にとっては楽しいことなんじゃないの?
はてなが頭の中にいくつも浮かぶ。
苦しい? のか。書くことは苦しいのは当たり前なのか?
そして立て続けにこう続く
「でもそれを超えると、本当に楽しい。それも含めて楽しい」
ぎくり。
背中から何か鋭いものを心に刺さされたような感覚に襲われる。
そうか、私は、苦手だとか。忙しいだとか、いくつも自分が書かない理由を並べ立てて、ただ安心していたのだ。
書けないのは仕方がないことだと言い訳ができるようなそれらしい理由を並べ立てて苦しい行為からただ逃げていただけだったのだ。
あんなに文章が好きで、毎日のように文字と触れ合っている川代も、ライターとして大いに活躍している三浦もと私との違いはたった一つ。
「書きたい」という思いに正面から向き合っているかどうか。
ただそれだけだった。
どうすれば伝わるのだろう。 どうすれば届くのだろう。という気持ちに背を向けて、
書くことが苦手だと、自分の中の表現したいという思いに向き合うことをやめていた。そんな私が書けないのは当たり前のことだった。
だって、書いていないのだから。上達何もあったものではない。
それに対して、天狼院で文章を書き続ける人たちは。ただただ素直に表現したい思いにまっすぐだった。たまに苦しくても、それ以上に表現したい何かがあって、それを どうすれば伝わるのだろう。 どうすれば届くのだろう。
と考えた考えて、書いて書いて書いていたのだ。
彼らと、私との違いは人種なんて大それたものではなくて、そのたった一つの違いでしかなかった。
逃げずに書く。 とにかく書く。
自分の表現したいという気持ちに正面から向き合う。
そう、結論は簡単である「書く」しかないのだ。
書いて書いて書いた後には、あれ何が苦しかったんだっけ? と言うくらいの突破口が見えてくるのかもしれない。
その壁を破らねばと、日々もがくばかりである。
でもやはり、どうしても苦しい時がある。
「三浦さん、 書くことを楽しむところまで行くにはどうしたらいいのでしょうか」
「ふふふ、それはね……」
はぁ、その質問に答えるのすら楽しそうなのは、その答えが旅先である熱海の海にあるからなのかもしれない。
***
***
*【天狼院旅部7/29〜30熱海-初島】「書く楽しさ」と「撮る楽しさ」を発見する旅。熱海温泉・初島で学びと癒しを満喫する大人の夏休み《ライティング・ゼミ特別講座+パーフェクト・ポートレート講座/初めての方大歓迎!》お申込の受付中です!
【天狼院書店へのお問い合わせ】
天狼院書店「東京天狼院」
〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
東京天狼院への行き方詳細はこちら
天狼院書店「福岡天狼院」
〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
天狼院書店「京都天狼院」2017.1.27 OPEN
〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。