悪い男に愛されて
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記事:村山セイコ(ライティング・ゼミ通信コース)
悪い男に愛されたせいで、私は婚期が遅れた。
私と男は33歳の歳の差があった。
男は髪型や洋服だけでなく、仕草や受け答えの全てを丁寧に褒め、私を特別だと言った。
男の称賛に値するもの、それが私の選択基準となった。
私と男との関係は、35年も続いた。もはや私は男の作品とも言えるかもしれない。
男には妻がいた。
妻のことも愛している。妻に対する愛情と、私に対する愛情は違うのだそうだ。
私に対してそうである男が、他の女にもそうでないはずがない。男の周りには常に女の匂いがしていた。妻は気が休まる時が無かろう。夫でなくて良かった。纏う香りが変わるたび、心からそう思った。
男の若さや美しさや豊かな髪を年月が奪っても、男の湧き出るエネルギーは止めることは出来ず、世の女を魅了し続けていた。男は仕事に野心を持って結果を出し、好奇心旺盛でいつも楽しそう遊び、人々の中心で豪快に笑っていた。髪が薄くなってもモテる男はモテるんだなと、年を経るにつけ私はそれを尊敬すらした。
私が男に抱かれていたのは、出会ってから数年の間だけだ。
私が他の女達と違ったのは、男の隣に寝るためではなく、男の話を聞くために長く時間を割いたからだろう。
私は男の関心を引こうと猫撫で声も出さなかったし、口紅でマーキングもしなかった。
ただ、男が話をしようと寄って来た時には、手をとめて話を聞いた。
「僕のことは、誰よりも君が知っているよ」
長く話しをした後に、男はよくそう言って笑った。
50歳を過ぎた男が会社から独立して間もなく、私は仕事をサポートすることになった。部屋に置かれていた書類をふと見ると、内容はともかくレイアウトがガタガタで、とても商品になるクオリティでは無かった。男は営業力があり、開業当初から仕事を貰えていたが、事務仕事はまるでダメだった。呆れたついでに書類1枚をサッと作ってしまった私に「凄いね! こうして直ったのを見ると凄さが分かる。この才能は僕に無いなぁ。ちなみにこっちはどう?」と言って、ニコニコしながら別の書類を差し出した。それが1つ、また1つと続いて、いつの間にか私を男は「僕の秘書」と呼ぶようになった。
男の仕事だけでは関係が行きづまりそうだった私は、本業は辞めずダブルワークをしていた。忙しい時期には週末がつぶれ、ストレスも溜まった。今日こそは文句のひとつも言ってやろうかと思いながら仕上がった書類を渡すものの、男が私の仕事ぶりを子供のように喜ぶのを見ると、まぁ許してやるかという気持ちになってしまった。この人たらしめ・・・・・・。
男が倒れたのは、仕事のパートナーになって5年が過ぎた頃。受ける仕事を選べるほどに事業は順調だった。しかし、病院で診断を受けた時にはもう末期の癌だった。
男は大好きな酒を止められ、極力大人しく過ごすことを求められ、唯一病から気をそらすことが出来るのは仕事だけになっていた。
私は男の入院先にパソコンを持って通い、談話室で仕事を手伝った。昼間はパジャマから洋服に着替え、パソコン画面に向かってイキイキと仕事をする男は、腕から伸びる点滴の管が無ければとても病人には見えなかった。そんな男の姿を見た妻は私を喜んで迎え、土産まで持たせた。
当の本人はと言えば、毎週通い詰める私に「他に男はいないの。いい歳なんだから結婚しなさいよ」とよく言っていた。その割に、仕上がった書類を眺めては「ありがとう、君無しにはもう仕事が出来ない。本当に感謝している」と言い、また私を週末病院に向かわせるのだった。
年末も差し迫ったあの日、妻から連絡が入った。男の容態がいよいよ悪くなった。それでも私が作った書類を眺めて嬉しそうにしている。意識があるうちに会いに来てほしい、と。急いで仕事を片付け会社の休みを取った翌朝、男はホスピスに部屋を移していた。
部屋に入ると、妻と娘が付き添っていた。男は痛みに時折顔をゆがめていたが、私の顔を見るなりかすれ声で話し始めた。耳を近づけると、こんな時まで仕事の話しだった。
あとは私がちゃんと整理するから安心していいと伝えると、男は安心したように頷いて「少し休む」と目を閉じた。
妻と娘は席を外し、病室は二人きりだった。
男が目を閉じている間、私はこらえきれずに泣いた。
私を世界で一番に愛してくれた男がこの世を去ろうとしている・・・・・・。
声を殺すことは出来なかった。
ほどなくして寝息を立てていた男の目が、静かに開きはじめた。あぁ、逝ってしまう!
私は「待って!」と言って病室を飛び出し、妻の元へ急いだ。
「早く来て!様子がおかしい!!」
私の声を聞いた妻と娘が休憩室から飛び出してきた。
私たちが病室に戻り男の手を握った時、ふぅっと大きな溜息をついて息を引き取った。
ホスピスに移ってから、まだ数時間しか経っていなかった。
あの日あの時あの瞬間まで、これまで付き合ってきたどの男よりも、私を愛していたのは間違いなくあの男、父である。
父が居なくなって、父を基準に選んでいた、全てが意味を無くして似合わないように思えた。洋服を整理し、髪型を変えた。バリバリと仕事をする明るく活発な人という、好みだと思っていた男性のタイプすら、父に似た、父が喜ぶ人を選んでいたことに気が付き愕然とした。
愛情という呪い。きっと、父が死ななければずっと解けなかった呪い。
心に穴をあけたまま、仕事の後始末に奔走している私の前に1人の男性が現われ、半年後に婚約した。父と間逆の、穏やかで心休まる時間を共有できる男性だ。すると周りは口をそろえて「お父さんが連れてきてくれたんだね」などと言う。死んでもなお、娘を愛する父親なのだと。
違う、呪いが解けただけなのだ。本当に、本当に悪い男だ。
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