春子さんの話
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:渡邉幸恵(ライティング・ゼミ日曜コース)
私の仕事は訪問看護師。
訪問看護師とは、病気や介護が必要な方の家に直接訪問する看護師のことで、白衣は着ていないためヘルパーさんとよく間違えられるのだが、仕事の内容は病院に勤める看護師と同じである。
この仕事を初めて10年を超えた。ベテランと言っていいのだろうか、年数だけは重ねたけれど大変な仕事だと感じている。病気や介護の状態の方が家で過ごすのは、不安や心配も多い。病院の入院期間が短くなったことをうけ、病状が不安定な方やガンの末期、人生最期の時を家で過ごす方も増えてきている。看護師としての責任を考えると、それは重く、大変だと感じるのだ。
ただ大変なことばかりではない。病院と違って生活をしている空間にお邪魔するためか、その方が大切にしているものや人、想い出話に花が咲き、楽しい時間を過ごすことも多い。印象に残っているエピソードのほとんどは、その方の人生の何か、何処かに触れたような体験で、まるで小説や映画のような人生の物語に、励まされたり教えられたり、ケアを受けているのは私の方ではないか? と思ったりもする。
私が春子さんと出会ったのは、訪問看護師を初めて3年目のころ。仕事にも慣れ、リーダーを任されるようになり、忙しい日々を送っていた。
春子さんは94歳の女性。寝たきりとなって数年が経ち、その間、自宅で介護してきたのは娘さん。春子さんは、この娘さんと二人暮らしだ。
「春子さん、おはようございます。今日も暑い一日になりそうですよ。庭のサルスベリがきれいに咲きましたね」「あら、今年も咲いたのね」
そんな挨拶をしながら、血圧を測ったり、娘さんに様子を伺ったりする。今日のように会話がスムーズにいく日もあれば、日によってはチグハグなときもある。認知症を患い少し物忘れがある春子さん、年齢を考えても少々耳が遠くなり、会話がチグハグになるのは仕方のないことでもある。認知症なんてなんのその、お体を拭いたり着替えをしながら楽しい会話が続く。
ある日なんて「春子さん、今、何かやりたいことがありますか?」と尋ねると「恋がしたか~」と即答の春子さん。
一瞬の沈黙の後、娘さんと大爆笑。「もう~お母さんたら~」と娘さん。
優しく微笑む春子さんの人生はどんなものだったのか? 想像してみる。春子さんが生きた時代を考えると苦労したのは簡単に想像がつく。生まれた時から幾つかの戦争を越え大人になり、自由な恋愛は許されなかったはずだ。結婚してからも家族のために家事、育児をする毎日。それは春子さんにとって当たり前のことで、そうやって日々の生活を繰り返しながら一家を支えてきたのだろう。優しく見守る娘さんの笑顔を見ると、母親としての春子さんの苦労をわかっているのだろうと思う。
「春子さんの楽しみは何だったの?」「春子さん、幸せな人生だった?」尋ねたら何と答えるのだろうか。
少しずつではあるが、春子さんの様子が変化していったのは秋の頃。ウトウトまどろむ時間が増えてきた。声をかければ目を開け会話もするのだが、少しするとやっぱりウトウトし始める。
春子さんの元気な声を聞くことが少なくなってきた、ある日のこと、いつものように「おはようございます、春子さん」と声をかけた。
すっと目を開け、私と目が合うと「あなたの幸せは、あなたの中にある」「あなたの幸せは、あなたの中にある」そう繰り返すと目を閉じた。
「えっ春子さん、何?」それに答えることはなく謎の言葉を残し、春子さんはウトウト夢の中へ。
私はというと、突然の言葉に訳も分からず何故か涙が溢れてきた。涙の理由も春子さんの言葉の意味も、その時はわからず溢れる涙を必死で堪えた。
いつものようにケアを終え帰路についた私は、春子さんの言葉を思い出していた。その頃、私は胸の中に誰にも言えない辛さ、悲しみを抱えていたのだ。「なんで私ばっかりこんな目に合うの?」人知れずそう思い悩んでいた。
「幸せはあなたの中にある」春子さんが放った言葉は、一瞬で私の胸の中の一点を貫いた。
まるで弓道の矢のように。
放たれた矢は一切の迷いを捨て、的の真ん中の黒をめがけ空を駆け、その黒のど真ん中に「ずばっ!」と突き刺さった。まさに「的中」。
隠していた辛い気持ちを春子さんに話したことはない。春子さんの言葉は偶然かもしれない。でも、94年間生きてきた春子さんの言葉には重みがあった。春子さんの苦労に比べたら私の悩みなんて些細なこと、そう思えた。語り尽くせない春子さんの人生の物語は、たった一言の中に含まれていて、私の胸の奥まで一瞬にしてたどり着き、突き刺さったのだ。
帰路の車の中で春子さんの言葉を思い出し泣いた。
「春子さん、幸せだった?」私の問いに、春子さんは微笑みながらこう答えるだろう。
「幸せかどうか決めるのは自分よ」
あの時、春子さんが放った矢は、今も私の胸の中のど真ん中に刺さっている。
「幸せは、ここ」と。
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