ぬかるみ
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:菊地 優美 (ライティング・ゼミ 日曜コース)
足元がぬかるんでいると下を向いてしまう。
3月中旬になっても、青森の海沿いの町は雪が残り、ぬかるんだままだった。そんな海沿いの町を歩いていた2011年、私はあの大きな地震にあった。
実家は岩手だったけれど、幸い大きな被害はなかった。ただその時は、家族の無事を確かめるすべもなく、呆然としていた。
携帯電話が不通、テレビが見られない、だって電気が来ない。物が買えない、お湯が出ない、高速道路が遮断。世界が止まってしまったと思った。
わたしはぼんやりと、「世界はこんな感じで静かに止まり始めて、知らないうちに終わっちゃうんだろうな」と思っていた。
実際、世界は止まることなく動いてくれて2013年、私は荒吐ロックフェスティバルにきていた。毎年宮城県で行われる、野外ロックフェスティバル。ロック好きの友人と連れ立って毎年参加しているこのフェスだけど、春先の山奥で行うからまったく天候が読めない。その年も、春の雨の中、わたしの足元はぬかるんでいた。
「ねえ、もしかしてまさみんじゃない?」
ぬかるんだ地面を気にして下を向いていたわたしは、頭上からの声にびっくりして顔をあげた。
「あいだ先輩!」
大学時代の先輩だった。先輩の卒業以来、5年ぶりだった。そうだ先輩、軽音部だった。誰目当てでいらしたんですか? と言いかけた私を遮って、開口一番先輩は言った。
「ねえ、大丈夫だったー? 地震」
ぐっと答えに詰まった。
あの地震の後、わたしはいつもこれを聞かれた。
そもそも、大丈夫? って言葉が苦手なのだ。たいてい大丈夫じゃないときに言われることが多いし。でも、大丈夫? って聞いてくれる配慮には大丈夫だよって答えるのが当たり前なのだ。
だから
大丈夫なわけないじゃないですか
今も帰れない人たくさんいますし
なんもかもなくした人たくさんいますし
だって町が無くなってますし
だって人が死んでますし
そんでそれ全部、私がよく知ってる町で起こってるんですよ
なんて言えない。
言ったところで仕方ない。だって先輩全然悪くない。
だから
ええ私の実家岩手なんですけど幸いみんな無事で
そんとき青森住んでたんですけど
電気使えなくてしばらく困ったくらいで
まあ今普通に生活できてますし
だからまあ全然大丈夫です
っていつも言っている答えをすらすら伝えた。
東京生まれで卒業以降、東京で暮らしている先輩は
「へーそっかあーよかったあー心配してたよおー」というと
「そのうちご飯でもいこー。またラインするねえー」と言って、雑踏の中に消えていった。
この質問に「大丈夫」って答えるたびに、心配してもらってるのはわかるのに、いつもなんか落ち込んだ。大丈夫でごめんなさい、私無事でごめんなさい、こんな風に楽しんでいてごめんなさい。大丈夫じゃない人に申し訳なくなる。そもそもわたし、ほんとに大丈夫なのかな。大丈夫? って確認されると自分の気持ちすらわかんなくなる。
一歩踏み出すと、ぬかるみに足を取られて滑りそうになった。あわてて足元に視線を落とした私に、不意に声がかけられた。
「岩手なの?」
振り向くと、さっきまでステージに立っていたベーシストがいた。有名な人ではないけど、楽しそうに演奏する姿が素敵な人だ。彼がサポートしているバンドを見るのが今回のフェスの目的の一つだった私は、驚いて挙動不審になってしまった。
「え、あ、はい」
え、さっきまでステージにいた人が私に話しかけてくれてる。こんな風にステージと客席の境界があいまいになるからフェスはやめられない。
「そうなんだ。あのさあ」
あ、もしかしてまた大丈夫? って言葉か。
今日は正直もうこの言葉、聞きたくない。ていうかほっといてほしい……
「俺岩手のサンマ、すごい好きでさー。
前ライブで三陸行ったんだけど、すごいよね美味しくてビールに合うの。
あれまた食べてぇなー。
そのうちまた行くからサンマ食べに、そんときライブするしよかったら来てね、
俺もサンマ楽しみにいくから」
マシンガンのようにそれだけ言うと彼は、かんぱーい、とビールを高々と上げて雑踏に消えてしまった。
え、あ、あれ?
大丈夫? じゃないんかい、サンマって。
いや、サンマ美味しいけど。サンマ?
なんだか笑ってしまった。
そうだサンマ美味しいことなんて、すっかり忘れてた。
大丈夫?って言葉を聞くたびに、足元ばかりみていた私は、すっかり周りが見えなくなっていた。
そうだ私の地元は美味しいサンマがあったんだった。
なんもないけど自然に囲まれたきれいな場所なんだった。
みんなから大丈夫? なんて心配されるような場所じゃなかったんだった。
そう言えば彼はライブ中にも、大丈夫? なんて一言も言わなかった。
がんばろう東北、頑張ろう日本もいわなかった。
そのかわりに、今日は天気悪いけどこんなにきれいな自然の中で演奏できて最高です、牡蠣食べて帰りますって言ってた。
彼は今、大丈夫? って心配のぬかるみにはまって抜け出せなくなっている私たちに、こんなに豊かな部分たくさんあるんだから、お前ら大丈夫に決まってんだろって教えに来てくれてるんだ。彼らの音楽で、トークで、彼らが楽しむことで、全力で教えてくれている。
足元はまだぬかるんだままだ。でも、かんぱーいって手を上げて上を見れば、曇天が見えた。いつまでもぬかるみにはまってても仕方ない。曇天でもいいから空を見ないと、この先の天気だって読めない。
これからは大丈夫? って聞かれたら、自信をもってこう答えられる。
私のロックスターがくれた最高の一言だ。
「大丈夫です、サンマ美味しいんで」って。
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