母が「わたし」になった日
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記事:Okami Chie(ライティング・ゼミ日曜コース)
私にとって、母はいつまでも母であり、母にとって、私はいつまでも娘である。
実家暮らしだった頃、社会をまだ知らない私は子供で、親の気持ちなんて当然わからず、大変にわがまま娘であった。
いつも自分のことばかりで、母に何かしてもらうことを当たり前に感じていた。
だからこそ、してもらえないことがあれば腹を立て、そのくせ、口出しされることを嫌がったりもした。
欲しいものを買ってもらえないと駄々をこね、遠足のお弁当の見栄えを指摘したり、習い事用の手作りバッグの柄が気に入らないと拗ねたりもした。
門限を破って帰宅して怒られたり、言葉遣いをたしなめられたりすると、何が悪いのかと反抗したこともある。
無償の愛を欲しがりながら、愛ゆえの厳しさを受け入れることはしない娘を、母はどう思っていたのだろうか。
喧嘩をしても翌日の朝ご飯は用意されるし、どんな日だってお弁当は必ず作ってくれていた。
友人関係や就活で上手くいかず、八つ当たりしたときですら、アドバイスや労わる言葉をかけることはあっても、私を責めることはなかった。
いつだって、母は「お母さん」として私に接していたのだ。
母が「お母さん」として娘の私に愛情を注いでくれることに対し、何の疑いももたなかった私は、その優しさに甘えきっていた。
母に頼りっきりで、自立できていない私が一人暮らしを始めることになったのは、就職し、会社の転勤で札幌へ行くことになったからだった。
親元を離れて初めて親のありがたさに気づくなんて、自分でもよくある話だと思う。
正直、自分が自立できていなかったことすら、そのときまでわかっていなかったくらいだった。
料理はおろか、洗濯機の使い方すらわかっていなかったのだから恥ずかしくなる。
仕事から帰ってきてから夜ご飯を作るだけでも精一杯なのに、朝ご飯とお弁当を用意するのなんて不可能だった。
それを当たり前のこととして、私は母に要求していたのだから、本当に頭が上がらない。
しかし、経験しないことには理解できないというのは、母も同じだった。
母は母で、娘の私に対して思うところはあったのだろう。
私が生まれた瞬間から「お母さん」という任務を任され、22年が経過した。
私がいる以上、母は母であり続けなければならない。
そんな私が家を出た。
母は急に「お母さん」から解放されたのだ。
22年間「お母さん」であったのと同時に、母は50年間、一人の女性でもあった。
しかし、この22年間のほとんど全ての時間を「お母さん」として費やしてくれていたのだった。
もちろん、実家を出た後も遠く離れた私を気にかけ、ことあるごとに世話を焼いてくれていたので、「お母さん」業を完全に辞めたわけではない。
それでも、「お母さん」としてやらなければいけない諸々がなくなったとき、母は自分を見つめなおし、同時に私のことも「娘」としてではなく一人の女性として見られるようになったのではないかと思う。
それが明確にわかったきっかけがあった。
母が札幌まで会いに来てくれたときのことである。
メールや電話をすることはあっても、会うのは半年ぶりくらいだったと思う。
二人で、札幌の奥座敷と呼ばれている定山渓温泉に行った。
実家暮らし時代も、二人で旅行に行くことはあったが、温泉旅行は初めてだった。
親と裸の付き合いをするというのが気恥ずかしいところもあったのだが、せっかく遠くまで来てくれたということもあり、疲れを癒して欲しい気持ちもあった。
部屋に着き、浴衣に着替え、さっそく温泉に入りに行こうとなった。
「洗面所にタオルがあるよ」
タオルを見せながら母に声をかけた。
「わたしの分も持ってきて」
普通の返事である。
しかし、私は何か違和感を覚えながらタオルを2つ抱えて温泉に向かった。
そしてふいに気がつく。
母の一人称が「お母さん」から「わたし」になっていることに。
これまでだったら
「お母さんの分も持ってきて」
と言っていただろう。
全く言いよどんだ感じもなかったので、きっと無意識に「わたし」を使ったのだと思う。私の前ではないとき、たとえば母の友人に対してであれば、当然一人称は「お母さん」ではないはずだから、母は私の前でだけ「お母さん」と言っていたと考えられる。
半年間私がいないことで、母は「お母さん」の時間がなくなり、「わたし」になっていたのだ。
そのときから、私も母を、母でありながら一人の女性として、それも頼りになる最も身近な人として見るようになった。
母の一人称が変わった。
ただそれだけのことだけれど、あの温泉の日から、私と母の関係は変わったと思う。
母も私も、それぞれ母と娘であることに変わりはないが、お互いに一人の女性として向き合うようになったのだ。
そして、私はこれから母のような「お母さん」になろうとしている。いつか「わたし」になる日まで。
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