ていねいな暮らしとカット野菜
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:岡尾哲兵(ライティング・ゼミ 平日コース)
「ていねいな暮らし」という言葉を見たり聞いたりすることが、最近、増えてきたような気がする。この言葉から連想されるのは、掃除の行き届いた部屋、豆を挽いてからゆっくり入れるコーヒー、無農薬の野菜、手の込んだ料理、ノー化学調味料、ノー顆粒だし……。挙げればきりがないが、こんなイメージを共有できる方も多いのではないのだろうか。
いけ好かないと思う向きもあるだろう。暇か? 暇なのか? と詰め寄りたい気持ちになる人もいるかもしれない。ぼくもその口である。日々の生活が忙しい人にとっては特にそうだろうと思う。で、日々の生活が忙しくない人など、この世にいるだろうか(反語)。
ただ、不思議と印象に残る言葉で、ていねいな暮らしから離れてしまっている現状には若干の後ろめたさや罪悪感も喚起される言葉である。主婦の方なんかは特にそうではないだろうか。
この「ていねいな暮らし」という言葉には何かありそうだ。もう少し注意深く見ていこう。
冒頭に挙げたものの中では、僕は料理が比較的好きなので、その気になったときには、出汁をとるところから始めて、しっかり下ごしらえをし、味付けも仕様(揚げ物、煮物、焼きもの等)も違うものを2-3品こしらえて、その上でスタイル(和風、イタリアン、エスニック等)は統一させることもやぶさかではない。
ただ、こんなことをしていると時間がかかってしまって仕方がない。食はあらゆる意味で重要であると思う。美味しいもの食べると単純に幸せな気持ちになるし、健康のためにも、自炊で過剰な味付けのものをとらないのは良いことだ。外食や中食よりも費用がかからないのも大きなメリットだろう。しかし、今の僕にとってはプライオリティが低い。なぜなら、このライティング・ゼミを始めとするスキルアップや、日々の運動、それからもちろん本業の仕事にこそ時間を割きたいと思っているのだ。
そんな料理好きの僕の食事は、コンビニのカット野菜+惣菜か鍋が定番である。今はできるだけ時間とコストをかけないことが至上命題である。なにかをしながら食べることも多いので、コンビニ飯が最良の選択なのだが、そればかりでは飽きるし費用も嵩むので、簡単に作れて満足感の高い鍋も活用している。特にこの季節にはもってこいだ。夏場はカット野菜+冷奴+焼き魚のようなメニューになる。焼き魚は電子レンジのオーブン機能を使えば、すごく簡単に焼ける上に、ほっておけるので、時短にはもってこいである。
お気づきかと思うが、現状は「ていねいな暮らし」とはかけ離れてしまっている。料理好きなので、今の状況には少しの切なさを感じなくもない。が、この暮らしが「ていねい」でないとは思わない。
思えば5年ほど前に現職に就いたときには、ある種の諦念を覚えていたように思う。勝手に「上がった」ような気になって、仕事一本でいくんだなんてうそぶきつつ、自分を磨くこと、向上することを放棄してしまっていたのだ。その頃は、今よりもずっと、ステレオタイプな「ていねいな暮らし」に近い生活をしていたはずだ。コーヒーも好きなので、コーヒーミルを買って、布のフィルターでコーヒーをいれたり、さっきも書いたがしっかりした料理をこしらえたりしていた。ただ、僕の生き方はむしろ雑だった。
「ていねいな暮らし」には時間に追われることなく、自分のペースでゆったりと生活しているイメージがある。そういったかたちの「ていねいさ」というのはあると思う。決して否定しないが、他の「ていねいさ」もあるのではないだろうか。
僕にとっては、時短を徹底することが「ていねいさ」の発露に当たるのだと思う。
とどのつまり、時間の使い方の質にどれだけこだわるかということなのかもしれない。
ある人にとっては、それが掃除の行き届いた部屋であり、またある人にとっては早起きしてコーヒー豆を手で挽く瞬間であるのだろう。それが今のぼくにとっては、カット野菜で食事をすませることであり、また別のあるひとにとっては、子どもと一緒に出前をとったり、ファミレスで夕食を食べることなのかもしれない。時間の質というのは、は同じ行動をとっても、その人の置かれた状況や思いによって大きく変わるのではないか。
考えてみれば、「ていねい」というのは不思議なことばである。具体的なイメージを喚起する言葉でありながら、その実、程度を表している。ただ、その程度も多い、少ないという量的な尺度だけではなくて、ひたむきさ、真摯さのような要素がないと、成立しない感じがする。そういう意味では、この「ていねいな暮らし」ブームが我々に投げかけているものは、存外、大きな意味をもっているのかもしれない。
自分の生活を見つめ直し、真摯に向き合う契機ととらえるのも良さそうである。カット野菜をほうばりながら、僕はそんなことを考えた。
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