バナナの皮で滑りたい、だって羨ましいじゃないか
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記事:コバヤシミズキ(ライティング・ゼミ平日コース)
自分が“面白い”自信のある人って、世の中の何%を占めてるんだろう。
案外、多いんじゃないだろうか。私だって、自分自身のことを面白いと思ってる。
まあ、「これは面白くねえな」と思ったら喋らないし、逆に「このセリフはヤバい、超面白い!」と思えばベラベラ喋る。みんな、そんなものだろう。
だから、ショックだったのだ。
「コバヤシの面白いって、ちょっと難しいよね」
“面白い”が“難しい”? それってめちゃくちゃ破綻してない?
「あれ、もしかして私、面白くない?」
“面白い”ってなんだっけ。
何度も同じ言葉を見ていると、それがなんだったか分からなくなってしまう。まさに今、私は“面白い”にお手上げ状態だった。
どうやら私の思う面白いは、他の人の面白いにマッチしないらしい。別に語れるほど大仰な定義などないし、難しい言葉は使っていない。そもそも語彙力が底をつきがちなのだ。難しい成分一切無添加。胸を張ってそう言える。それなのに、難しいと言われてしまうとは。ぶっちゃけ納得いかなくて、ちょっとふて腐れた。
「難しいってどういうこと?」
「あー、独特すぎて、ちょっと」
面白いっちゃ面白いんだけどね〜、と彼女は笑った。私も苦笑いで返す。彼女はいい人だ。私の面白いを難しいといえど、肯定はしてくれるのだ。でも、私が困ったのはそこではない。
「出たな、独特」
ああ、嫌な言葉である。何の因縁か分からないけど、私の人生18年にはどうもこいつが付きまといがちだった。
「独特=面白い」は成り立たせたくないのが本音。
独特を良い意味で捉えるには、私の心の広さと頭の柔らかさが足りないみたいだ。性格の問題もあるかもしれないけど、どうにも喜べない。褒め言葉としては少し残酷。そうだというのに結構長いこと、こういうレッテルを貼られ続けた。
「変わってる」
「独特」
「変人」
「普通じゃない」
評価って貴重だよね。嫌がらず受け入れよう。素直になれ。素直であれ。
「ブス」と言われたら「ブス」になるように。「美人」と言われれば「美人」になるように。増えたレッテルに埋もれた小林瑞季が、「コバヤシ」になるまでそう時間はかからなかった。
“面白い”に公共性ってあるんですか。
きっとあるんだろう。あるからこそ、私は自分自身が面白いと思うのだ。
私「コバヤシ」という人間は、周りの評価で出来上がった人間である。これはもう、どんなに私が否定しても覆しようのない事実だ。だからこそ私は声を大にして言いたい。
「私を作ったのが周りなら、責任を持って面白いと言ってほしい!」
むちゃくちゃである。でも、これは仕方が無いのだ。
周りの人間が私のことを「変わっている」と言うなら、多分それは悪い評価じゃない。だって、私の周りは優しい人であふれているから。それを私もよく分かってる。だから、その評価を信じて突き進んだ私が、「変わっているコバヤシ」になるのは当たり前のことだ。
でもそれなら、私の“面白い”にだって公共性はあるに違いない。
なにしろ「コバヤシ」を作り上げたのは、まぎれもなく周りの人間なのだ。周りが正しいと、これがコバヤシだと言った。
「じゃあ、私は公共性のある人間といってもおかしくないんじゃないか」
私が自分自身を面白いと思う理由はこれである。暴論かもしれない。正直、こうでも思ってないと気が狂いそうになるのもある。しかし、これを否定されてしまうと、もう私に逃げ道はないのだ。
私には、普通という贅沢が許されない。
それはすごく苦しい。誰だってみんな、認められたい。人間は承認欲求が強い生き物だって誰かが言ってた。それは私だって同じだ。
「小林って、面白いよね!」
この一言を引き出すのに、あとどのくらい頑張れば良いんだろう。面白いって言われたい。誰にでも分かるように、面白いことを言いたい。それでも小林瑞季の意思に反して、今日もコバヤシが訳の分からんことを言ってしまう。
誰か、コイツをどうにかしてくれ!
“面白い”ってなんだったかな。
ふと、幼稚園で見た『トムとジェリー』を思い出した。当時私は『トムとジェリー』にめちゃくちゃハマっていたのだ。
「そういえば、うちにもディスクがあったはず」
思い立ったが吉日。ディスクを探し出し、久しぶりに『トムとジェリー』を観た。
・・・・・・死ぬほど面白かった。
彼らは決して普通じゃない。そもそも人間ですらない。それなのに、いつだって私はゲラゲラ笑うことしか出来ないのだ。
この差は一体何だろう。公共性のある彼らにあって、公共性があると自称する私にないものは何だろう。
「あ」
気づいたらトムがバナナの皮で滑っていた。それを見て、ジェリーが腹を抱えて笑っている。滑稽。シュール。自然と口角が上がるのが分かる。
「ずるいなあ」
バナナの皮が落ちている確率なんて数%にも満たないのに。普通じゃないのに、誰から見ても面白いなんて。
羨ましいじゃないか! だから私がこう思うのだって、決しておかしくないだろう。
「私だって、バナナの皮で滑りたい!」
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