太陽がいっぱい《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:小山 眞司(プロフェッショナル・ゼミ)
銃規制がアメリカで騒がれている。嘆かわしい問題だ。
一方日本は暖かい季節になってきた。
長い冬が終わり、春の暖かい日差しを肌で感じるようになると思い出す出来事がある。春といえば「出会い」や「別れ」の思い出が定番だが、僕の場合は少し毛色が違う。もう30年近く前になるが、はじめてニューヨークへ行った時のことだ。これは、銃規制が騒がれる前に冒険を履き違えた得た少年二人の物語である。
当時アメリカに住みだして間もなかった僕のもとに春休みを利用して日本から友人が遊びに来たので、週末を利用してニューヨークへ行くことにした。
世間知らずだった僕たち二人は、ホテルも取らずに僕の住んでいた「常夏のマイアミ」から「憧れのニューヨーク」へ飛び立った。
マイアミから約3時間の空の旅、しばらくすると眼下に自由の女神が現れた。
初めて実物を見ながら
「自由の女神はサンダルを履いている」
「自由の女神がたいまつを持っているのは右手である」
と、子供の頃にテレビで見たクイズの答えを確認していた。間もなく初めてニューヨークに降り立った僕達二人は顔を見合わせて同時に叫んだ。
「寒ぅ〜っ!」
3月のニューヨークは昼間にもかかわらず想像以上に寒かった。つい3時間前までは短パン、サンダルで汗をかいていた二人には余計に寒さが身にしみた。
さすがにサンダルと短パンではなかったが、明らかに周囲の人たちと違う夏の装いで僕達はマンハッタンに向かい、これからしなければいけないことを整理した。
まずはまだ日が出ている間に羽織るものを手に入れることにした。昼間でこの寒さなら、夜になるともっと寒くなるに違いないと予想したからだ。若いのにリスク管理ができていると自分たちを褒めた。僕たちは土産物屋で安い薄手のトレーナーを入手した。胸に「I LOVE N.Y.」とでっかく書かれたトレーナーは一度洗うだけでサイズが2サイズくらい小さくなってしまいそうで、奇しくも友人とペアルックになった。誤解のないように言っておくが、僕たちは極めて平凡な嗜好を持ち合わせた男子二人であり、断じて特別な関係ではない。
続いて今夜泊まるところの確保だ。あちこちホテルに飛び込んで値段を聞くとどれも高い。マンハッタンの物価の高さは想像以上だった。困っていると、大学の春休みを利用して日本から旅行に来ていた女子二人組とたまたま知り合った。事情を話すと「私達の部屋に泊まれば?」と宿泊を承諾してくれた。同じ日本人のよしみからか、それともペアルックの二人だから安心したからかは定かではないが、突如現れた女神達に感謝した。
宿泊先が確保できたらもう怖いものはない。偶然知り合った女神二人とペアルックの男二人の計四人でマンハッタンの夜を満喫した。映画でしか見たことのない道端のマンホールから出る湯気に感動し、ネオンがきらびやかなタイムズスクエアに感動し、黒人の子供が路上でやっていた賭博詐欺にひっかかりそうになり、気がつけば深夜12時を超えていた。
僕達4人は宿泊先に向かった。街の中心地から少し離れたところにあった小さなホテルのフロントで鍵をもらうべく女神達が部屋番号を伝えると、
「そこの二人は誰だい?」
とフロントのおじさんが僕達のことを聞いてきた。
「友達です」
と答えた女神達におじさんは
「夜10時以降は宿泊客以外入れないよ」
と言い放った。色々交渉してみたが、全く聞き入れてもらえなかった。
仕方なく僕と友人は朝まで外で過ごすことを決意した。
ここがおかしい。仕方ないからと済まされる問題ではない。ちょっと考えればわかるのだが、この時はどうかしていたとしか言いようがない。
ただ、いくらなんでも現金やパスポートを持っているのは危険だと思い、何かあったときのために8ドルだけポケットにいれて残りは彼女たちにあずけた。優しい女神たちは部屋から毛布を1枚持ってきてくれた。
この行動が後々仇となることはこの時まだ気づいていなかった。
ホテルの前に公園があったので、ベンチに腰掛けて朝まで過ごすことにした。僕たちは自分たちの置かれている環境も忘れて話に花を咲かせていた。しばらくすると次第に暗闇に目が慣れてきて周りを見回すと、いつの間にか公園で暮らしている人たちに囲まれていた。
身の危険を感じて僕達二人はどちらからともなく、足早にその場を去った。
公園を出たところで行く宛などないが、朝になって迎えが来るまではとにかくどこかで時間をつぶさなければならない。
話し合った結果、次に出た案は「明るい道端で過ごす」だった。
コンクリートの上は固くて冷たく、毛布を下に敷いて凌いだが、吹きすさぶ風が冷たかった。僕たちは新聞紙をみつけてかぶってみた。いざかぶってみるとこれが意外に暖かった。
防寒対策がとりあえず完成した僕たちは大通りの歩道に陣地をかまえて快適な時間を過ごしていた。すると突然背後から声がした。
「ここで何してるんだ?」
振り向くと、アメリカのドラマに出てきそうな若くて小綺麗なカップルが立っていた。
僕たちはホテルを締め出された事や、所持金が二人合わせて8ドルしかないことを説明した。
すると女性の方が
「こんなとこにいると、朝になればあなた達身ぐるみ剥がされてるわよ」
と注意してきた。さらに、
「彼らにはあなた達が価値はないと思えるもの、例えば靴片方でも価値があるの。本当に危ないからやめておきなさい」と忠告された。とは言え、どうしようもない。するとまた女性の方が
「そこに安いホテルがあるから連れて行ってあげるわ。一緒に来なさい」
と言ってきた。散々ビビらされた僕たちはもう彼女らに従うしかなく、その安いホテルがある方向へ向かって歩き出した。
この頃になってようやく自分たちがいかに危険なことをしようとしていたかに気づき出した。
道すがら「何処から来た?」だの、「どうしてホテルを締め出された?」など質問され、説明すると彼らは笑いだし、随分仲良くなった。僕たちはこの二人がホテル代を出してくれると思い込んだ。
ホテルに着き、女性に誘導されて中に入ると、想像していたニューヨーカーとはかけ離れた雰囲気の方たちが、ロビーで映りの悪いテレビを見ながらたむろしていた。突如入って来た「しゅっとしたカップル」と「毛布を抱えたペアルックの東洋人二人」にロビー中の視線が向けられた。視線を感じながら彼女が古い病院の受付にあるような小さな小窓をノックすると、中から黒い眼帯をした右腕のない老人が顔を出して、
「何だい?」
とぶっきらぼうに聞いて来た。すると彼女は僕に
「さ、説明しなさい。いいわね」
と言い残しホテルを出ていった。完全にこのホテルの雰囲気に恐れをなして逃げ出したと思われる二人の背中を見ながら、呆然とその場に立ち尽くした。
その場に取り残された僕たちは不機嫌な表情を浮かべて片目でこちらを見ているフロントの老人に事情を説明して、「明日の朝持ってくるから泊めてくれ」とお願いしたが、
「金のないやつは泊まれねぇ」
と小窓をピシャリと閉められた。
引き続きロビー中の視線は僕達に向けられている。
途方にくれていると、友人がその場の異様な雰囲気を察し「出よう」と言ってきた。しかし、僕はその場に残ることを提案した。確かにこの場所の雰囲気は異様だ。しかし、最低限このロビーにいる連中は僕達がお金を持っていないことを知っているので、逆に安全だと思ったからだ。しかし友人は僕の提案を頑として受け入れなかった。仕方なく夜の街へ戻った。
再び行く宛もなく街中をさまよった。途中でタバコを買うために3ドル使い、残金は5ドルとなっていた。しばらく歩いていると24時間営業のファミレスのようなものがあった。外からガラス張りの店内を見ると客が数組。そしてカウンターの上にあった黒板に「コーヒー1ドル50セント(おかわり自由)」とあった。勝利を確信した。これならチップを入れても5ドルで足りる。後はここで日が昇るまで時間をつぶすだけだ、と店内に入った。毛布を抱えて入ってきた少年二人に注目が集まった。
「ああ、見るがいいさ。その視線にはもう慣れっこさ」
席について僕たちはコーヒーを頼んだ。運ばれてきた熱いコーヒーが芯まで冷えた身体に染み渡った。身体も温まり、ホッとしたのだろうか。急に眠気が襲ってきて僕たちはその場で居眠った。小一時間眠っただろうか。ブロロロという爆音で目を覚ました。店の外に目を向けるとバイクに乗った集団がいた。やがてその集団はガヤガヤしながら店に入ってきた。モヒカン、タトゥー、鼻ピアス……。思いつく粗暴なアメリカ人が各種取りそろえられていた。
彼らは店内の客にちょっかいを出して回り、テーブルの上の紙ナプキンを店中にばらまき出した。すると友人が「出よう」と再び言い出した。確かに今回は異論がなかった。奴らのターゲットにされたらひとたまりもない。急いで会計をしようとした時、テーブルの上に書かれていた文字が目に飛び込んできた。
「12時以降は深夜チャージとしてお一人様3ドル50セントいただきます」
完全に終わった。ポケットには5ドルしかない。タバコさえ買っていなければ、と悔やんだがどうしようもない。ただこの場にいるのは危険な香りがしすぎる。僕はウエイターを呼び、今夜幾度となく説明した僕達の状況を伝えた。そして所持金が5ドルしかないことも伝えた。すると、ウエイターは笑いだして、「チャージはいいよ」と言ってくれた。ウエイターの神対応に心から感謝し、チップを1ドル置いて店を出た。これで残金は1ドルとなった。
店の外に出ると、辺りは薄っすら白んでいた。あと数時間我慢すれば迎えが来る。その希望を胸に僕たちはまた街中を歩き始めた。
夜明け間近のニューヨークは更に冷え込んでいた。しかも、ついさっきまで暖かい場所で温かい飲み物を飲んでいただけに余計に寒く感じた。土産ショップで買ったペラペラの「I LOVE N.Y.」トレーナーでは完全に役不足だった。
次第に明るくなってくると同時に急に冷えた身体を尿意が襲ってきた。公衆トイレには数人が横たわって睡眠をとっていてさすがに用を足すことが出来ない。二人してモジモジしていると目の前にあった八百屋のシャッターが突然開いた。僕達を見て八百屋のおじちゃんは「おはよう」と声をかけてきた。ここはチャンスと僕達も積極的に話をした。昨夜あったことを説明した。偉いもので、回数を重ねたことで、その頃には少し面白おかしく話せるようになっていた。ただ顔は笑っているが内心猛烈な尿意と戦っていた。
おじさんは「そりゃぁ散々だったな」と爆笑していた。気さくで優しそうなおじさんと打ち解けられたので、タイミングを見計らって「トイレを貸してくれませんか?」と切り出した。するとおじさんは満面の笑みを浮かべながら
「客以外には貸せないな」
と答えた。えーっ! あんなに打ち解けたのに? ともすれば人間不信になりそうな程の返しだった。僕達の時限爆弾は爆発寸前だったので、とっさにそこにあったレモンを手に取り「1ドルでこれを買うからトイレを貸してくれませんか?」と聞いた。するとおじさんは「好きなだけ使いな」と言ってくれた。僕たちはすんでのところで爆発を免れた。おじさんに礼を言うと、「ほらよ、おまけだ」と言ってもう一つレモンをくれた。爆発を未然に防げた僕たちは公園に引き返して迎えをまつことにしたが、とにかく寒かった。太陽はもう昇っているのだが高層ビルに囲まれたこの街に日が差すにはまだ少し時間がかかる。震えながら歩いているとビルの隙間から日差しが差し込んでいるのを発見した。幅にして1メートルくらいだろうか。僕たちはそのスペースに座り込んだ。身体がじわーっと温まっていくのが感じられた。初めて太陽がこんなに暖かくてありがたいものだと知った。凍った心と体が一気に溶かされていくのを感じた。あの時太陽の光を浴びながら丸かじりしたレモンの味は忘れられない。
思い出すだけで頬の奥の方が痛くなる。
そして前日たまたま知り合っただけの奇妙な二人を朝になってちゃんと迎えに来てくれた彼女たちは前日にもまして女神たちに見えた。人を信じる心を失くしそうになっていた僕たちはまた彼女たちに救われた。
もちろん、冒険を履き違えた僕達が悪いのだが、ニューヨークがこんな向こう見ずな若者でも夜を安心して明かせる街になれば、どれだけ良いだろうと願う。
30年経った今でも、うららかな春の日だまりを感じるたびに、あの夜のことを思い出す。僕たちはあの夜、少しだけ大人になった。
そして大事なことを2つ学んだ。
旅行の際は宿泊先を確保してから出発するということと、土産物屋で服を買う時はペアルックにならないよう気をつけることである。
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