爪の呪縛から解放された日
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:桑島あつこ(ライティング・ゼミ日曜コース)
「結婚指輪しないの?」
結婚して何度か、職場の人や友人に聞かれたことがある。結婚して数年経ったら指輪をしない女性もいるけど、新婚早々、結婚指輪をしないので不思議がられた。
「結婚指輪は買ってない」と答えると、ほとんどの人が金属アレルギーと結びつけた。理由を言いたくない私は、金属アレルギーということにした。
結婚するとき、二人で選ぶ結婚指輪。どのメーカーの指輪にしようかと心浮かれる一大イベントのはずなのに、憂鬱だった。夫に意を決して「結婚指輪したくないねん。買わんでもいい?」と聞くと、「そうなの?」と少し驚いて、残念そうな顔をした。結局、夫だけが指輪を付け、私の左の薬指はあいたままだ。
指輪をしたくない理由は、アレルギーでもなければ、独身に見られたいわけでもない。爪を見られるのが嫌なのだ。指輪をしているからって、他人の爪なんてまじまじ見ないよと思う人がいるかもしれない。でも、指輪があることで、手に視線が集中する気がするのだ。
私の子どものころからのコンプレックス。短くて小さな爪。おまけに薄くて割れやすい。爪で缶ジュースを開けたことがない。割れた爪に服の繊維や髪が引っかかるのが嫌で、少しでも伸びるとやすりで削る。それを繰り返しているうちに深爪状態になった。長くて丈夫な爪を持ち、綺麗にネイルをしている友人の爪を見て、羨ましく思っていた。
中学生の頃は、割れた爪のせいで寝ている間に顔に引っかき傷ができた。友人から「猫に引っかかれたの?」と聞かれるたびに、恥ずかしくなり爪を隠した。
恋をして彼氏ができたときも、「手を見せて」と言われるのが嫌だった。サプライズで指輪をもらっても、喜べなかった。指輪なんて似合わない爪なのにと。好きな人と手をつなぐ時、向いあって食事をする時、気になるのは爪のことばかりだった。
私の結婚式は、短くてゴツゴツした爪が恥ずかしくて、長い手袋で隠した。オーバーなようだけど、私はずっと、不細工な爪に悩まされ続けてきた。カルシウム不足なのかもしれないと、食事も気を付けた。爪を強くするために高いクリームも買った。爪が嫌いなのに爪を忘れることができなかった。
1年ほど前に知り合った友人の職業は、ネイリストだった。その友人から「今度、ネイルの試験を受けるんやけど、練習台になってくれへん?」と頼まれた。「私、爪が小さいしボロボロやから、いい練習台にはならんと思う」と断った。友人によると、ある程度は手のマネキンで練習できても、人の爪にはかなわないのだそうだ。
家に帰ってから断ったことを後悔していた。友人は爪のプロ。1年の間に、私の爪を見ていないはずがない。これは、チャンスかもしれない。私はコンプレックスについて誰にも言ったことがない。でも、言ってみたら何か変わるかも。私の爪でよかったら練習台に使ってと連絡した。
思い切って友人に爪を見せた。気づけばタガが外れたように爪のコンプレックスについて話していた。友人は「大丈夫。練習台のお礼にジェルネイルをさせて」と言った。
ジェルネイルを簡単に説明すると、爪にゲル状の樹脂を乗せてUVライトで硬化させる方法だ。薄い爪でも割れずに伸ばしやすいという。
「こんな不細工な爪に色がつくと、目立っておかしいんじゃないか」と躊躇した。友人は「ジェルを乗せたら爪が割れにくくなる。やってみて嫌やったらすぐに取ってあげる」と言ってくれた。友人にすべてを任せた。
ネイルが出来上がって驚いた。ツヤツヤしていて頑丈だ。短い爪には変わりないけれど、キラキラしていて、キャンディみたい。家に帰っても、お風呂に入っていても、爪ばかり見てしまう。
食事中、夫に「ネイルしたの? 綺麗じゃん」と言われ、ドキッとした。爪を褒められたのは初めてだ。恥ずかしさを隠すように「練習のお礼にしてもらっただけ」というと「いいね! これからもしたらいいのに」と言われ心が弾んだ。
今まで、人に見られたくないと思って隠してきた爪を褒められるのは、とても不思議な感覚だった。好きな人から来るメールを何度も読み返すように、気づけば爪を見ている。毎日、爪が気になって仕方がない。時間をかけて丁寧に爪にクリームを塗る。1か月後のネイルの予約が待ち遠しいなんて、まるで遠距離恋愛のようだ。
コンプレックスをさらけ出したことで、こんなにも晴れやかな気持ちになるなんて。爪が割れないで1週間過ごせるなんて夢みたいだ。練習台にならなければ、私はこの先もずっと、爪に悩まされていただろう。小学生のころから嫌いだった爪。40年の時をへて好きに変わりつつある。
爪の呪縛から解放された今、夫に「今更だけど、結婚指輪を買いに行こう」と言えそうだ。
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