プロフェッショナル・ゼミ

素直に話す《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:永井聖司(プロフェッショナル・ゼミ)
 
「僕の言葉は『腹で』喋るから、刺さるやろ?」
とある大阪の居酒屋の中で、僕は泣いていた。泣きながら、相手の言葉に頷くことしかできずにいた。
泣きたい気持ちなんてこれっぽっちもなかった。むしろ、そんな情けない姿を見せてはいけないようなシチュエーションであるはずなのに、涙が止まらなかった。僕の中に刺さった言葉が、溜め込まれ、膨らみすぎるほどに膨らんでいた『我慢』という名の風船を貫き、爆発させたせいだった。
「あー、Y会長さんゴメンなー、泣かせてしもうた」
「え、泣いてんの!?」
そんな僕の状態に一番驚いていたのは、同席していたウチの会社の会長だった。相手が会長に言うまで僕の状態に全く気づいていなかったらしい。しかし会長のそんな反応も仕方ないのだ。同席していたのは会長の他、他社の経営者さん数人に他社の社員さんであり、席を囲んでいる中で一番の下っ端は僕だった。そんな僕が、30歳直前の男が泣いているのだ。その異様さを僕自身感じれば感じるほど涙を止めようとするのだけれど、止まらない。
鋭い目つきでこちらを見つめる相手、とある経営者グループのF理事長の言葉が僕の中の風船に開けた穴は大きすぎて、応急処置など不可能だった。
「今の仕事、ツライんやろ?」
続けてのF理事長の言葉に、僕は間髪入れずに頷いた。自社の会長が見ていることを十分すぎるぐらい理解した上で、素早く何度もあからさまに、頷いた。
「頷きすぎでしょ……」
会長は、僕の反応に対して茶化すような様子と困惑が混じりあったような言葉を漏らす。しかし、それに返しをしたのは、F理事長だった。
「Y会長さん、この子にやりたくない仕事させすぎやわ」
F理事長は、会長を諭すかのように、そう言ってくれた。
会長は何も言えなくなり、僕は僕でどう反応して良いか、わからなかった。ただただ、涙が止まらなかった。
まさかこんなことになるなんて、夢にも思っていなかった。
F理事長が会長に言ったことは、全て当たっていた。完全に僕の心の中が見抜かれていた。そしてそれは、今回時間が取れれば僕から直接、会長に相談しようとしていたことであり、でもスケジュールの都上そういった時間が取れないと分かれば、諦めていた内容でもあった。
声を聞きながら自然と、約8ヶ月前にF理事長と交わした言葉が蘇ってくれば、今の状況を信じられない気持ちは、強まるばかりだった。
 
「君は一体誰や?」
電話の向こうから聞こえるF理事長の声には、明らかな不信感と怒気が込められていた。
まさかそんな言葉が返ってくるとは思っていなかった僕は思わず「え!?」と言ってしまいそうになるのを必死にこらえる。1度名刺交換もさせて頂きましたし何度かお電話でお話も……と、怒られる筋合いはないことをアピールする案もすぐに浮かんだけれど、却下した。
相手は数百人の経営者が所属する会を取りまとめるドンである。本当なら一介の中小企業の社員が軽々しく話せる相手ではないし、覚えられていないのが当然なのである。そう思い直した僕は改めて社名と名前を名乗り、本題に入る。
「弊社の会長からお話させていただいた、〇〇という本の買い取りの件なんですが」
「そんな話知らん」
言い終わるよりも早く被せるように言われた言葉に、僕はまた言葉を詰まらせた。そして言葉にならない言葉を漏らしてなんとか間を保たせようとしながら、必死に頭を回転させる。
手元には会長から渡された、F理事長の名前の入った、本の買い取りの申込書が確かにある。それなのに、『知らん』とはどういうことだろう。念の為もう一度F理事長に確認してみるも、答えは同じだった。
僕は想像の中で、頭を抱えた。そして過去の経験と照らし合わせて、そうかそういうことかと、一人で納得した。
ウチの会長は、思いつきと行動の人である。『決定』と会長から聞いたので確認のために連絡をしてみたら相手は『知らない』という、まさに今回のようなケースは少なくない。
今回もそうなのだろう、と思い至った僕は素早く頭を切り替え、内容を本の購入の確認から、営業の電話ヘと切り替える。本の概要を説明し金額を説明し、10冊単位で購入してほしい旨を説明し……としていたら突然、F理事長に言葉を遮られた。
「君な、いきなり電話掛けてきて会長さんの名前使って本買ってくれって言うなんて、失礼すぎるぞ」
有無を言わせぬ、強い口調だった。数百名の経営者の上に立っているという事実を感じさせる凄みのある声に、僕が言おうとしていた言葉は全て頭の奥へと押し戻されてしまったようだった。
「そんなくだらん電話かけてくるぐらいなら、二度と電話してくるな!」
F理事長の怒鳴り声が聞こえ、通話は切れた。ツー、ツー、ツーと、久々に聞く音が、耳に残った。そして僕は実際に、頭を抱えた。
会長から言われたから、電話しただけなのに。しかもF理事長が本を買い取ることは確定しているという前提だったはずなのに、何たる理不尽か。僕はF理事長の名前が確かに書かれた申込書をもう一度見て、ため息をつく。
その本は、僕が担当しているとある研修に関連する本だった。鹿児島県南九州市にお客様をお連れして史跡等を巡ってもらうその研修は、今や年間700名以上が参加する当社を代表する研修の一つであり、本業の傍ら僕が事務局を担当するようになってから4年が経っていた。研修のきっかけが会長にあることもあって、現在でも研修の方針等を考えるのは会長であり、会長直轄の事務局として僕一人で、現場運営以外の全て、お客様とのやり取りから宿泊先・バス会社とのやり取り、収支計算までを行っている研修でもあった。更に昨年は例年以上に会長が熱を上げていたこともあって目標売上金額は前年の約2倍に設定された。もちろん当初は無茶な売上設定に僕自身諦めていたけれど、コツコツコツコツ見込み客へのアプローチを営業担当にお願いなどしていけば研修の決定ペースは例年よりも格段に早く、もしかすると目標を超えるかもしれないという所までこぎつけた。そうなれば僕自身の研修への熱意も高まり、仕事の中で研修に掛けていた時間が1割から3割へ、そして最終的には仕事の時間の殆どを研修に費やすようになり、また会長に直接新たな施策を提案して採用されるなどの好循環も生まれていた。
そんな中、目標売上達成のため、また研修の活性化や研修で使用する史跡・歴史等の認知度アップのために会長が思いついたのが、研修に関する本の製作だったのである。会長自身が過去の研修参加者を中心にトップ営業を行い、寄稿してもらったり買い取りの約束を取りつけたりとしていった中の一人が、F理事長だった。F理事長が買い取ってくれれば同じ会にいる経営者の方々も買い取ってくれるかもしれない、そんな打算もなかったわけではないのに、いとも簡単に拒絶をされた。しかも、当時入社6年目で仕事も慣れてきた僕にとってみれば久々の、直接のクレーム電話であっただけにショックは大きかった。入社当初だったら少なくとも数時間落ち込んで仕事が手につかなくなっていたに違いない。そう思えるだけのお叱りの言葉だったのに、僕の立ち直りは僕自身が思うよりもずっと早かった。たった5分足らずでうだうだ悩むのをやめ、叱られた原因だけを考え、会長に事実を報告をし、次の作業へと移っていった。
それだけその時の僕は、研修に関する仕事に熱中をしていた。F理事長からのお叱りの言葉も、『こういうこともあるさ』と軽く受け止められるぐらい気持ちがノッていた。
本業である大学生向けコールセンターの運営管理に関しては、閑散期に入って業務量が少なくなっていたこともあってそのほとんどを後輩に委ね、僕はただただ研修の運営サポート、売上達成に向けて邁進を続けていた。
そして売上が前年を超え、目標に着実に近づき始めて気分が最高に盛り上がっていたちょうどその頃に、上司との面談で言われたのである。
 
「でもあの研修については、永井の評価の枠に入らないというか……」
 
僕の周りの世界が音を立てて崩れていくのを、僕は確かに感じた。
あんなに時間を掛けてきたことなのに、熱を入れてやってきたことなのに、F理事長からとてつもなく理不尽な怒りも受けてきたのに……。それが、評価の枠に入らない? 前年の売上も超えたのに、✕でも◯でもなく、評価に入らない? やってきたことが、掛けた時間が全て無駄?
上司の言葉を、予想しなかったわけではない。確かに僕の本業はコールセンターの管理である。しかもそのコールセンターのトップの立場であるから、上司の言い分が理解出来ないわけではない。それでもやはり、そう言われた後の面談内容は頭に入らず、涙をこらえながらその後の時間を過ごした。そして上司と分かれて席に戻れば、自然と涙が溢れてきた。
悔しさ、理不尽さへの怒り、虚しさ、色々なものが混ざりあったら耐えきれず、僕は泣いていた。
そしてそれ以来、僕は研修への意欲を完全に失った。その影響もあってか、研修の売上は目標から大きくショートし、昨対比で約130%の売上に留まった。しかしその結果について悲しむ気持ちも、僕の中には残っていなかった。
以降も引き続き研修の事務局を務めたけれど、昨年持っていたような熱は、どこにも見当たらなかった。決まっている研修日程、また営業が決めてくれた日程について粛々とサポートするのみで、昨年のような細かい追いかけをすることもなかったし、しようとする気すら起こらなかった。
だって評価には入らないのだから。いくら頑張ろうが売上が前年を越えようが同じなのだ、頑張りようがない。そしてそれは、コールセンターの仕事についても同じことが言えた。
コールセンターに配属されて4年、一通りの業務は覚えたけれど、評価はずっと一定のままだった。そもそもがルーティン的な仕事で、『ミスをしないことが当たり前』とされている職場である。ある一定以上のクオリティを保っていれば評価は下がることはないが、上がることもない。上司に、どうやれば評価が上がるんですか? と聞いてみても明確は答えは得られない。
そんな閉塞感の中で見つけた一筋の光がその研修であったはずなのに、それすらも徒労だったと分かれば僕の中にはもう、絶望感しかなかった。日々のコールセンター業務と研修に関する業務をただただ、全く感情を揺らすことなく、まるでロボットの中に続けていくことしかできなかった。
それでいて、転職サイトに登録したは良いものの何をどう探してよいのか、僕自身にどんな適性があるかも良くわかっていないので、転職することすら満足に進められない。
 
そんな中途半端な状態の中で設定されたのが、大阪出張だった。うちの会社ではほとんどの正社員が1日、会長の同行をして仕事の仕方を学んだり、個別で話をしたりという制度がある。
そこで僕は、会長に退職について相談をしようと思っていたのだ。しかしスケジュールの都合上そんな時間は取れず、その代わりのように現れたのが、まさかのF理事長だったわけである。しかもあの理不尽な電話以来の再開となるので僕は当然ド緊張していた。正座をし、F理事長がこちらを見れば蛇に睨まれた蛙のように、目もそらせず、体も動かせなかった。
そんな僕のことを気遣ってか、F理事長は下っ端の僕に積極的に話しかけてくれたのだ。
「僕はね、何千人という人を見てきているからね、顔を見ただけで何を考えてるか、わかるんだよ」
いかにも嘘くさい話だなと思ったけれど、僕はそんな様子を見せないように、頷くしかなかった。
「今の仕事、イヤなんやろ?」
そして、射抜かれた。
あの理不尽な電話の時の、恐ろしい、ドスの利いた声はどこにいったのか、とてつもなく優しくて、包み込むような声だった。
鼻がツンとして、目頭が熱くなった。F理事長の顔が、見られなくなった。
 
そして宴会が終わり、F理事長とも会長とも分かれた後、僕は会長に留守番電話を入れた。
同行のお礼と、今まで溜め込んできていた、素直な気持ちだった。
今の仕事がイヤなこと、やりがいを感じられない、ツライこと。それを素直に、ぶち撒けた。
 
「まさか、そんな風に思いもよらなかったよ」
会長から、そんな返信があった。
「それで、永井はどうしたいんだ?」
そして会長の言葉に、僕は全てを一から考え直し始める。
素直に話してみることで始まることがあるのだと、思い知らされた。
 
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