気がつけば、自分らだけの、公用語《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:高林忠正(プロフェショナル・ゼミ)
数日前のことだった。
都心に出た私は久しぶりに、とある百貨店に立ち寄ってみた。
正面入り口から入ると、数ヶ月前の記憶が蘇ってきた。
それは百貨店初のアップルウォッチのショップで、業界では話題になっていた。
先日訪れた銀座のアップルショップでは、時間がなかったことから品物を詳しく見ることができなかった。
「アップルウォッチ」
友人も持っているし、なぜか心が動いた。
この店舗のクレジットカードも持っている自分としては、割引はなくても「見たい!」と心から思った。
正面の入り口から入った私は、時計回りに通路を進んだ。
「確かこのあたりじゃなかったかな?」と思った先には、ご婦人のお客さまが殺到していた。
よく見ると、ジバンシーの最新作のコーナーだった。
「あれ⁈」
自分の勘違いかもしれないと思った私はもう一度、正面の入り口に戻って、以前の記憶を頼りに通路を進んだ。
やはり、今ジバンシーが売られている場所がアップルウォッチショップのはずだった。
数ヶ月前にはあったはずのショップがなくなっている⁉︎
「もしかすると、場所が変わったのかもしれない……」
百貨店で働いていた身からすると、ヒット商品はその店舗のなかの一等地で販売することが鉄則だ。
「で、ないということは……」
希望的観測と最悪のことも想定しながら、30メートル先のインフォメーションに向かった。
3年前、爆買いが話題になっていたとき、中国をはじめ世界中の富裕層から「世界一の百貨店」という称号を贈られた店舗。
現在、かれらの行き先はミラノが中心とはいえ、相変わらず外国人観光客の売上高比率が全体の20パーセント占めている。
正面入り口脇にあるインフォメーションは、世界に冠たる百貨店のまさに顔である。
カウンターには女性が2人立っていた。
私はカウンターに向かって左側からゆっくりと近づいた。
彼女たちは、洗練された応対と身のこなし、そして素敵な笑顔の持ち主だった。
ユニフォーム姿も颯爽としていた。
「あのう、以前伺ったときにアップルウォッチのショップがあったと思うのですが……」
いくら過去に百貨店で働いていた身であっても、心ときめく女性を前にすると声が思うように出なくなってしまう。
恥ずかしいことにこのときもそうだった。
左側の女性が言った。
「アップルウォッチは退店しました」
私の無意識のなかに一瞬とはいえ、かすかな違和感がさざ波のように広がった。
“退店(たいてん)”
私が在籍した百貨店では、たとえば社員が退社するときに”退店(たいてん)”という言葉を使った。
主語が人だった。
“退店”とは、その店舗で働いている人が自己都合で退社なり、あるいは永遠に店舗を離れるときに使う言葉だった。
それをこの百貨店では、アップルウォッチという固有名詞を主語に、ショップの「クローズ」の意味で使っていた。
“退店”
一般の人であっても、「アップルウォッチのショップがおしまいになったんだな」くらいは理解できる。
それは、お客さまの側で、退店ということばをクローズという意味に解釈したことにほかならない。
表には出せない事情があるにせよ、「お客さまの目線でもっとわかりやすい言葉があるんじゃないか?」という疑問がふつふつと湧いてきた。
私には、アップルウォッチのショップが自分たちの意思でこの店舗から出て行ったというシーンが頭に浮かんできた。
「アップルウォッチの販売は終了いたしました」と言ってくれればなんにも問題はなかったのにと思った。
極端な話、このインフォメーションの女性が発した“退店”という言葉は、この組織だけで通じる言葉である。
ただし、他の流通業をはじめとして、少なくとも私が働いていた百貨店ではこのような使い方はしなかった。
今の私は、10年以上百貨店の販売の現場から遠ざかっていることから、比較的一般の人に近い視点を持っている。
ふと、私の中でそのとき、「このインフォメーションの女性のことを笑えないんじゃないだろうか?」という思いが湧いてきた。
正直に言うと私自身、お客さまに対して、「何の配慮もない言葉を発していた」という後悔の気持ちがある。
すると、一つのシーンが浮かんできた。
日本人には伝統的に、贈り物で、「お祝い」、「粗品」、「お見舞い」、「御中元」、「御歳暮」などの紙を掛ける習慣がある。
どなたでも、そんな品物をもらった経験があると思う。
その際に、その紙の下の部分に、差出人の名前を、名字だけ、あるいはフルネームで書くケースがある。
私たちの百貨店では、このような賭け紙(のし紙)に名前を表記することを「名入れ(ないれ)」すると言った。
「名入れ」とは言われればわかるが、すべてのひとにわかる表現ではなくなっていることに気づいた。
品物を贈るお客さまに対して、掛け紙に名前を表記するかどうか?の希望を問う場合、「名前をお入れしましょうか?」
あるいは、「お名前を入れましょうか?」聞くのが親切な言い方である。
それを十年一日のごとく「お名入れしますか?」と平気で言っていたことに気づいた。
「名入れ」とはあくまでも、販売する側が、自分たちサイドで常用する言葉をショートカットしたに過ぎない。
お客さまに対するおもてなしの際に、その言葉をなんの疑問もなく使い続けていた事実に気付かされた。
さらには過去に自分自身、「ミスター慇懃無礼(いんぎんぶれい)」の片棒を担いでいたという事実も思い出すことになった。
苦い思い出だった。
入社して、配属される前の晩、叩き上げの総務部長から「できる先輩の真似をしなさい」と言われた。
言われた意味を自分なりに勝手に解釈してしまっていた。
その一つが言葉づかいだった。
「いらっしゃいませ」
「こちらでございますか」
「さようでございます」
「ありがとうございます」
「またどうぞお越しくださいませ」
マニュアルにも書かれていた接客用語だった。
やはり、生きた見本が周りにあるということで、男女問わず先輩たちの言い方、聞き方、リアクションの仕方を知らず知らずに真似していた。
良きにつけ悪しきにつけ、先輩たちの言葉は、業界のスタンダートになっていた。
お客さまから
「さすが天下の○○(私の在籍した百貨店の名前)!!」と賞賛されることもあれば、
「天下の○○ともあろうものが、……」ときつい叱責を受けることもあった。
そんななか、ほとんどの先輩たちが、誰一人疑うことなく発していた言葉があった。
それは、お客さまの名前を、「お名前さま」と言うことだった。
一例を挙げれば、クレジットカードによる支払いで、お客さまにクレジットカードの番号などが印字された所定の用紙(伝票)にサインをいただく場合である。
周りの先輩たちはこう言った。
「恐れ入りますがお客さま、こちらの用紙にお客さまの“お名前さま”を、お書きいただいてもよろしゅうございますでしょうか?」
「恐れ入りますが、ご署名をお願いいただけますか?」だけで済むものを、こんなまどろっこしい言い方をし続けていたのである。
クレジットカードの場合だけではない。
たとえば、品物をお届けする際に、所定の用紙に住所を書いていただく場合も、
「お客さまのおところと、お電話番号、そしてお名前さまをお書きいただけますでしょうか」
とくどさ満点の言い方をしていたのである。
ただしそのときは別に長ったらしくてもいいと思っていた。
丁寧さこそ、命
丁寧さこそ、生きる道
丁寧さこそ、すべての人から受け入れられる手段
はっきり言って、丁寧さを信じてそしていい気になっていた。
しかしこれらは、あくまでも自分たちサイドの自己満足でしかなかった。
私自身、お客さまの視点に立つことのない、思考停止状態のままだった。
ただし、あの日を境にそれまでの常識が一気に崩れ去ることになった。
店頭で紳士セーターの販売をしていたとき、当時としては最高級のカシミアのセーターをお買い上げいただくことになった。
お客さまは、かつて私が勤務していた百貨店の元取締役で、会社を辞めて独立起業された方だった。
クレジットカードによるお買い物だった。
いつものように私は言った。
「恐れ入ります。こちらの用紙に、お客さまのお名前さまを、お書きいただいてもよろしゅうございますでしょうか」と。
「……ん」
一瞬、間を置いて言葉が返ってきた。
「君の日本語って、おかしいとは思わない?」
「えっ……」言葉が詰まった。
次の瞬間、
「変な日本語使ってんじゃねえよ!!!」
まさに「怒髪天を衝く」状態だった。
今で言うと、テレビのNHK総合で評判の『チコちゃんにしかられる』で、質問をしても答えられない大人に対してチコちゃんが、顔を真っ赤にして「ボーッと生きてんじゃねえよ!!!」と言うシーンそのものだった。
「日本を代表する百貨店の君たちが、そんな変な日本語を使って恥ずかしくないのか?」
一瞬、何か起きたのか分からなくなってしまった。
頭は真っ白、体が固まってしまった。
言葉が出なかった。
なんと言ってよいのやら分からなかった。
「君たちは丁寧にしているつもりだろうか、人から見たらどんな印象を持っているか、わかってんのか!!」
じっと見つめられた。
沈黙の時間が続いた。
周りの先輩も黙っていた。
「おたがいに人間として尊重する関係だったら、もっとシンプルで心に残る言葉をなぜ言おうとしないんだ!!」
「君だけじゃない。この店のどこへ行っても、「お名前さま」「お名前さま」のオンパレード」
「いったいそれが、天下の○○のサービスと言えるのか?」
課長や主任は不在で、私だけがサンドバック状態となっていた。
「シンプルで心に残る言葉」
そのフレーズだけが、耳元で何かエコーのように響いていた。
その日、そのあとどのように過ごしたか全く記憶に残っていない。
記憶にあるのは、その後数日間、立ち直ることはできなかったことだった。
ある日の仕事の後、一人で喫茶店に入った。
コーヒーを飲みながら、冷静になって振り返ってみた。
例のお客さまから言われるまでは、「これでいいのだ」と思い込んでいる自分がいた。
自分たちが丁寧に言ってさえすれば、丁寧な振る舞いをしてさえいれば、お客さまはご満足いただいているとばかり思っていた。
すべては、こちらサイドの考えにしか過ぎないことだった。
お客さまは不特定多数。
ご来店されるお客さまの考えは、決して一様ではないのではないと気づき始めていた。
恥ずかしいことに、目の前のお客さまの仕草や行動から、「このお客さまは、いったいどんな気持ちでいるのか?」なんて考えようとしていなかった。
朝礼で繰り返し言われていた
お客さま本位
お客さま満足
は自分にとっての掛け声だけでしかなかった。
「先輩をはじめ、社員のみんなが言っているから大丈夫」は、思考停止の最たるものだった。
お客さまが店頭にご来店されるには理由がある。
その方たちとの会話では、その方に分かりやすい言い方をする前に、丁寧なつもりの自分の言葉で喋っていた。
元取締役に注意されなければ、十年一日のごとく「お名前さま」と言い続けていたかもしれない。
これは、不特定多数の人に対して、相手がどんな感情でいるかを察することもなく、自分たちだけにしか通じない「公用語」を使い続けることを意味する。
アップルウォッチのショップを訪ねたことがきっかけで、かつての「ミスター慇懃無礼」を思い出すことになった。
相手の心が動く表現であり、行動こそがコミュニケーションの原点である。
それはシンプルで分かりやすいことある。
どんなときも、その人の心に最も伝わる言葉を選択して、分かりやすくつたえていきたいと思う。
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