言い訳になっていた愛着《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:なつき(プロフェッショナル・ゼミ)
今携帯の主流はiPhoneになっている。そんな中でガラパゴス携帯をさっと取り出し使う。「スマホにしないの?」と聞かれる。「うん7年使ってて好きな携帯で中々替えられなくて」「すごいねー、7年!?」と驚かれる。実はこれが気持ち良かった。大事なものをずっと使い続けている自分、ものを大切にできる自分に酔っていた。
ガラパゴス携帯で7年使うというのはどういう状態か想像がつくだろうか。いくら年数を重ねてもきちんと整理をしている人もいるだろう。そういう人の携帯はちゃんと機能するかもしれない。でも私は違っていた。容量ぎりぎりでメールの受信機能が悲鳴を上げていた。7年の間に受信した友人からのメール、送信したメールなど容量の小さなものから、受信した面白い広告、可愛い絵文字等の広告の容量の大きなものまで。無料会員登録で100個以上の絵文字をゲット! と謳われている広告。そんなに絵文字は使わない。でもその広告の絵文字の中に可愛い絵がアップされていると、これだけ保存したいがために、大きい容量を食う広告を保存していた。受信したメールや、送信したメールはその時の自分を思い出せるので日記のような感覚で保存していた。容量が大きくても綺麗なイラストだと思ったり、面白いと思ったものは中々消せなかった。
それは携帯ではなく一つの折り畳み式のアルバムを持ち歩いているようなものだった。片手に収まる膨大な内容が入ったそのアルバムを大事にしていた。ある時新たなメールを受信する。お知らせは来るのだが、容量が足りなくて、メール保存センターに保存されているものを取りにいかないといけなかった。センターから受信するのも容量が足りないので受信メールの中から一つのメールを惜しみながら消す。するとやっと一つの受信ができるという塩梅だ。メールを一つ消すのもガラパゴス携帯は時間がかかる。一つ受信しては一つを消し、一つ送信しては、一つを消す。正直疲れるし面倒な作業だった。
ある時一つの受信メールを消した瞬間に大きな広告メールが受信された。一つの小さな容量のメールを消しただけでは、大きな広告の容量が途中で入りきらずオーバーしバグを起こすことも間々あった。そうなると待っているだけではだめで、一度電源を落とす必要が出てくる。これが本当に苦痛だった。7年も使っていると、携帯を開く時にも接触が悪くなっており、ふとした拍子に電源が落ちる。電源ボタンで起動すればいいのだが、起動しないこともある。そんな時は携帯の裏の蓋を開け、電池を取り出し、SIMを取り出し、再度SIMを入れ直し、電池を戻し蓋をする。またこの蓋が曲者で、かなり薄い蓋のため、この蓋の開けしめだけで電源が落ちることがある。たった一つのメールを受信、送信するだけでこの膨大な手間がかかるのだった。
ではなぜこの厄介な携帯を使い続けているのだろう。7年さかのぼってみる。7年前、このガラパゴス携帯の発売を今か今かと首を長くして待っていた。発売と同時に買いに行った。音声がクリアに聞こえ、折り畳み式、開くとパソコンを小さくした様な見栄えで、横並びのフルキーボード。つまりローマ字打ちをしたい人に特化した携帯だった。今までも似たようなタイプの携帯はあったが、女性が好みそうな色のものはこの携帯が初めてだった。片手で操作できる、スタンダードな縦型の携帯は私には扱いづらかった。というのも片手でのかな打ちが苦手だったからだ。何度か挑戦したことはあるものの、親指の付け根が痛くなり不向きと判断した。そんなわけで横並びのフルキーボードを待ちわびていた。デザインも色もいい。いつもは携帯を買う時は時間をかけるが、即手に入れた。
ローマ字打ちができるキーボードは素晴らしかった。片手では端から端まで届かないので両手での操作が必要となるが、大して苦にならなかった。メールをすることが楽しくて、たくさんメールをした。受信もした。会話のやり取りもした。周りと違うこの携帯を持っていることが誇らしかった。たまに外で同じ携帯を見かけると勝手に親近感を持ったりしていた。
写真もたくさん撮った。マイクロSDに保存ができるので、たくさん撮った。毎日持ち歩いているだけで嬉しい携帯だった。それがどうだろう、7年経ったらお飾りの存在になってしまった。メールを受信しても、送り返すだけで疲れるので、やってはいけない既読スルーが増えていった。周りからもちゃんと返信してと言われることが多くなった。それでも7年使った携帯は愛着が湧き中々替えられなかった。それが急いで替える必要性ができた。入院することになった。
私は結婚し夫がいるが、入院中夫に現状を報告する必要があった。このお飾りのガラパゴス携帯は連絡手段として心もとない。ちょうどiPhone7に好きな色が新色として出たこともあり、即買った。iPhoneは初代を試しに使ったことがあったが当時は使い方がよくわからないのと、画面上のキーボードが小さくて使いづらかった。そのためすぐガラパゴス携帯に戻っていた。iPhone7は初代より一回り大きくなり手の大きな私でも使いやすかった。ローマ字打ちもできるし、容量がたっぷりなので、一つ削除しなくても受信や送信ができる。ネットもすぐに繋がる。とても快適だった。
ある時夫に言われた「最近ちゃんと返信くれるようになったから助かる。既読がつくから読んだことはわかるけどね。前は返信は15分待って来なければ諦めるという自分ルールでやってた」はっとした。自分の携帯にあるアルバムを大事にしたいがばかりに今ある大事な人を失う危機にあったんだとようやく気付いた。今はまだ夫は自分ルールを作って気持ちを静めていたかもしれないが、それが他への引き金にならないとも言いかねない。危なかった。
過去にも周りから返信が無いことで離れていった友人がいたと思う。当時は、返信したいけれど、返信するのに余計な時間がかかるし、ちゃんと読んだし、今度会った時に言えば分ってくれるよね。と自分を正当化していた。今思うと何と失礼なことをしていたのかと自分に呆れる。そんなことを思いながら夫にこのことを話してみた。「僕の時間の優先順位って低かったんだね……」と苦笑いしていた。そんなつもりは全くなかった。でも私を相手にしている人はそう思うだろう。私だってそんな友人は疲れる。いつ連絡取れるかわからない友人。当時から今も続いている友人には本当に申し訳なかったと思う。そして続いていてくれてありがとう。
ガラパゴス携帯に保存していた受信メールを、パソコンにそっくり保存できないかを試みたことがあった。そういう需要が少ないのか、携帯電話のショップに聞いて回ったが、どの店員からも「ない」との事だった。次にガラパゴス携帯からパソコンのメールアドレスに転送をしてみた。転送によりパソコン内でも保存することができた。できたが、ひとつずつだった。保存されているのは数千件に及ぶ。これを繰り返す気にはなれなかった。
当時いくつか移してみたものが見つかった。久しぶりに読んでみる。確かにその当時のことが思い出される。ああ、色々な事があったなあ。しみじみ思う。懐かしい。だから今の私があるんだなあ。この出来事が無かったら今の考え方にはなっていないとか、今の状況ではなかったと思うととても愛おしくなる。全部このことが今の私につながったと思うと嬉しくなる。今だって楽しいことばかりではない。それでも過去の自分より今の自分が好きだ。それははっきり言える。でもそれだけだった。今の自分を確認するためには役立つ。今後行動するための何かに直接的に繋がるわけではなかった。思い出は思い出なんだ。
少し前に、12名の食事会の主催をした。盛況で参加した友人がとても喜んでくれた。とても好きな料理屋さんで何度か食事をしに行って、ここに友人も呼びたい、この美味しいお料理を知ってほしいと思って開催した食事会だった。店主とも何度も電話でやり取りして細かい打合せ、料理の内容や飲み物を決めた食事会だった。参加者にもかつてないマメさで情報やお知らせを送り、質疑応答した。かなりの時間を注いだ。ガラパゴス携帯だったら多分こんなにマメには応答できていなかっただろう。今までの自分なら途中で投げ出していたかもしれない。応答するうちに楽しくなったのは新しい発見だった。それもあったから盛況だったのはとても嬉しかった。喜んでもらえる食事会の幹事をすることが夢だった。
iPhoneに替えたことで、自分がいかにがさつだったか気づかされた。そして、愛着だと思っていたガラパゴス携帯はいつしか執着に代わっていた。執着になるとこだわりになる。良いこだわりもあるが、物に対するこだわりは時としてこれが無いと駄目という物に変わる。そうなるとそれが自分の中で最上位になり、大切にしなければいけないものが見えなくなる。それが一番怖いことだと携帯を通して学んだ。
iPhoneに替えたことで、容量にゆとりが生まれた。再び余計な事を考えずにメールを送れるようになった。何でもそうだがゆとりがあると人にも優しくなれる。振り返ると当時はメールのやりとりをするだけで苛々している自分がいた。あんなに待ち焦がれて買った携帯だったのに。嬉しくて毎日使っていた携帯だったのに。心でも物でもゆとりがなくなるとこんなにも気持ちもぎすぎすするものなのか。あんなに嬉しい気持ちで使っていた携帯への気持ちを忘れていた。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。7年使い続けることだけに酔っていた自分が恥ずかしい。アルバムとしてでなく実用的に使って初めて携帯として生きるのだ。今回ひょんなことからiPhoneを使うことになったが、入院して良かった。iPhoneを使うきっかけを与えてもらった。
物を大事にするということは、お飾りにするのでなく実用的に使って初めて輝く。それを今回学ばせてもらった。貴重な体験をさせてもらった。
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