なぜおじさんは若い女性を「ちゃん」づけで呼びたがるのか?
記事:西部直樹(ライティング・ラボ)
子どもの頃、21世紀はやってこないだろうと思っていた。
1960年代に熱中したウルトラマンは、近未来(1975年から1990年代くらいまで)が舞台だった。大人になったら、怪獣が跋扈する世界になるのかと暗澹とし、ノストラダムスの予言で、恐怖の大王に怯え、21世紀を迎えるころの歳、40歳以降の世界は想像の外であった。
が、気がつけばアラ還(アラウンド還暦)である。
2000年代になっても、日本に科学特捜隊は生まれず、怪獣が跳梁することはなかった。もちろん恐怖の大王は姿も現すことはなかった。
大人になることなく、終わると思っていたのに、大人というか、おじさんというか、女子大生の方と話している姿は、ニコニコ動画のコメントでは、孫娘との会話のごとしと評される程になってしまった。
夢にも思わなかった「おじさん」という自分に、戸惑ってしまうばかりだ。
不惑を過ぎ、知命になり、耳順も間近というのに、立志もままならない。
子どもの頃、若い頃は自分が年をとることを想像できず、おじさんという存在を忌み嫌っていた。というのに、思いもがけないものである。
おじさんというのは、何ともイヤなものだなあ、と思ったのは就職をした頃からだ。
学生を終え、いろいろな年代の人と一緒に働くという事はなんとも大変な事だった。
学生時代は、当たり前だが同世代ばかりと話をしていたし、異年代というと自分の家族と親戚関係しか知らなかったのである。
同年代とは話はできるのだが、異年代の方とは話をするのは、なかなか大変であった。
それが異性ともなれば、その困難さは想像を絶するのである。
異年代の異性など、自分の祖母と母、姉と従姉くらいしかしらないのだから。
直属の上司、課長はその当時40代であったろうと思われるのだが、もちろん軽やかに女性たちと、いろいろな年代の女性と話をしていた。
課長は体格もよくというか、今ならちょっとメタボ気味で、にこやかな人であった。仕事はできるとはいえないけど、気のいいおじさんであった。
朝、会社に行くと上司は、女性社員たちと楽しく、雑談をしている。
しかも、彼女たちを「ちゃん」づけで呼んでいるのだ。それも、下の名前で。「ようこちゃん」とかなんとか。
しかも、しかも、時に女性を膝の上にのせて!
今ならセクハラで訴えかけられそうなものだ。
朝からキャバレーか! と、多少の羨望も混じりながらも憤りを感じたものだ。
なぜ、おじさんになると、若い女性を「○○ちゃん」とちゃん付けで呼んでしまうのか。
幼い子を呼ぶような「ちゃん」付など、大人の女性に失礼ではないか。
若かった私は、そんな失礼なおじさんにはなるまいと心に誓ったのである。
他人をどう呼ぶのか、その人との関係の近さによって変わってくる
例えば、芸能人など、日常的に関わりがなければ
「鷲尾」とか「西野」というように、呼び捨てである。
一二度直接会ったり、言葉を交わしたりして、知り合いになれば
「鷲尾さん」とか「西野さん」のように、さん付け、敬称になる
関係が深まり、近しい関係になると再び
「鷲尾」とか「西野」と、呼び捨てになる。
ここで、ちゃん付けだ。
小さな子どもの頃、友達はみな「ちゃん付け」で呼んでいた。
「れいなちゃん」とか「ひろしちゃん」など、
自分の子どもも小さい頃は、
「○○ちゃん」とちゃん付けで呼んでいた。
娘も今年で1/2成人式である。
ティーンエイジャーの仲間入りである。
もう、「○○ちゃん」と呼んでも、いい顔をしない。
そんな子どもっぽい呼び方をしないでよ、とつれないことを言ってくる。
少しずつ、親離れをしはじめているのだな。
「○○ちゃん」の時代は終わったのだ。
甘く「○○ちゃん」とは呼べないのだ。
「○○」と呼び捨てになっていくのだ。
その子の呼び方が変わるのは、子ども時代の終焉であり、幼い娘から、一人の少女に変わっていく通過儀礼なのかもしれない。
親としては、寂しい限りである。
そうなのか、「ちゃん付け」は、幼い娘を象徴しているのだ。
若い娘さんを見るとつい「ちゃん付け」で呼びたくなるのは、幼い娘との濃密な関係の投影、代償なのかも知れない。そうでないような気もするが、そうなのだと思いたい。
若い女性に接する時、ついその姿の向こうに自分の娘を見ているのだろう。
もう、「~~ちゃん」と呼べなくなった娘、最近はあまり話をしてくれなくなった娘、離れていく娘の代償なのかも知れない。
新人の頃、忌み嫌っていた課長の行為も、今なら少しわかる。
若い女性を「○○ちゃん」と呼ぶことで、娘さんを想起していたのだろう。
そうなのだろう、たぶん、おそらくは……。
若い頃はあれほど嫌がっていたのに、堅く心に誓ったはずなのに、自分がおじさんの年齢になってみると、若い方をつい「~~ちゃん」と呼びたくなってしまう。それは、そういうことだったのだ!
そう、私はもうおじさんになってしまっていたのだ。
だから、私がつい「○○ちゃん」とちゃん付けで呼んでも、温かく見守って欲しい。
そのようなことを妻に話すと、彼女はこう釘を刺してきた
「馴れ馴れしいおじさんは、一番嫌われるのよ!」と。
おお、これは、気をつけなくてはいけない。
天狼院書店への階段を上りながら、女性スタッフを馴れ馴れしく「ちゃん付けでは呼ばないようにしよう」と自らを戒める。そして、こんなことも思う「息子とも最近は話をしていないなあ、娘のことを女性に投影してしまうなら、息子のことは誰かに投影しているのだろうか」
天狼院の扉を開けると、店主から
「いらっしゃい、西部さん」
と声をかけられ、つい
「やあ、こんにちは、たかちゃん……あ、、、、」
***
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