プロフェッショナル・ゼミ

同時通訳者のアタマの中で起きていること-暗闇から心を作り上げた話《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミプロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:村井 武 (プロフェッショナル・ゼミ)

その狭い空間は「拷問室」と呼ばれている。

私が初めて拷問室に入ったのは大学三年の冬。英語通訳者への登竜門「通訳技能検定試験」(通検)の最終選考、同時通訳試験のときだった。

国際会議が行われるコンベンションセンターで同時通訳者が入るブースは、その中で通訳者が受けるストレスの大きさから拷問室と称されている。通検の最終選考は都内のある会議施設に併設されているブースで行われた。

今に至るまで海外生活経験はまったくないのだが、大学受験をきっかけに英語という言語が好きになった。特に大学1年からは「英語は道である」と説く松本道弘氏が提唱する「英語道」に入れ込み、朝から晩までTimeやNewsweekを読んでいた。地方都市では短波でしか入らない在日米軍のラジオ番組も必死になって聞いた。松本氏の本の巻末についている「英語道段位表」で自己診断すると大学の後半には英語道の有段者・黒帯になっていて、同時通訳もできるはずだった。多くの英語学習者の憧れのひとつは通訳者であり、私もそれを目指そうと思った。地方都市の大学生だった私にとって、そこにたどり着くため、殆ど唯一の道は通検1級に合格して通訳士となることだった。だから無謀と知りつつ当時日本の英語試験の最高峰と言われていたこの試験を目指した。(試験は後年主催団体の解散により廃止された。)

筆記と逐次通訳の意見を経て辿りついた最終選考。審査をするのは「あの」松本道弘先生やTVニュースキャスターの草分けでもある浅野輔氏を含む当時の一流通訳者たち。廊下を歩いていく審査員の中にホンモノの松本先生を見た瞬間に一気に緊張し、あがったのがわかった。

動悸を抑えられないまま、通訳者ブースに入る。よりにもよって受験番号は1番のトップバッター。ブースに入るのは一次試験の地区別に北から南への順番。偶々北海道からの受験者はいなかったため、東北からやってきた私が先頭となった。

指示に従いヘッドセットを付けて、マイクに向かう。意味もなくマイクの位置を調整する。ガラス張りのブースの外では審査員もヘッドセットを装着しているのが見える。何人かは私の方をじっと見ている。当時の録音媒体は磁気テープだった。テープ特有のヒスノイズが聞こえ、テープが回り出したのがわかる。わずかなざわめきを背景に英語のスピーチが流れ出した瞬間、頭が真っ白になった。覚えているのはその文章が

“As I understand it”

と始まったことだけ。これを「私の理解するところでは」と訳した後、英語が耳に入らなくなった。頭の働きが停止した。5分間強の課題の英語スピーチが流れ続ける中、ほとんど言葉を発することができなかった。たまに”and”が聞こえてくると「そして」、”but”が聞こえると「しかしながら」とつぶやくだけ。

当代一流のプロ通訳者たちを前に、マイクを通して浅く乱れた呼吸と「そして」と「しかし」だけを聞かせ続ける私。ブースは拷問室。本気でヘッドセットを捨て、ブースを飛び出し、新幹線に乗って逃げ帰りたいと思った。その後日本語から英語への通訳実技もあったはずだが、どう切り抜けた、というか時間を過ごしたのか記憶がない。試験の後の講評では顔が上げられなかった。松本先生から大阪のアクセントで「皆さんはそれぞれ職場や学校で、英語の使い手とか言われているんでしょうね。でもこの中にプロになれる人はひとりもいません」と言われたのは覚えている。

結果はもちろん不合格。
何らかの形で英語を使う仕事がしたいと思い続け、その憧れの頂点だったのが同時通訳者。この体験で通訳者は無理だと悟った。英語力はこれからも鍛えられるかもしれない。しかし、その頃、私は言葉だけでものごとを考えていた。日本語だろうが英語だろうが頭の中で文章を話すことでしか考えることができなかった。
頭の中で言葉を話す内語でしか考えられない私の情報処理能力では、英語を聞きながら、日本語を話すことは原理的に不可能事としか思えなかった。ひとつしかない思考のチャネルを耳から入ってくる英語が塞いでいる間に、同時に日本語を話すということはできない。言語を逆にしても同じだ。しかし、通訳に関する実務書や理論書を読んでも、何が欠けているのかわからないからトレーニングのしようもない。通訳者養成機関は当時東京と大阪にしかなかった。ネットなどなかった時代だから地方にいた私には実地で通訳の方法を学ぶ方法はなかった。
その後私は通訳とは関係のない職場に就職し上京。仕事では英語を日常的に使う日々が続いた。日々の暮らしの中で、徐々に通訳者に憧れたことは忘れていった。かつて買い集めた参考書はいつの間にかすべて処分していた。

ところが一昨年、30年の時を経て「こうやれば同時通訳はできる」と気づいた。ここに至るきっかけが二つあった。

ひとつめのきっかけ。
ものごころついてから、私は頭の中で文章を話す方法を通じて言葉でしかものを考えられなかった。人の情報処理が行われる場所を「心」と呼ぶならば、私は心にイメージを浮かべるということができない。そもそも心という場所・空間の存在がわからず、信じられなかった。私の心は真っ暗の闇か、存在しなかったといってよい。

だから難しい本を読む時には、耳をふさいで声を出して音読することで集中し理解しようとした。それ以外に情報を入力し理解する方法などないと思っていた。

言葉を使わない情報処理がありうることや心の存在に気付いたのは30代半ばに受けた速読のトレーニングの過程でのこと。トレーニングを始めたきっかけは、本がもっとたくさん読みたいという単純な思い。しかし、そこで起きたのは、言葉でしか考えられない私の世界観と情報処理システムを覆すパラダイム・チェンジだった。
トレーニングのひとつひとつが新鮮だったが、特に強烈な印象に残るのが、「ワー」と意味のない声を出しながら、文章を読む訓練。なにせ声帯から意味をなさない音が直接かつ連続的に自分の耳に入るのだから、従来の、小学校以来学んできた黙読というものが成立しない。うっかりしていたのだが「黙」読とはいいながら、多くの人は頭の中で「声」を出して文章を読んでいるものらしい。もちろん私もそうだった。その頭の中の声を、実際の「ワー」という音で上書きしながらも、文章を読んで、理解する。頭の中では文章も言葉も聞こえない。「見ることが理解することだ、頭の中で声を出す必要はない」と講師は教えてくれた。まったく新しい体験だった。
訓練の中にはイメージトレーニングも入っていた。複数のイメージを同時に動かす。真っ暗だった私の心はひとつのものをイメージするだけでもへとへとになるのに、それを複数描いて動きを与えるというのは、至難の技だった。けれども、順を踏んで訓練を重ねるとイメージが浮かび、鮮やかになり、動きだす。そうしているうちにイメージを展開する空間がある、できていることに気づく。ひょっとしてこれが「心」かも、と意識すると、そこに光が差し込み、奥行きが生じた。ここでなら黙読せずに文章も理解できる。見て、わかる。
苦労はしたけれども、数々の訓練を経て、私は言葉を使わずに、イメージで考える方法を手に入れた。この頃には本が速く読めるとか、どうでもよくなっていた。心の空間を広げ、整備すること自体が面白くなっていたから。

ふたつめのきっかけは、生来私と真逆の心の構造を持つ人がいることに気づいたこと。

90年代初め、気になるCMがいくつかあった。

コイケヤのポリンキー。小泉今日子のJR東日本。萩原健一・和久井映見のサントリー・モルツ。NECのバザールでござーる……。

CMのくせに面白いな、と気になって調べて見ると、これらはすべてメディア・クリエイターで、今は藝大で教鞭をとる佐藤雅彦さんの仕事であることを知る。ピタゴラスイッチの人というとわかりやすいかもしれない。
この人、面白い。佐藤さんのことをあれこれ追いかけ始めた。ネットは黎明期だったから、調べるには本屋に行く。確か、六本木の青山ブックセンターだった。手にとった本はその名も「佐藤雅彦全仕事」(1996年:マドラ出版)
彼の手掛けた多くのCM作品の間に挟まれた佐藤さんの文章や対談の言葉が抜群に面白い。中でも強烈だったのは、インタビューの中で
「本当に僕は言葉がゼロの人なんです」
と語っていたこと。
「一人でいると、考えるにも言葉はまったく使わない。頭の中で『アーーー』という音が静かにずっと鳴っているだけで」

かつての私と真逆の人がいることに愕然とした。佐藤さんはひとり言をもらす知人が言葉で考えていることを知って「なんてヘンなやつなんだろう」と思ったという。私もひとり言がとても多い。

続けて、大学で数学を専攻しながら一旦はそれを諦め電通に入社した佐藤さんは
「どうして数学や物理をもう一度やろうと思ったかというと、イメージで考えればいいんだって、わかったからなんですね」
とも語っている。

今ならわかる。ぎこちないが、私もイメージでものを考えることができるようになったからだ。心が闇だった時代に三角関数が理解できるわけがない。高校生として三角関数に向き合った私はあれも言葉だけで理解しようとしていた。それは無理と今ならわかる。

速読のトレーニングを通じて心を見つけ、佐藤雅彦さんのように当たり前にイメージでものを考える人がいることに気づいてから、さらに十数年たった一昨年のこと。ふと、老舗の通訳者養成機関サイマル・アカデミーの生徒募集が目にとまった。「今さらなぁ」と思いつつ、若い頃の憧れが「サイマル」の文字とともに鮮やかに蘇る。

20代の頃、人を介して、サイマル・アカデミーの校長だった村松増美先生からサイン入りの著書を頂いて舞い上がったことがある。「ミスター同時通訳」と呼ばれ、時の首相の通訳も務めた方だ。本のタイトルは「だから英語は面白い」
カバーの裏には英語で
「ムライタケシさま
幸せで豊かな未来を英語と共に迎えられますように」
と書かれていた。

サイマルの広告に再会して「英語はずーっと面白い。でも自分は幸せで豊かな未来にいるだろうか」と自問した。

大学時代はアタマで音を扱いかねて通訳者への道をあきらめた。私淑する憧れの先生から目の前で「あなたはプロにはなれない」と断言された。

速読のトレーニングを通じて心を作り上げた今ならどうだろう。今さらプロになるかどうかは別にして、もう一度だけ通訳という作業に挑戦してみたい。突然そんな強い思いに突き動かされた。

本格的にプロを養成するコースは多額の費用と時間とがかかる。正直その覚悟はない。夏の間の通訳養成短期コースというのに通ってみることにした。このコースを受けるためには、英語力の試験だけでよかった。幸い合格。

何せ短期コース。週一回二時間の授業が4回。その間に逐次通訳、ノートティキング、そしてあの同時通訳まで一気に教えてくれるという。プロ用のコースは別にあって、そこへのお試し、呼び水の位置づけのようだった。

初めて実地で学ぶ通訳の技術。基礎技術のひとつにリテンションというのがある。耳から入った文章を記憶し保持すること。例えば日本語で入った文章をまず自分の中に一定時間保持する。これができないと、それを外国語に置き換えて発話するという通訳の一連の流れが始まらない単純ながら重要なスキルだ。

かつての私は、これを頭の中の「音」で覚えようとして、挫折し続けた。リテンションは専ら記憶のチャレンジだと思っていた。しかし、通訳の本番で何度も繰り返し音読して覚えるヒマなどまったくない。文章を聞けるのはたった一回。音を音としてリテンションするのは不可能とは言わずとも相当ムリがある。私にはできない。

しかし、「心」の空間ができてから初めてリテンションを試してみると、ずっと楽にできる。聞こえてきた音のかたまりを心の中でファイルにして、同じく心の空間にポンと置いておける。そんなに長いこと保持することはできないが、一旦心の中に置いて、これを眺める余裕も生まれていた。どうも心の中では音とイメージが融合しているようなのだ。

次にシャドウイング。これは聞こえてくる日本語なり英語を自分の口でもそのまま繰り返しながら追いかける技術。かつての私の情報処理システムには音の回路しかなかったので、聴きながら話すなどということはできなかった。1車線の道を2台の車が並走することはできない。どちらかは道からはじき出される。

しかし、これも心の空間を使うと、できる。入ってくる音をイメージと融合したファイルとして心の中に置いておく。音は次から次と入ってくるから、このファイルは変化し続けるが、それを心の目で眺め、そのイメージをもう一度言語化することで、シャドウイングもできるようになった。
そして通訳。逐次通訳と同時通訳との間には、大きな崖があるとよく言われ、私もそう思っていたのだが、3回目の授業のとき、心の空間を使うと二つの間に大きな違いはないのではないかと気づいた。
ひょっとして、と通訳クラスの先生に質問してみる。
「英語を聴きながら、心の中にイメージを作り上げて、逐次通訳なら順番に、同時通訳なら同時にこれを日本語で描写し発話するのが通訳だと思うのですが、そんな理解でよいでしょうか。だとすると、同時も逐次も心の使い方の基本は同じように思えてきまして……」
「そうです。私もそうしています」
通訳者のアタマ、心の中で起きていることがやっと見えた。
仕組みがわかれば人間ワザではないと思っていた同時通訳の練習の方法も分かってくる。自分に何が足りないのかも把握できる。
拷問室で絶望的沈黙を経験してから30年以上が経っていた。
プロになりたいのか、自分の気持ちも定かではないまま受けた短期の授業。それでも、まだ心をチューニングすることであの頃の憧れに近づけるのかな、と思うとトレーニングの一瞬一瞬が喜びに変わる。
「だから英語は面白い」
村松増美先生が創業に関わったサイマル・アカデミーのトレーニングルームでヘッドセットを付ける。気持ちがひきしまる。緊張感が心地よい。英語のスピーチが流れ出す。
声が、見えた。

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミプロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

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