少女の秘密、重くて固いドア、想像を絶する痛み
記事:西脇聡志(ライティングラボ)
10
さっきの雷すごかったね。
近くに落ちたんじゃない?
私びっくりして少しイスから飛び上がっちゃった…
あーあ、何の話をしてたのか忘れちゃった。
ええと、私の話だっけ?
9
学校?
学校にはちゃんと通ってるわ。
今日?
今日はたまたま…
ちょっと気分が乗らなかっただけ。
え、この格好?
ロリータだけど、一応…
あなた知らないの? 別にロリータファッションなんて珍しくもないでしょう?
学校に?
着ていくわけないじゃない。校則でダメってなっちゃうし、そんなとこで目立ちたくもないし。
でも、休みの日くらい好きな格好をしたいの、こうやって――
ほら、結構悪くないでしょ?
8
友達?
別に学校にはいないけど…
なぜって? そんなの、あんなヤツらと仲良くなったり、一緒にいたりしたくないからよ。
学校なんてとこには、私と気が合うヤツなんて一人もいないわ。
なぜかって?
そんなの、みんなとってもとってもおバカさんだからよ。
わざとらしくてウソっぽくて、みんな陽気にふるまってるけど、本当は楽しいことなんてひとっつもないのよ。
7
みんな悲しいほどにおバカさんなの。
人の心を踏みつけて、傷つけて、それが唯一の娯楽だっていうようなヤツらなの。
そのくせ妙に要領だけは良くって。
要領の良いバカなんて
……本当に気持ち悪い……
私ね、そういうヤツらにはならないって決めてるの。
絶対こいつらとは仲良くなってやるもんかって、
そう固くかたく決めてるの。
6
ふん、私は平気よ。
一人でいることなんて怖くない。
私が怖いのはね、
私が気づかないうちに私の心が蝕まれて、そういうおバカさんたちと、だんだん同じになってしまうこと。
もしそうなったら…
ううん、そうなる前にこんなつまらないとこなんか出ていってやるわ。
それにね、
私にはちょっとした秘密があるんだよ。
私の心を蝕むおバカさんたちから身を守るとっておきの秘密が…
ねえ、あなたは知りたい?
私の秘密を――
5
――目を閉じて、
心の中にドアを思い浮かべるの。
しっかりとしたドアよ。
重くて固い、そういうドアを思い浮かべるの。
そして、私の心の中にドアがしっかり完全に現れたら、ドアノブをつかんでゆっくりとドアを開く――
するとね、そこには私だけの場所が待っているの……
4
…そこはね、何というか古いバーみたいなところなの。
まあ私はまだ高校生だからバーに入ったことはないのだけれど…
…でも、とにかく古いバーみたいな場所で、ちょっと照明が落とされていて、
それで古いジャズがかかっているの。私のおじいちゃんとか、もっと上の人が聞いてたみたいな古くさい曲。
でもね、私はそういうのそんなに嫌いじゃない。
なんていうのかな、懐かしい気持ちになるの。
ああ、またこの場所に戻ってきたんだなあって。
3
いつもその場所には私以外、誰もいないわ。
少なくとも私がその店にいる“間”は誰もいないみたい。
でも、いつも誰かがそこにいた気配が残ってるの。
店のカウンターっていうのかな? テーブルに吸いかけのタバコがあるときもあるし、まだまん丸の大きな氷が浮かんでいるグラスが残ってる時もあったわ。
もしかして、私が急にドアを開けたものだから、あわててみんなどこかに隠れてしまうのかな?
でも変よね、別に隠れる必要なんてないのにね。
2
私はその場所に入るといつもカウンターのイスの一つに座って、目を閉じるの。
そして、古いジャズの音に耳をすませる。
ただ、ひたすら音楽を聴き続けるの。
なんていうのかな、ジャズの音が私を守ってくれているような気がするの。
だから私は目をつぶって必死になって音楽を聴き続ける。
ううん、そもそもその場所自体が私のことを守ってくれている感じがする。
きっとこの場所は隠れ家みたいな場所で、私の「痛み」が引いてくれるまで、わたしのことを周りから隠してくれているの。
1
ねえ、あなた、
この世界には想像を絶する痛みがあるってこと知ってる?
どんな理屈もどんな言い訳も通用しない、
親切さや優しさのかけらのまったくない「痛み」ってやつがこの世界にはあるの。
そして、そういう想像を絶する痛みを受け続けた子が、どんな気持ちで生き続けているか、あなたは知ってる?
私はね、
神さまなんてもの、これっぽっちも信じない。
だってもし神さまがいるのなら、こんな不公平が許されるわけないもの。
どうして痛みを引き受ける子は一人なの?
どうしてみんな黙って見ないふりをするの?
どうして私でなければならなかったの?
もし、私が神さまだったら許さない。
こんな不公平があっていいわけがない。
もし、私が神さまだったら決して許さない!
同じ痛みを!
この想像を絶する痛みを、あいつらに雷のように降り注いでやる!!
もし私が神さまだったら!!――
0
その時、少女は「ポン」という音と共に弾け、いっさいの形を失いました。
さっきまで話を聞いていた少年は静かに立ち上がり、少女が座っていた場所に落ちていた小さな紙片を拾いました。
それは何人もの名前が書き連ねられたリストのようでした。
少年は紙片を丁寧に折りたたむと、それをコートのポケットにしまいました。
――遠くで静かに雷鳴が響き始めるころ、
誰かが重くて固いドアを開きます。
そして、店の中には切なくさみしげなジャズの音が、いつまでもいつまでもなり続けているのでした――
***
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