ライティング・ラボ

外界に散りばめられた記憶 ―出会いと別れの季節の空想―


記事:秋山 智(ライティング・ラボ)

10410420_759235564164085_3897455915322700074_n

「秋山さん、どこに向かおうとしています?」
後輩と一緒に、とあるクライアント企業に打合せに向かう途中だった。後輩から意味のわからない質問を投げかけられた。
「え? ○○社でしょ?」
「コイツ何を言っているんだ」と思いながらも、時間ぎりぎりに出てきてしまったため、目的の路線の改札に向かって地下道を足早に歩く。
「こっちじゃないですよ。移転のはがきを見ませんでした?」
「あ!」
そうだった。思い出した。たしか少し前にはがきを回覧したところだ。事務的に見て次の人に回してしまったためか、完全に忘れていた。

「それ早く言ってよ!」
慌てて地下道を引き返し、別の路線の改札へと向かう。
しばらく忙しかったからだろうか、すっかり記憶から抜け落ちていた。自分の注意力の散漫さを反省しつつも、それだけには回収しきれない何かがあるようにも思えた。たとえば、「このクライアント企業」なら「この場所」「この時間」というのが体に染み込んでいて、体が自然と反応してしまったようにも思えたのだ。

移転などはよくあることだ。
これまで何社もの移転を見ているし、単に移動経路が変わるだけ。そのときはそう思っていた。しかし、別の路線の改札を抜け、地下鉄に乗り込んでみると、何か違和感がある。
むずがゆいというか、そわそわするというか、落ち着かない感じがする。新しい場所に訪れる不安なのか、時間どおりに辿り着けるかどうかという焦りなのか。しかし、そういうものとは少し違う。
いちばん近いのは、僕が思い描いたクライアント企業のイメージと、その移動経路がマッチしていないという感覚だ。おそらく付き合いが長いせいか、移動経路までもがクライアント企業に対するイメージの一部となってしまっていたのだろう。

思い起こせば、そのクライアント企業との付き合いは10年近い。
まだ新人だったころに前任者から引き継いだ企業で、慣れない分野の業務だったせいか、当時はプロジェクトを完遂させるのに必死だった。終電で帰れればまだいいほうで、徹夜をするのが当たり前のような日々だった。
ときには深夜にクライアント企業から自社に作業を持ち帰り、明け方に完了した作業をクライアント企業に届けたり、ときにはクライアント企業のパソコンで作業をして、さらにその作業結果をもとに自社で原稿を作成したりと、とにかくクライアント企業には通い詰めた。道中、急なゲリラ豪雨に見舞われたこともあったし、重い作業用機器を持って行き来したこともあった。

その道中、そのビル、その受付、その会議室……。
それらすべてともう関わることがないと思うと、さびしさというより、その企業の一部を欠いてしまったような空虚感があった。移転先に到着したときも、やはり別の企業のような感じがして、どこかよそよそしく、慣れない感じがした。

そのとき、こんな空想が頭をよぎった。
「記憶は、我々の脳ではなく、環境に宿るものなのかもしれない」と。
ある場所を訪れたとき、そこで経験したことがありありとよみがえってきたり、旧友との再会でそれまでの関係がフィードバックしたりするのは、環境による要因が大きいのではないか。

脳が記憶を思い起こすというより、周囲の環境によって呼び覚まされる記憶。もちろん、脳は外界からの刺激によって記憶を呼び覚ましているのだろうが、もしかしたら脳自体にはそこまで大容量の記憶を保存しておけないのかもしれない。保存できない分を外付けハードディスクのようにして外界に散りばめ、散りばめた記憶を脳が読み取っているだけなのではないか。

ふと、そんな空想をしているうちに、子どものころのことを思い出した。
僕は石を集めるのが好きだった。特にきれいだとか貴重だとかいうわけではない。ただその辺に転がっている何の変哲もない石ころである。ただ、それでも僕にとってその石は、そのとき、その場所にしかない、唯一の石だった。
たとえば、近所のよくなついていた犬が死んでしまったとき、犬小屋の近くにあった石を持ち帰ったり、河原に作った秘密基地に転がっていた石を持ち帰ったりしていた。当時の僕の机の上には、そんなどこで拾ったかわからない石がゴロゴロと転がっていた。そんな奇妙な子どもだった。

そのときの感覚はよく覚えていないが、もしかしたら僕は、石を集めることで記憶を石に込め、その石を見れば大好きだった犬や秘密基地のことを思い出せるようにしていたのかもしれない。つまり、僕にとってはその石が、記憶の外付けハードディスクの役割をしていたのだろう。

冬から春にかけ、出会いと別れが多くなる季節。
そのとき、その場所に落ちている石を拾い、持ち帰ってみるのもおもしろいかもしれない。その瞬間とその場所の記憶を押し込めた、記憶の外付けハードディスクとして……。

***

この記事は、ライティングラボにご参加いただいたお客様に書いていただいております。

ライティングラボ員になると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

次回の詳細・ご参加はこちらから↓

【天狼院書店へのお問い合わせ】

TEL:03-6914-3618

【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をして頂くだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。イベントの参加申し込みもこちらが便利です。



【天狼院のメルマガのご登録はこちらから】

メルマガ購読・解除

【有料メルマガのご登録はこちらから】

バーナーをクリックしてください。




天狼院への行き方詳細はこちら


2015-04-08 | Posted in ライティング・ラボ, 記事

関連記事