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メディアグランプリ

1万円超のカレーライス


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事: 追立 直彦(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
先日、あるお取引先を訪問した時のこと。
この会社の社長にごあいさつ差し上げるのは、約半年ぶりである。社長室に案内されると、なんだか以前と、すこしだけ様子が違う。整然としていて、余計なものはほとんど置かれていなかったオフィスが、少しだけ狭く見える。ああ、社長のデスクわきに無造作に積まれている、このダンボールの山が原因か。どの箱にも、某大手通販のロゴマークが印刷されているが、どうやら未開封のものが大半のようだ。
 
型どおりのごあいさつを済ませたあと、ぼくは社長に素朴な疑問を投げかけてみた。
「社長、なにかたくさんお買い物をされたようですね」
「あ、コレ」と言って、ダンボールの山を一瞥した社長は、うれしいような、困惑しているような、微妙な表情を浮かべている。
「趣味でキャンプをはじめてみようと思っていて。まずは道具収集からですよ。テントに寝袋、調理器具……、(通販サイトを)見れば見るほど欲しくなりますね、こういうものは。集めはじめるとキリがないなあ」
 
それをお聴きして、正直ちょっと驚いた。微笑ましくもあった。
なぜなら、ぼくが知る彼は、とにかく仕事が趣味のようなひと。事業はうまくいっているが、思いがけないストレスにいつか潰されるのではないかと、ひそかに心配をしていたのである。新しい趣味をはじめるのは、きっと彼にとって、すごく良いことだ。ただ、いくつかの疑問も浮かんだ。なぜ、箱は開封されていないのか。そもそも、趣味のモノを、会社の自室に積んだままにしている理由がわからない。
 
彼は、ぼくの疑問を察知したかのように、その理由も語ってくれた。
どうやら、筋金入りのインドア派で、しまり屋の奥さんの理解が得られないままに収集をはじめたので、家に道具を持ち込みづらいとのこと。通販から手もとに商品が届いたものの、あまりの仕事の忙しさに、箱を開封する心の余裕もないらしい。
 
同情心が沸くとともに、あるひとつの古い記憶が、脳裏によみがえった。
かつて、「1万円超のカレーライス」を食べた時の思い出である。
 
1万円超のカレーライスなんて、さぞかし高級な味わいを想像されるだろう。
数年前だったか、安倍晋三首相が自民党総裁選を目前に控えて、景気づけに食べたホテルのカツカレーが3,500円と報道され、「どんだけ高級なカツカレーなんだ」と、庶民の注目を集めたことがあったが、その二倍以上の値段である。無理もない。しかし、残念ながら、当時の安倍さんが食べたホテルのカツカレーに比べると、1万円超のソレのクオリティーは、きっと数十分の一以下。なぜならソレは、ぼくが生まれてはじめて作ったカレーライスだったから、である。
 
当時、二十代後半のぼくは、社会人としてのひとり暮らしを楽しんでいた。
深夜残業が当たり前の、せわしない日々を過ごしていたものの、その分実入りは良かったので、生来の無精気質も手伝って、食事は外食ばかり。ひとり暮らしをはじめて三年以上経過していたが、自炊など一度たりともやったことがなかった。そんなぼくが、ある休日の昼さがりに料理番組を見ていて、ふと思い立ったのである。「そうだ、本格的なカレーライスでも作ってみるか!」と。
 
電子レンジと炊飯器、ちいさな鍋とフライパンしかない、さびしいキッチンである。
どうせカレーを作るなら、きっとたくさん作ったほうがうまい。カレーなら朝晩三日間くらい、ぶっ通しで食べてもかまわない(菌が繁殖するので、くれぐれもマネしないように)。となると、7、8皿分くらいか。寸胴鍋が必要だ。ほかにも足りないものがあるかもしれない。一瞬、道具や調味料を揃えることに躊躇したが、はじめて自炊した料理に舌鼓を打つ、「頑張った自分」のイメージのほうが勝った。よし、今日から料理を趣味にすればいい。道具を揃えるのは自己投資。さっそく、近くのショッピングモールに車を走らせた。
 
結果、調理器具や食材(肉は、ステーキ用の高級国産牛!)、調味料やスパイスなどを含めて購入した金額は、軽く1万円を超えた。カレーライスだけではさびしいので、ポテトサラダも作ってみた。調理は、想像を絶する大変さだった。野菜や肉の下準備に汗をかき、火加減や味加減に戸惑った。料理本は手放せず、表紙は水と脂でグチョグチョに。気がつけば、夕方に調理をはじめて、完成したのは夜の10時過ぎだった。なんと不器用なことか。達成感よりも疲労が先に立っていた。
 
これが、ぼくが食べた「1万円超のカレーライス」の正体である。
「いやいや、調理器具を原価に含めちゃダメでしょう」という、みなさんの声が聞こえるようである。わかります。でもどうしても、含めたい理由があるのだ。
というのも、その日以降、料理は、残念ながらぼくの趣味にはならなかったのである。
かんたんに言うと、その一日で「懲りた」。
揃えた道具や調味料は、数年後にカミさんとの同棲生活がはじまるまで、一切使われることはなかった。なんというゼイタクな出費だったことか。ちなみにカレーライスの味は、悲しいほどにまったく覚えていない。
 
社長の未開封のダンボールの山に見たものは、そんなぼくの、おせっかいな懸念だった。彼が今まで道具に掛けたコストは、ぼくの一万円の比ではないだろう。目まぐるしい日々に忙殺されて、そのまま開封されることなく、箱の中で眠り続ける道具たち……キャンプ道具も、流行の影響を受けやすい代物のひとつである。いざ使おうとしたら、流行遅れで外に出すのが恥ずかしい。そんなこともあるかもしれない。
 
しかしながら、ぼくは「かたちから入る」ことに否定的なワケではない。むしろ、そんな彼の行動力に、エールを送りたい。「かたちから入る」ことは、行動の強い動機づけにつながる。やってみてはじめて、「合う・合わない」がわかることもたくさんある。最初にコストをどのくらい掛けるのかは別として、まずはバッターボックスに立ち、スイングしてみることが大切なのだ。「1万円超のカレーライス」だって、作ってみて気づいたことはたくさんあった。
 
「社長、よいですね! まずは、道具の使い始めからですね。よろしければ、ご一緒させていただきますよ」とエールを送るも、返ってきたのは、「いや、ひとりキャンプがしたいので」という、社長のつれないひと言。まあ、ひとりキャンプも風情があってよろし、である。
 
 
 
 
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2019-11-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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