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あなたの人生を変えるかもしれない。農山村は可能性の舞台だ!


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:神東美希(ライティング・ゼミ冬休み集中コース)
 
 
「静岡県川根本町」
今から9年前の1月、送られてきた一通の手紙にそう書いてあった。
 
 
「かわねもとまち? ほんまち?」
読み方も知らないその町へ「緑のふるさと協力隊」として派遣されることが決まったという知らせだった。
 
 
「どんな町なんだろう?」
慌ててネット検索してみる。「かわねほんちょう」と読むらしい。
 
 
人口約8,000人。町の真ん中に大井川が流れ、それに沿って大井川鉄道が走っている。日本三大銘茶・川根茶の産地。コンビニが二軒。
得られた情報はこの程度だった。
 
 
その3か月後の4月中旬。
私は二両編成のレトロな電車に揺られていた。窓の外には大井川と茶畑。川の水面も茶畑の萌黄もキラキラ輝いて見えた。
 
 
「どんな一年になるんだろう?」 電車が進むにつれ、ドキドキとソワソワが加速する。これから始まる新しい暮らしへの期待と不安。
 
 
ジブリ映画「魔女の宅急便」の主人公・キキが、初めて修行の地へ降り立った時の気分とでも言おうか。
 
 
乗車して1時間ほどが過ぎ、とある無人駅で下車。昭和チックな木造駅舎の改札をくぐると、ふわっと優しい春の風が吹いた。はじまりの風だった。
 
 
こうして私は「緑のふるさと協力隊」としての第一歩を踏み出した。
 
 
「緑のふるさと協力隊」とは、過疎化に悩みながらも地域を元気にしたい地方自治体と、農山村に関心をもつ若者をつなげるプログラム。隊員は農作業やイベントなど、地域の求めに応じた活動を一年間限定で行う。
 
 
認知度は高くないのだが、1994年にスタートし、26年間で786人が派遣されている。
 
 
さて、着任早々、私はお茶にまみれた。茶娘の衣装を着てイベントに出たのを皮切りに、茶摘みや茶工場の手伝いに引っ張りだこ。何もかも初めて尽くし!
 
 
お茶ができていく過程(収穫→加工→販売)を現場で体験することができた。
見るもの、出会う人、やることなすこと何もかもが新鮮で、感動の連続だった。
 
 
問題は、活動や生活に慣れてきた3か月目あたりからだった。
 
 
お茶時期が終わり、町営の農業施設や観光施設のお手伝いが続いたが、特段忙しいわけでもない。いや、暇なのだ。日常がマンネリに陥った。
 
 
「このままでいいの? もっと自分らしい活動はできないものか……。」焦りは募るばかりだが、どうすることもできずにいた。
 
 
また、「地域に溶け込まなくては!」と思い、地元のおじさん、おばさんで構成されたバレーボールクラブに入った。元来、人見知り&出不精な私だったが、何とかして「自分の殻」を破りたかったのだ。
 
 
しかし数回で挫折。
だって超がつく運動オンチなんだもの。楽しくないんだもの。
 
 
すでに出来上がっている人間関係に入り込む難しさ&疎外感に加え、下手すぎてチームメイトに迷惑かける申し訳なさに耐えられなかったのだ。
 
 
時として、挑戦する勇気は必要だが「慣れないことは無理してやるもんじゃない」と悟った。
 
 
それ以来「自分らしさ」と「自分の殻」の間でもがき苦しんだ。
 
 
ある日、勇気を出して役場の担当者に打ち明けてみた。
「特別なことはしなくていいんだよ。あなたがそこにいるだけで地域のためになるんだから」との返事。
 
 
今となれば「協力隊員の存在自体が地域に刺激や変化を与えている」という励ましの言葉として受け止められるのだが、当時の私は違った。
 
 
「私がここにいる意味あるの?」と、さらにモヤモヤ。
 
 
しかし、そう捉えたことで俄然スイッチが入った。
 
 
「あと数か月しか残ってないんだ。後悔はしたくない!」
 
 
そして「地域の人たちとの出会いを通して、その魅力を伝える」ことを活動テーマに据えた。
 
 

高校生から子育てママ、お茶農家など、時間があれば老若男女問わず会いに行き、インタビューさせてもらった。
 
 
「年老いてもずっとみんなでここに暮らしたい」と、仲間と一緒にまちづくりに邁進するTさん。
 
 
70歳で炭焼きからヤマメの養殖、木こり、つる籠編みまでこなし、「時間がいくらあっても足りんわい!」と豪快に笑う、山暮らしの達人Aさん。
 
 
どこの誰かも知らない女が訪ねてくるので、最初はみんな口が重い。しかし、じっくり時間をかけて向き合うことで、話がどんどん盛り上がった。
 
 
一人ひとりの個性や人生観、町への想いがジワジワと伝わってくる。
 
 
「私のことも知ってもらいたい」と自ら心を開いて話すようにもなった。
 
 
インタビューの帰り道はいつも、ホッコリとした温かい気持ちに包まれた。同じ時間を共有できたことで、目に見えない信頼関係が生まれた気がした。
 
 
それまで感じていた疎外感は薄れていった。自分の心の壁を取っ払って、相手の懐に飛び込んでいったからかもしれない。
 
 
人に出会うたび、この町と、この町で暮らす自分を少しずつ好きになっていった。町の魅力は、住民一人ひとりが作っていたんだ!
 
 
そして一年の活動が終わる頃、私はこの町に残ることを決めた。
 
 
協力隊はスーパーヒーローじゃない。一年間で地域の課題を解決できるわけがない。何かを成し遂げるなんて夢のまた夢。
 
 
「自分探し」してみたところで、己のふがいなさを思い知ることになる。むしろ周りに助けられてばかりで、無力感に打ちひしがれる日々。
 
 
「〇〇さんがどうした」だの「車がなかったけどどこへ行ってたんだ?」だの。狭いコミュニティーでの人間関係に嫌気がさしたことも。
 
 
それでも「生きている」ことをこれほどまでに実感した一年はなかっただろう。
 
 
季節の移り変わりや、自然の美しさ・畏怖を目の当たりにできる豊かさ。
 
 
甘えたり頼ったりすることが苦手な私が、「それもコミュニケーションの一つだ」と思えるようになり、人との距離感が近くなった。
 
 
「来てくれてありがとう」 必要としてくれる人がいる喜び、活躍できる場所に巡り合えた。
 
 
たった一年、されど一年。
農山村での暮らしは、自分と、他者と、自然と向き合わざるを得なかった。
 
 
その結果、たくさんの宝物を得ることができた。それが「経験」となって今に生きている。
 
 
うまくいかないことも多かったが、「緑のふるさと協力隊」で良かったと心から思っている。
 
 
価値観はおろか人生まで変えてしまうかもしれない「緑のふるさと協力隊」
定住率が4割というのも当初は半信半疑だったが、今なら納得できる。
 
 
あれから9年たった今もなお、川根本町に暮らしているのだから。
 
 
もしも「生きる力を身につけたい」「新しい世界に飛び込んでみたい」「本当の豊かさを感じてみたい」と思うのなら……。
 
 
農山村は可能性の大きな舞台なのかもしれない。
新たな一歩を踏み出すかどうかは、自分次第。

 
 
 
 
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2020-01-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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