メディアグランプリ

彼女と腕枕


 

 

記事: Ryosuke Koike (ライティング・ラボ)

 

 

その日は快晴で、とても穏やかな1日だった。

言ってしまうが、つい先日の5月5日のことである。

 

 

目を覚ますと、左腕に違和感があった。肘から先の感覚があるようでないような、ずしりとした鈍い感覚。私は違和感のある方へ目を向けた。

 

艶のある黒髪。

 

彼女に腕枕をしたまま、どうやら一緒に寝てしまっていたようだ。

左腕は彼女の頭を支え続けたために痺れ、私の言うことをほとんど聞かなくなっていた。

 

リズムのある彼女の寝息だけが耳に入る。他には何も聞こえやしない。

私は無理に左腕を動かそうとするのを止めた。

 

彼女の顔を覗き込んでみる。

約1か月前に初めて出会ったが、その時から可愛い顔をしていると思っていた。

ぷるんとした頬。

まんまるとした鼻先。

少し小さめの口。

何度見ても飽きない。寝顔を見ているだけで本当に癒される。もちろん、笑顔は最高だし、泣き顔もそれはそれでいい。

 

抱いたのは、これで何度目だろうか。

 

しばらく、何も考えずぼーっと眺めていた。

が、我に返る。何時だ?私は部屋を見回した。

 

机の上の置時計は午後1時を回っていた。

かなりの時間寝てしまったようだ。まずい。時間がない。

 

彼女を起こさないまま、上手く出ていけるだろうか。

ベッドから降りるためには、まず左腕を解放しなくてはならない。私は、感覚を失った手に神経を集中させて動かそうと試みた。

左腕は、動いてくれた。しかし、思った以上に動いてしまった。

 

角度を変えた左腕は、彼女のうなじを調度よく刺激したようだ。寝息が一瞬乱れた。

即座に動きを止める。デリケートな彼女のことだ。油断してはいけない。慎重に。慎重に。

 

それにしても、これ位のことで痺れてしまうとは情けない。彼女の荷物を持つ機会も増えるだろうし、たくましく見せるためにも出会った日以降、毎日腕立て伏せはかかさずやっていて腕力がつき始めたと思っていたのだが。まあ、関係ないか。

 

しばらくすると、寝息はもとのリズムを取り戻していた。そして、この間に左腕も徐々に感覚を取り戻してきていた。

 

よし、いいぞ。次の段階だ。

左腕に力を入れようとした瞬間、

 

ピリリリリ。

 

静寂を突き破る乾いた電子音。

一瞬何かわからなかったが、すぐに気付く。

震源地はズボンの右ポケットだった。こんな時に限って、携帯電話をサイレントモードにしていなかった。

 

ピリリリリ。

2回目のコール音。

 

シャツの中を冷汗が滴り落ちる。一刻も早く音を切らなければ。

右手でポケットの中をまさぐるも、上手く取り出せない。

 

ピリリリリ。

3回目のコール音。

 

やっとのことで携帯電話を取り出す。表面の通知欄には妻の名前が右から左へと流れていた。

そんなもの今はどうでもいい。

携帯電話の側面にあるサイレントモードのボタンを押し続ける。

間に合うか!

 

ピリリリリ。

4回目のコール音……は鳴らなかった。

 

胸をなで下ろし、息を吐く。なんとか間に合った。

 

が、元に戻った左腕が、早速異変を知らせてくれた。

彼女の頭が小刻みに動く。

目元に皺が寄りはじめる。

愛らしい口が開き始める。

 

頼む。起きないでくれ。

願いもむなしく、純粋無垢な眼差しが懇願する私の目を捉えた。

 

 

おぎゃあ。

 

 

 

生まれたばかりの娘を抱えてから、早くも1か月が過ぎた。

たった1か月の間に元気よく成長し、こんなに重かったかと思うほどに、左腕はずしりとした重さを私に伝えてくれる。それにしても昼夜を問わずなかなか寝てくれず、夫婦で泣かされている最近である。

 

長男は既に抱えるのがやっとのくらい大きくなった。彼女もあっという間に抱えることができなくなるのだろうか。

 

考えると、重くなるのは体重だけではない。これから2人の子供たちを養っていかなくてはならない。進学のことを考える。大学に行くのだろうか。公立か、私立か。大学院まで行くかもしれない。目には見えない金銭的負担は重くのしかかる。

考えれば考えるだけで気持ちは沈んでいく。

 

そんな気持ちを振り切り、改めて娘の顔を見つめてみる。

まだ世界の何も知らない顔だ。

始まったばかりの人生、楽しいことや辛いこと、嬉しいことや悲しいこと、色々な経験をして、喜び、怒り、哀しみ、楽しんでいくだろう。

それらを共に積み重ねていくことができるのであるなら、お金の話なんてそんなに大きなことではないのかもしれない。

 

すっかり重くなった紙おむつを取り替え、娘を左腕に抱いてベランダに出た。

通り抜ける風が心地よい。

こどもの日が終わろうとしていた。

 

***

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