読書記録と母の記憶
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:かのこ(ライティング・ゼミ 日曜コース)
「最近いっぱい本を読むんよ」
母の言葉に驚いて、わたしは「なんで? 何かあったん?」と問いを投げた。
だって、わたしの記憶の中の母は、日中は看護師としての職務をまっとうして、夕方は祖父母の介護に出かけて、夜から朝にかけてはすべての家事をひとりで完璧にこなす人だったから。明らかに多忙の母には、本を読む時間なんてないはずだった。
帰省したわたしに「あんた丸くなったなぁ」と屈託なく笑った母は、そのときと同じ笑みで、「別に何かあったわけちゃうけど」と言った。読書記録をつけているという手帳を見せてもらうと、仕事と家事とを両立させながら、1ヶ月に5~6冊読む人の生活がありありと輝いている。
これは一体、どういうことなんだろう。
わたしの母は、半年経たないうちに、別人になっていた。
この年末年始、長野在住のわたしが大阪に帰るのは、実に半年ぶりだった。長野~大阪間というものは非常に厄介で、高速で帰っても新幹線乗り継ぎで帰っても、平気で5時間はかかってしまう。長野に移り住んだ当初は毎月帰っていたものの、次第に億劫になってしまい、今では半年に1回できるかできないかぐらいの頻度で帰省していた。
そりゃ半年経てば人間変わるものだけど、齢60近い母がこんなにも変わるものなのだろうか。わたしの複雑な心情も知らずに、母は次々に知らないタイトルを教えてくれた。わたしは下手な相槌を打ちながらも、そのタイトルを検索してはスクリーンショットして、iPhone内に納めてゆく。
「朝井まかてさんの本、最近よく読むねん。大阪出身で、この近くの人らしいねんけどな。数冊読んだけどほんま面白かったよ」
「あ、せや。あんた『ビブリア』の三上延さん、知ってる? この人の『同潤会代官山アパートメント』も面白かったで。わたし今持ってるから貸したるわ」
「時代小説も読むようになってん。『渦:妹背山婦女庭訓魂結び』。近所の人に教えてもらったから読んでみてんけど、わかりやすいでおすすめやで。直木賞も受賞したらしいでなぁ」
教えられるがままにスクリーンショットを積み重ねていく最中、母の表情をちらりと見たら、たしかにわたしが実家にいた頃とはまったく違う表情になっていた。生き生きとして、凛として。まさに趣味に没頭しているといった顔で、手帳をめくりながらも「えーっとねぇ」とわくわくした声を落としていく。
記憶の中の母親とはまったく違う表情。次第にその熱が伝染するかのように、わたしの口角もゆるゆると上がっていった。
「あっ、『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』って知ってる? あんたたぶん好きちゃうかなぁ」
「いや知らんわ、読んでみる。それで言うんやったら、お母さんたぶん原田マハさん好きやで。『本日は、お日柄もよく』とか」
「あー! お母さんもそれ、気になっててん。持ってるなら今度貸してや」
「ええよ、帰ったら送るわ。あの本わたしめっちゃ泣いてもうてん、タリーズでわんわん泣いてもうた」
「あんた傍迷惑やなぁ。……あ、お母さん最近あれも読んだわ。なんやっけ? 瀬尾まいこさんの、」
「「『そして、バトンは渡された』!」」
一瞬きょとんと顔を見合わせてから、お互いげらげら笑ってしまった。「なんやあんたも読んだんか!」「それこっちのセリフやわ!」の応酬も含めて、なんだかおかしくて楽しくて仕方がなかったのである。その一冊を選んだ理由が“話題作だったから”だとしても、共通の一冊を見付けたことがとても嬉しかった。
—―わたしは、勝手に、本棚は「人生」をあらわすものだと思っている。
本棚はそのときどきの趣味嗜好を如実に現してくれるからだ。人生に迷っているときは人生論や心理学的研究の本が増えるし、余裕があるときにはミステリやSFが増える。そして、恋人が好きだといった著者の本はエイヤッと勢いで揃えてしまう。別れたからといって捨てられるものではない本たちは、結局わたしの糧となって、人生のエッセンスになっていく。かつての一冊を読み返すたび、はじめて読んだ日の記憶が胸裏にドッとあふれかえって、まるでタイムスリップしたかのような感覚に襲われる。
だから余計に感慨深かった。
わたしの本棚と母親の本棚を構成する一冊が、被る日がくるなんて。
ここ数ヶ月の読書記録を語り終えた母は、ふっと息を吐いてから、「あんたとは本の話できて、ええなあ」と零した。どういうことだろう。軽く首を傾げたわたしに、母親は続けて言った。
「お父さんもあんたの弟も全然本読まへんやん。うちの家族で本読むんあんただけやし」
そうやっけ? と言いながらも、ハッとした。
そういえば、幼いわたしに絵本を読み聞かせてくれたのは母親だった。図書館に毎週連れていってくれたのも母親だった。だからわたしは、絵本や紙芝居をめくるときの音が大好きになったのか。次第に本を愛するようになったのか。
自我を持つようになってからは、忙しい母の姿しか見たことがなかった。だから勝手に「母は本を読まない」と決めつけていたけれど。もしかしたら違うのか。わたしには見えていなかっただけで、彼女はずっと、静かに読書を楽しんでいたのかもしれない。
そうやっけ、とすっとぼけたわたしをじっと見て、彼女はまた、わたしに似た顔で続ける。「そういえば、こういう本も貸してもらったんやけど、読む?」
手渡されたのは、ブレイディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」。わたしがずっと気になっていて、でもなんとなく読むのをためらっていた本だった。母はLGBTQや差別問題に疎い人間だと思っていた。驚いて母を見れば、彼女はまた、あんたのことはお見通しよと言うような顔でこちらを見ていた。
「お母さんもまだ読んでへんけど、先読んでいいよ」
—―わたしの本棚と母親の本棚は、もしかすれば、意外と似ているのかもしれない。母親の本棚のすべてを辿るすべがないだけで、本当は同じ本を読んできた仲間で、且つ、同じ本を読んでいくような、良き友人なのかもしれない。
長野に帰ってきて以降、わたしと母のLINEは静まり返っている。
けれど、母に教えてもらった本はわたしの部屋に積んであるし、わたしが母に読んでほしい本は母の机に置いてきた。LINEを延々と送りあうよりも、数冊の本を通して静かにコミュニケーションをとるほうが、わたしたちには向いているらしい。次に顔を合わせたときに、生で感想を語りあうほうがずっといい。
あの日母に教えてもらった本たちは、たとえ母が亡くなったとしても、わたしの本棚できらきらと生き続けるだろう。いきいきと感想を語ってくれた、母の記憶とともに。
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