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ハイヒールは誰のために履くのか?


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:関戸りえ(スピード・ライティングゼミ)
 
 
「もし私が男性だったら、こういう結果にはならなかったのですか?」
 
決裁の結果に納得がいかない私は、憮然として調停委員に聞いた。
 
「何とも申し上げられませんが……」
 
結婚、出産と、既定路線を幸せに生きてきたのに、どうしてこうなったのか?
 
民法730条に「夫婦の同居義務」がある。夫婦は一緒に住むのが義務ということだ。よほどの理由がない限りは。例えば、入院や単身赴任などだ。
 
いつかは英語を話せる職に就きたいと小さい頃からぼんやりと思っていた。具体的ではなかったが、周りにはそんな夢物語を語っていたのだろう。
 
チャンスは突然やってきた。
「海外で理恵ちゃんの経験を必要としている人がいるんだけど、行ってみない?」と知人から声をかけてもらった。
「はあ? 私の英語力知ってるでしょ? 子供もまだ小さいし、家族の承諾を得るのは難しいと思うの……」
あまりの唐突な話に頭が真っ白になった。非現実と思えたお誘いを受ける気持ちもなかったので、とっさにそう返答した。
 
その数日後、今度はエージェントという人から電話がかかってきた。
「2日後に現地のオーナーが、日本に面接に来ます。つきましては、品川のホテルにお越しいただけますか? とりあえず、オーナーと直接会って、どんな会社なのかを知っていただければ結構ですので」という言葉に、二つ返事で了承した。
ところが、実際に待ち合わせ場所に出向くと、「これに英語で記入をしてください」紙とペンを渡された。これって、履歴書というか職歴書のようなものだった。
反射的に空欄を埋め終わると、世間話をするようにインタビューがはじまった。
日本で就職活動をしていた時には、聞かれたことのない質問も多かった。
「あなたがうちの会社で働くとしたら、どんな条件を希望しますか?」
とっさには思い浮かばなかったが、話をしていくうちに給料やボーナスに関してはもちろん、住居、子供の学校や学費、保険、通勤に関することなど、細かい希望する条件を話していた。
 
学生時代の就活は、それぞれの会社に存在するシンデレラのガラスの靴にぴったりあった人が就職できるシステムだった。しかし今回は私の足に合うオーダーメイドの履き心地の良いハイヒールを両足分作ってもらえるような気持ちになった。
見た目重視のハイヒールに無理やり足を押し込め、靴ずれを起こしたり、外反母趾の痛みを我慢しならが過ごしていた日々から解放されるかもしれないと思うと、期待が高まった。今までは、周りの期待や目線を気にしながら、いい妻、いい母、いい嫁を自分に課してきたのだとこの時気づいた。
 
私の中で、答えは決まっていた。目の前にあるのはチャンスだと思う。チャンスの神様の前髪を掴みたいと夫やその家族を必死に説得した。
「わざわざ海外まで行かなくても、英語の仕事がしたいなら日本で職を探せばいいじゃないか」
「子供は誰が面倒見るんだ?」
「夫を残して、女が子連れで海外赴任だなんてあり得ん」
2度と自分に合わないハイヒールは履くまいと、覚悟を決めた。
 
会社とは、2年の契約を結び、子供を連れて3ヶ月後にはシンガポールの深夜の空港に降りたった。
重責を担うポストを与えられ、私は興奮状態だった。仕事が楽しくて仕方なかった。日本人ということもあり、会社にもお客さんにも信用され、大事にしてもらった。子供も数週間後には、現地の学校や友人、先生と馴染んで笑顔で過ごしていたので、私は安心して仕事に打ち込めた。
 
2年という時間はあっという間に過ぎ、約束の帰国の時がきた。
この頃、別のプロジェクトに関わり始め、私はどうしても成功させたかったのだ。2年間で築いた信頼や実績をこれから発揮できるチャンスが再び到来。
家族との約束の期限の延長を願い出たが、猛攻撃にあった。当然である。約束を反故にしたのだから。
目の前には、鉄でできたハイヒールが差し出されたようだ。
「履きますか、履きませんか?」
 
そして、日本から珍しく封書が届いた。見覚えのない宛名書き、封筒の裏を見ると差出人は「家庭裁判所」とあった。
書類に示された日に、私は帰国し裁判所へと向かった。
「お子さんもいるんでしょ。その子のためにも家族が一緒に住んだ方がいいと思うのよね。海外で働くというのは、ずっと就労したり収入の補償がないから、ご家族で一緒に住むのが望ましいと思うの。日本で同じような仕事は探せないの?」という調停委員の言葉は、鉄でできた先の尖ったハイヒールを差し出されたようだった。これを履いたら、やがて錆びていくのかと思うとひどく虚しく思えてきた。
既婚男性が単身赴任する場合、子供の有無が問われることはそれほどないだろう。しかし女性の場合は、求められることが違うのだとなんとなく理解した。
部屋を去る前に、調停委員に質問をしてみた。
夫が仕事を理由に家族で一緒に住めないというのは、一般的に受け入れられるが、逆の場合は個人の考えによるということをオブラートに包んでやんわりと答えてくれた。
私はハイヒールに足を押し込むことをやめる決心をした。
そして18年間、常夏の国でサンダルを履いて歩き回っている。
 
 
 
 
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2020-01-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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