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メディアグランプリ

「生きづらさ」を認めて、わかったこと


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:かのこ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「あなた、本当は生きづらいでしょ?」
 
社会人2年目になりたての頃、チームリーダーに呼ばれ、二人きりで会議室に入ったときのこと。「最近どう?」とよくある挨拶から始まり、「まあぼちぼちですね」と返してすぐに、チームリーダーからド直球で投げられた言葉がこれだった。
 
あまりにも突然だったので、わたしは思いっきりうろたえてしまった。
 
社会人1年目をほとんど研修で終えたわたしにとって、このチームリーダーと一緒に仕事をした期間はそれほど長くなかったのだ。むしろ1ヶ月ほどしかなかったようにも思う。まだまだ関係構築が始まったぐらいの頃に、突然呼び出され、先ほどの言葉をぽんと投げられたのだった。
 
そりゃあ、うろたえるに決まっているだろう。……というか、たった1ヶ月でわたしがどんな人間かまでも決めつけられなければいけないってどういうこと? わたしがあなたに一体何をしたって言うんだ? そもそも、たったの1ヶ月しか仕事してないんだから、わたしにはできないことがあっても当然じゃないの?
 
そう。うろたえるだけでなく、わたしは一種の不快感すらも覚えていた。もしかしたら表情に出ていたかもしれない。なるべく無表情をつとめて、何を言われているかわからない、みたいな態度を取っていたつもりだけれど。
 
「生きづらい……ように見えますか?」
 
何をどう答えればいいかわからず、質問に質問で返すという卑怯な手段を取ったわたしに、チームリーダーは一回だけ頷いて言った。
 
「抱え込みすぎ。全部が全部、自分だけの仕事じゃないんだよ」
「はあ……」
「もっと周りを頼ったほうがいいよ」
 
そう言われたって、自覚がないからどうしようもない。周りに頼れと言われたって、上手な頼り方を知らない。今までずっと頼られる側でいたから、上司や先輩にうまく頼る方法がまったくわからなかったのだ。
 
その後、わたしの業務量はだんだんと減っていった。最初に「できる」と言って引き受けた仕事も、気付けば誰かの仕事になっていたりした。チームリーダーと上司の計らいだとはわかっていたけれど、わたしには全然理解できなくて、「自分はもっとできるのに」と周囲に愚痴ることだってあった。
 
自分は、もっと、できるはずだと思っていたから。
 
――それから2年経って、昔よりは仕事をこなせるようになった今。「自分はもっとできるのに」と呟いていたあの頃のわたしに、この場を借りて言いたいことがある。
 
「自分はもっとできるのに」という言葉ほど、悪いものはない。
 
もちろん、現状に満足せず、もっと上を目指そう!というのはすばらしい心意気である。現状に満足してなあなあで過ごす日々なんて、面白くもなんともないだろう。惰性で生きる人間にだけはなりたくない、と常々思っているけれど。
 
「自分はもっとできるのに」という言葉は、少なからず周囲への不満をはらんでいるように思うのだ。周囲がもっと自分のことを認めてくれたなら、もっと上にいけるのに、とか。自分が活躍できる場さえ与えられたなら、もっと期待以上のパフォーマンスができるのに、とか。自分はもっとできる人間なのに、どうして認めてくれないんだろう! という嘆きおよび承認欲求が、多分に含まれている気がしている。
 
そう、ただの承認欲求なのだ。ただ強い承認欲求なだけなのだ。
 
一度でも「自分はもっとできるのに」と言ったことがある人は、胸に手を当ててよくよく考えてみてほしい。あなたが欲しかったのはただの賛同ではなかったか。慰められたかったではなかったか。
 
「自分はもっとできるのに」という人は、結局「わたしは仕事ができません!」と大声で叫んでいるようなものなのである。周囲に求められているパフォーマンスをもできていないのに、その上にいけるはずなんてないのだ。
 
「あなたはもっとできるのに」という励ましは希望だけれど、「自分はもっとできるのに」というのは負のスパイラルしか生まないよ。
 
――2年経った今だからわかる。わたしは確かに生きづらかった。
 
「あの頃は、ひとりでガーッとパソコンに向かっていたよね」とは、上司の話。
「話しかけても“あなたのことはどうでもいいです”って顔に書いてた」とは、先輩の話。
「完璧主義者? てか、職人っぽいなと思ってたー」とは、飲みの席で同期に言われた話。ついでに「独りオオカミだったよね?!」とも言われたような気がする。ああ、恥ずかしい。
 
当時のわたしは今よりも我が強くて、ひとりで孤独に仕事をしていて、そして仕事ができない人間だったのだ。「自分はもっとできるのに」と思っていたあの頃、わたしはまったくと言っていいほど仕事ができていなかった。新人という言葉に甘ったれていた。
 
仕事は、一人でこなすものではないのだ。チームとして互いに互いを信頼してこそ、ちゃんとした成果と評価が付いてくるものなのである。
 
チームリーダーとは、未だに二人でミーティングをする。本題に入る前、たまに昔話になることがあるのだが、つい最近も「あの頃のあなたはヤバかったよね」と笑われた。
 
「誰にも仕事渡せなくて、全部自分でやらなきゃやらなきゃ! っつって、めちゃくちゃ視野せまくてさー。周りのこと、なーんも見えてなかったでしょ」
 
「あーあーあーあー言わんといてください! てか、よくわたしのこと分かりましたね。あんときまだ1ヶ月とかそこらやったでしょ」
 
「なんか似てたもん」
 
「誰に?」
 
「昔の私に!」
 
けらけら楽しそうに笑う上司につられて、わたしもまた、あの頃を懐かしく思いながら笑う。きっとわたしたちは、不器用なりに頑張ろうとして、結果的に空回っていただけなのだ。
 
自分だけが頑張らなくちゃいけないと思い込んでいるとき、人は不適切な方向に頑張ってしまいがちだ。間違った努力に評価が与えられないと知ったら、「自分はもっとできるのに」という言葉にがんじがらめにされてしまうんだろう。
 
「自分はもっとできるはずだ」と自分を奮い立たせる前に、今一度、自分自身を振り返ってみてほしい。全部自分で頑張ろうとしていないか。チームで働いている以上、あなたが託された仕事は、けっして、あなただけのものではない。
 
生きづらくなったら、周囲にもっと頼っていいのだ。
誰だって、ひとりじゃ生きていけないのだから。
 
 
 
 
***
 
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2020-02-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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