メディアグランプリ

アサコ先生、この歌を届けて


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

 
 
記事:芝田エル(ライティングゼミ平日コース)
 
「今日は『津軽海峡冬景色』をやってくれ」
源さんはベッドに横たわったまま、かすれる声でアサコ先生に頼んだ。
「わかりました」と言って電子ピアノを載せたワゴンを足元で固定し、アサコ先生は弾き始めた。
源さんは目をつむり震える唇で「上野発の夜行列車」と歌った。
いや、正確に言うと歌にはならないほどの声で、とぎれとぎれにつぶやいただけだった。
それでも私には源さんが最後の力を振り絞ってその歌を歌ったように見えた。
トラック運転手だった源さんは、車の中でよく演歌をかけて歌っていたという。
独りきりの車内に歌が満ちて、トラックは夜道を駆けていく。
翌日源さんはあの世へ旅立っていった。
 
音楽療法士のアサコ先生は週に1回、ホスピスで働いている。
デイルームでピアノを弾き、音楽を通して患者さんやご家族を癒すのが仕事だ。
患者さんは具合がよければデイルームに集まり、コーヒーを飲みながら演奏を聴き一緒に歌う。たとえば3月だったら「ひな祭り」の歌を歌う。これならだれでも口ずさめて、昔を懐かしむことができる。
 
歌の合間にアサコ先生は患者さんに話しかける。
「タエコさんは小さいころどんな遊びをしましたか?」
すると76歳のタエコさんは、うーんと小首をかしげて「あやとり」と答えた。
「そう、あやとりですか、いいですね。私も小さいころよく姉と遊びました。何を作りました? ほうき?」とアサコ先生が尋ねると、周りにいた患者もあやとりの手つきをして笑顔になる。
 
年齢も病気もそれぞれ違う人が、音楽を通じて思い出を味わっている。
音楽はその人の生きてきた時代や、思い出のシーンと重なる。
メロデイが聞こえた途端に、言葉にならない感情がこみ上げることがある。
胸が熱くなり心の糸が緩み、病による苦痛が少なからず緩和される。
歌を聴いていた数十分の間は、まったく症状を感じなかったという人もいる。
唾液を使ってストレステストをすると、音楽を聴く前と聴いたあとではストレスが減っているという研究結果がある。
しかし深刻な病、とりわけがんの終末期における臨床的なデータはまだまだ少ない。
健康な人でも心が弱っているときには音楽が助けになるのだから、きっと病気の人にもそうだろう、という推測でしかない。
 
日本では音楽療法士は国家資格ではない。
つまり誰でも音楽療法士と名乗って働くことができる。
音楽だけではなく、医療や福祉、心理学などの専門分野も学ぶ必要がある。
一般的なルートとしては、大学や専門学校を卒業したあと5年以上の臨床経験を積み、日本音楽療法学会の講習会に参加して、初めて受験資格を得ることができる。
なかなかにハードルが高いのだ。
音楽療法士のほとんどは小児科や高齢者施設などで、非常勤かボランティアで活動している。アサコ先生のようにホスピスで活動している人は少ないそうだ。
欧米では音楽療法士は理学療法士などと同じく、セラピストとして地位が確立されている。日本では最近ようやく存在を知られてきたとはいえ、未だ常勤で採用されることはとても少ないという。
治療成績に直接結びつかなくても、音楽によって患者が心穏やかにいられることに価値を置くかどうかである。医師の治療、看護師のケア、栄養士の作る食事などと同様に、音楽もまた患者を助ける仕事である、と私は思う。
 
アサコ先生のいるところではいろんなドラマが生まれる。
デイルームである日、タケオさんがリクエストしようとしていた。
だがどうしても曲名が出てこなかった。
「朝のテレビ小説の『マッサン』でエリーさんが歌っていた、アイルランド民謡なんだけど」
「埴生の宿」ですか? とアサコ先生が聞いたが違うという。
そばにいたドクターがスマホで検索して、ユーチューブでイントロを出すと「あ、それ!」と見つけることができた。看護師がそれを見て詰め所に戻り、ネットから楽譜を引き出してくるまでに10分とかからなかった。便利な時代である。
アサコ先生はありがとうと受け取って、楽譜を数秒間じっと見た。
そして向き直ると
「みなさんおまたせしました。それではタケオさんリクエストの、アイルランド民謡をお届けします」と言って弾き始めた。
タケオさんは奥さんと二人、寄り添いながら目を閉じてじっと聴いていた。
私は初めて聴く曲だったが、草原に風が吹き抜けるような美しい旋律だった。
1番が終わるころ、タケオさんの目尻から涙がポロリとこぼれた。
こういうことは来週までは待てない。
「聴きたい」と思った時が「聴く」時だから。
 
アサコ先生と患者さんのこういう姿を見ていると、私がもしもがんになり、ここで最期を迎えるなら、何をリクエストするだろうとよく考える。
最期に聴きたい曲を一曲選ぶのは、なかなか難しい。
今思いつくのはレナード・コーエンの「Hallelujah(ハレルヤ)」である。
これを聴くと、旅立った先に明るい扉が開いているような気がするのだ。
扉の向こうにははるか昔に旅立った、両親が笑って待っているだろう。
私は5歳の頃に戻ってそこを駆けていくのだ。
 
先進医療の進歩ももちろん大事だけれど、私は音楽療法士という、人を助ける仕事にもっと光が当たってほしいと願っている。
それまではこの小さな場所で、アサコ先生を手伝って音楽を届けたいと思う。
 
 
 
 
***
 
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
 
http://tenro-in.com/zemi/103447
 

天狼院書店「東京天狼院」 〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F 東京天狼院への行き方詳細はこちら

天狼院書店「福岡天狼院」 〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階

天狼院書店「京都天狼院」2017.1.27 OPEN 〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5

【天狼院書店へのお問い合わせ】

【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


2020-02-21 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事