メディアグランプリ

「女の上書き保存」は嘘。 食べたものが体をつくるように、私は「過去の男」でできている。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:タナカ(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「食べたものがその人を作るから、できるだけ体に良いものを口にしなさい」
 
青春の証といわんばかりに、ポツポツと赤いニキビがまだらにできた私の肌を見て、祖母はよくこう言った。
 
「あなたの爪も、髪も、肌も、今日食べたものがつくっているのよ。だから食べ物には気をつけなさい」と。
 
祖母の言葉は、次に決まってこう続く。
 
「優しい人と付き合いなさい。誰かを好きになるとね、『女の子』はだんだん相手の男の人に似てくるから」
 
女は好きになった男にだんだん似ていく。
とても耽美で、少し恐ろしい。
 
それからずいぶん長い月日がたって、私の肌から赤いニキビもすっかり消えた頃。
 
いくつかの出会いと別れを繰り返して、私は女子高生でも女子大生でもない、ただの「女」になった。
 
猫っ毛の恋人と暮らす1LDKで目を覚まし、コーヒーメーカーのスイッチを押して、出社前に鏡の前でえいっ、と身支度をする。
 
誰かと別れて、新しい恋人ができた時。
男女間の心理の違いを例えて「男性は『名前を付けて保存』、女性は『上書き保存』」なんて言うけれど、あれはまっぴらな嘘だ。
 
女は上書きなんてされていない。
しているつもりになっているだけで、できていない。
 
肌に水分をたっぷりと閉じ込めるように、ひとり、またひとりと、奥深いところに思い出を染み込ませていく。自分でも気がつかないうちに、元恋人を内在化させているのだ。
 
祖母の教えのせいだろうか?
 
ときどき、ふと思い返したように私は鏡に写る自分の姿を見て思う。
 
ああ、今の私は過去の男(ひと)でつくられているのか、と。
 
「食べたものがその人を作るのよ」
 
どんなにおいしいチョコレートも、また食べたくなるハンバーガーも、毎日口にすれば体を蝕む。
 
「女は付き合った男に似てくるのよ」
 
周りから祝福されない恋愛も同じ。いくらエキサイティングで心地がよくたって、咀嚼できなければのどが詰まる。
 
私は間違わないな。
 
そう思っていた。
あの日までは。
 
もう間違いなく、確かにそのはずだった。
 
2017年8月。大学3年生。暑い夏の日、赤い京都の神社。鳴り止まない最後のセミの声、おろしたてのグリーンのワンピース、少しだけ弾む足取り、何度ぬぐっても頬をつたう汗。
 
私は、生まれて初めての「一目惚れ」をした。
 
「せっかく京都まで遊びに来てくれたので、アイスコーヒーを奢ります」
 
昔からの顔馴染みの革屋さんは、大阪からはるばる京都の屋外イベントに訪れた私に千円札を握らせた。
 
「角を曲がってまっすぐ。すごく雰囲気のある男性です。彼の珈琲はとてもおいしいのです」
 
最後に「僕は会場を離れられないので、すみませんがこれはおつかいです」と言って、にこり笑った。
 
角を曲がった先、外国人観光客の行列、よく似た雰囲気の若い夫婦。
全員がじっとみつめる視線の先にその人はいた。
 
古道具のような簡易テーブル。ハンドドリップで湯気が立ち込める暑い夏の日の珈琲。
そのすべての所作に一切の無駄はない。
 
暑い夏の日の賑やかな京都の観光地で、その人の手の動きだけがやけにスローモーションに見えた。
 
切れ長の大きな目、整った鼻筋、骨張った腕が、やけに浮世離れしている。
 
私は、額に汗が滲んでいることも忘れて列に並びながらまばたきもせずに、さらさらと風になびくその人の髪をじっと見つめていた。
 
「アイスコーヒー、2つください」
 
カラカラに渇いた喉からやっとの思い出かぼそい声が出たとき、私は多分もうすでにその人のことに恋をしていた、と思う。
 
恥ずかしいくらいに赤い顔をした私の後ろには、長い列ができていた。
 
「どうでしたか? 珈琲屋さん、かっこよかったでしょう?」
 
革屋さんは、私からアイスコーヒーを奪い取るとストローを回しながらニヤリと笑った。
 
「はい、とても」
 
「素直ですねぇ、まぁ僕も女性だったらきっと惚れています」とまだ何か言いたげに目を伏せて、「また、きっと会えますよ」と呟いた。
 
私が2杯目のアイスコーヒーを飲んだのは、それから1週間後だった。
私が生まれそだった街のイベント会場で、その人はまた珈琲をいれていた。
 
「お姉さんは、このあたりでお勤めですか」
初めて聞いた声は想像よりずっと低かった。
 
「いえ。私は学生で、今日は今から夕方まで近くでアルバイトなのです」
 
「学生さんでしたか」
 
その人は驚いたような、困ったような顔をして、ずいぶん長い間をあけた後こう言った。
 
「今日は16時までここで珈琲を淹れています」
 
「私は、17時です」
 
「片付けが終わったら、近くの喫茶店でお茶にしましょう」
 
セミが、また忙しなく鳴いている。
ただこくりとうなずくことしかできなかった。
 
夕日が差し込む近所の喫茶店。
その人は珈琲の豆で少し黒くなった手でコーラしゅわりと飲み込む。
 
「僕はもうすぐ37になります。ときどき、少し若くみられることもあるのですが」
 
まばたきを2回。
長い時間をかけてグラスの中の氷は、カラリと音を立てた。
 
……
それからの2年半の記憶は、ほとんどない。
友達にも親にもずっと黙っていた。
姉のように慕っていた女性に勇気を出して打ち上げたけど「私と同世代の男が、17も離れた若い子に好意を持つとか、さすがに応援できないわ」と本気で心配された。
 
私だって25歳の同級生が8歳の女の子に手を出そうとしたら、さすがに応援できない。今ならその気持ちがよくわかる。
 
革屋さんだけは「へぇ、そうでしたか。抜け駆けですね?」と笑っていた。
 
よく川に行って珈琲を飲んだ。アパートの3階の庭でプチトマトを育てて食べた。あの人の七夕のお願いは「綺麗な水がいつまでも川に流れていて欲しい」だった。
 
あんなに一緒にいたのに、それくらいしか覚えていない。
だけど確かに、それが私の20代前半のすべてだった。
 
ピピピピッー。
猫っ毛の恋人がかけたアラームではっと我に帰った。
 
「おはよう、珈琲できてるよ。って、寝癖すごいなあ」
 
「うるさいわ、生まれつきの天パなんや。ほんで誰が、29のおっさんや」
 
「おっさんは、言うてないよ」
 
「……なあ」
 
「なに」
 
「今日近所でイベントやろ、あの人……」
 
「さあ? それよりトマト食べ、ちゃんと食べなあかん」
 
「あ〜〜、なんやっけ。あなたのおばあちゃんの口癖」
 
「食べたものが、その人を作る」
 
「……ん。ああ、トマト、意外とうまいわ」
 
いただきます。
そっと手を合わせる。
 
少し開いた窓の外から、珈琲の匂いがした。
また、夏がくる。
 
 
 
 
***
 
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
 
http://tenro-in.com/zemi/103447
 

天狼院書店「東京天狼院」 〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F 東京天狼院への行き方詳細はこちら

天狼院書店「福岡天狼院」 〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階

天狼院書店「京都天狼院」2017.1.27 OPEN 〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5

【天狼院書店へのお問い合わせ】

【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


2020-02-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事