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メディアグランプリ

帰りたい場所、MOA美術館

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:笠原 恭子 Kyoko Ally Kasahara(ライティング・ゼミ特講)
 
 
帰りたい場所と言われたら、真っ先に思い浮かぶのはどこだろう。多くの場合、それは生まれ故郷だったり、育った家だったり、するだろうか。一度育った街を出て仕事でもすれば、母親の作る味噌汁や、家族の笑い声、いがみ合った記憶さえ、懐かしく温かいものになるのでは無いだろうか。
 
私は、就職する時まで本当の親の名前を知らなかった。幼少期の記憶が、母親と私でたまに違うことに戸惑う事はあったが、就職が決まり、戸籍を会社に提出する時までは、それはただの記憶の違いであり、大人になったらはっきり思い出せるような事だろうと思っていた。私には、育ててくれた両親とは別に、産んでくれた人達がいたのだ。
 
産みの両親は、私が1歳の頃他界したらしいのだが、育ての父親とも、4歳で死別した。育ての母親は愛情深い人で私をそのまま引き取ってくれたのだが、人一倍感情の起伏が激しく、夫の死から長年立ち直れずにいた。しっかり働いてしっかり生活していたが、それだけのエネルギーを回すためのしわ寄せはいつも私に来た。と言っても、ネグレクトだったり、暴力があった訳では無い。私は気が強くて喧嘩になってしまうだけだし、誰かに物を食べさせるのは母の趣味のようなものだったからだ。しわ寄せは、「私を思い通りにすることで安心する」という形で現れた。私は、暴力にはやり返すが、筋さえ通っていれば私は言う事をよく聞く聡い子だった。母のしわ寄せは、私の人生を束縛すると言う形で、表れたのである。『家を継いで、家の犠牲になる為にここにいるのだから、お前の好きな事、やりたいことが出来る人生と思うな。お前の人生を生きられると思うなよ。』それが、母が思い通りに生きられない事に対する、私へのしわ寄せだった。
小学校の時に冒険小説を書いた。中学校では、漫画を描いた。この子は物書きにしてやったらどうかと先生に言われた母は、友達に借りていた本ですら焼き捨てて、本屋に行く私を追い掛けて、「お前は私を裏切るのか」と叫んだ。あの頃は意味が分からなかったが、つまり、もしも才能があったり、努力をしてなりたいものになれば、家を捨てて何処かに行ってしまう、その恐怖が母を鬼にしていたのだ。
 
もちろん、元々からそんなだったわけでは無い。
結婚して10年、子供を望んでも出来なかった母は、遠い親戚で、両親を失って叔父夫婦の元にいた私を引き取ることにした。私を見たとき、愛おしくて、あまりにも嬉しくて、近所を逆立ちして回りたいほどだったと言う。
しかし、ようやく手にした家族の幸せの存分に味わう間も無く、3年後に父は胃癌で亡くなった。父が亡くなった瞬間のことはよく覚えている。病室のドアは中から閉められ、椅子やら台やらをドアに押し付け、外から入れなくした母は、金切り声で叫んでいた。「お父さん!死んだらあかん!死んだらあかんで!」ドアの外では、祖母が私をおぶっていた。噛みしめるような沈黙と、私を揺らす優しい背中。4歳の私には、死が何か分からない。なんとも言えない、終わりの空気だったと今では思う。
 
母には、父が亡くなる前に、節約家の父に内緒で、やってのけた事がある。MOA美術館創立に向けての多額の寄付だ。父は芸術や自然に興味が無かった。しかし母は兼ねてから自然愛好家であり、花道の師範でもあった。花や自然から生命のエネルギーが人間に与えられる。芸術家の生み出すアートが人の心身にとても良い影響を与えるのだと感じていた。父の病気が花やアートで治ると言うわけでは無いが、母は何かせずにいられなかったのだ。つまり、善行をして少しでも祈りや希望を何かに届けたかったのだ。
 
寄付をした翌日、千葉に住む叔父から電話があった。何か、西の方で地震があったと聞いたが大丈夫かと言う電話だった。そう言えば、その夜、どこからともなくドーンと言う音が聞こえたそうである。ただの地震であって、何事でも無かったかもしれない。しかし、母は何かに啓示を受けたかのように感じたと言う。想いが届いたのでは無いかと。
 
それ以来父は、病室に花を置いてくれと言うようになった。少し弱ると、すぐに新しい花を欲しがった。母が痛いところをさするのも毛嫌いしていたが、受け入れてくれるようになった。何かの偶然かもしれない。しかし母は救われる想いがしたらしい。
 
父亡き後、母はよくこの美術館に連れて来てくれた。展示ルームまでに七つの長いエレベーターを上がる。これからどんな世界が見えるのか、期待に胸が膨らむこの時間が、私は好きだ。展示室に行くまでの円形ホールでは、一時間に一度、音楽に合わせてカラフルな光が踊るイベントがあり、観客を異世界へ連れて行った。(現在は万華鏡が緩やかに映し出されている)展示室に入る前のエントランスと、その下の階のカフェスペースを繋ぐ大きな窓ガラスから、海が見える。ヨーロッパの建造物に負けないのではと思うほどのこの美術館は、そこに佇むだけで心が落ち着き、自分を全て認められたかのような気分になる。
 
辛い時、よく、「帰りたい」と思う事があった。家に、と言うよりは、この美術館のある、熱海に、である。帰りたかった。いつでも大きくドッシリとして、そこにいるだけで充分だった。美術品と展示スペースは、過不足なく美しくそこにある。母や私の、あるいは社会の中でのいびつな何かは、バランスの良いアートを見ていると正されてくるかのようだ。国宝である紅白梅図屏風の緊張感のある佇まいを見て襟を正し、色絵藤花文茶壺の優しい色合いに癒される。3500点もある美術品が、季節ごとに入れ替わり立ち代り、その美しさ、その個性を発揮して、見られるのを待っている。
 
美術品のひとつひとつが、自分らしくいていいと、いつても背中を押してくれる。
今、叶えたい事がある。だけど少し不安な気持ちもある。
 
そうだ。今度の休みは、美術品に会いに行こう。
 
 
 
 
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2020-02-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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