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今年3日目の太陽を選ぶ。

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:笠原 恭子 Kyoko Ally Kasahara(ライティング・ゼミ特講)
 
 
今年に入って、3日目の日の出は雲間から見えた。
瀬戸内の海から登る美しい太陽が見える万葉岬は、元旦には人がとても多いので、3日目に、母と車で見に行った。
 
3日連続で万葉の厳しい坂を上がって来ていた自転車乗りの人たちが(お揃いの真っ赤なウェアの背中には、”臨時漕会”とプリントされていて、私はそのネーミングが妙に好きだ)、今日は雲が厚いからしばらく出ないなと言って帰った後、母と2人で太陽を待った。
その間中、母は「この前ね、この先の椿園の椿を取りに来たんだけど、剪定した後で殆ど切り落とされて取れなかったのよ。以前はたくさん取れたんだけど、最近はすぐに剪定してしまうから、中々良い枝が取れないのよ。」と大きな声で話すので、「ここの椿、取ったらダメだよ。」と、周りの人にも聞こえるように、話し返す。
 
“ダメだと分かってるけど、あのおばあちゃんは取っちゃうんだな” という絵に、せめて、しておかないと良くないと思うのだ。
最近はあまり無いことなのだが、数年前まで、母はいくつかの場所で注意される人だった。
道路公団の人や、どこかの学校の先生から、道路脇の花木を取らないようにと言われたり、一度は、あまりに綺麗だったからと、個人宅の庭から脇道へはみ出ている桜の枝をノコギリで取っているところを見つかってどやされた。
自己紹介をして、桜の枝を分けてもらえないか交渉すれば良いのに、数回行ってもご主人が留守で、待ちきれなかったらしい。
 
母は華道の先生だ。月謝の他に、お稽古の時にはお花代を頂かないといけないので、花屋で全ての材料を揃えると高くつく。少しでも安く、生徒さんの家を花で飾ってほしい。その一心で、山から花を調達していた。
 
生徒を思う気持ち、花や木に対する情熱は尊敬するけど、盗られた方はとんでもない。母の気ままに付き合う方の気持ちはよーく分かるので、せめて “言っても聞かない人なのです、すみません”といった空気が なんとなく 人に伝わっていれば良いと思う。
 
母にとっては、それはただの気ままというわけでもない。美しい花は 創作でより美しく活かされる。生け花の作品にして、色んな人の目に止まる事こそが幸せだと考えているのだ。
 
それならちゃんと筋を通せばいいのに、そこまでは頭が回転しない。なぜなら母にとってはそれが常識だし、わからない相手に話すのは面倒で、説明する言葉がよく分からないし、なんとなく責められるのでは、とも思うから、逃げたいというのも、あるのだろう。
それでも、まんざら勝手が極まっているわけでもない。母の生ける花は素晴らしい。華道の家元も一目置いているらしく、わざわざ遠方にある母の家まで花を見に遊びに来ていた。神戸で開かれた大きな花展では、一門の生徒でもない私を見つけては、「後を継がないのか、母上はいい先生なのに勿体ない」と何度か声をかけて下さった。
 
母の花は 前後左右上下、どこから見ても野や山の自然が余すところなく表現されている。砂で引いた川の模様の上に置かれた鯉の人形は、まるで今にも泳ぎ出すかのようだ。素材の一つ一つについても、どの時間帯に切って水につければ美しい咲き方をするのか研究していた。春の花展の前になると、展示会に合わせて花を早く咲かせるために、お風呂は桜の木が占領していたのを覚えている。
 
「あなた、甘えることを覚えなさいよ。」
ある時、花展で唐突に、家元が 私にそう言った。何故か印象的で、忘れずに覚えている。
 
甘えるって、なんなのだろう。
少し図々しくても、(母のように)自分の思うまま行動すること?
自分の気持ちを出した人は気持ちいいかも知れないけど、それをカバーする周りは迷惑じゃないのか?
 
華道を継ぐわけでもない。だけど自分のやりたい事もない。会社で働いても結婚をしても離婚をして自分の生活をしっかりしても、母の存在を壁のように感じていた私。いつまでも心を許され甘えられるだけの存在で、私がどうしたいかには、興味を払われた事はない。それもあって、あの時は、「甘える」の、本当の意味がよく分からなかった。
 
もっと言えば、生きるという本当の意味がよく分からなかった。
 
生きるってなんだろう。息をして食べ物を口にして目に見える人と挨拶や何か話をして、社会的な秩序を守ったりしていく事だろうか。何かを学んである程度まで達して知的動物として存在する事だろうか。誰かと関係して、寂しくないと思える事が、そうなのだろうか。それとも、誰かより抜きん出て賞賛を浴びる事なのだろうか。
 
母の言う通り、「どこでも良いから大学を出て、どこでも良いから安定した会社に入って、誰でも良いから子供を作れる男と結婚して、子供さえ産んだらあんたの人生それで良い。」のだろうか。
 
甘えるってなんだろう。お腹が空いたらご飯食べたいと言ってみる事だろうか。親戚の子供たちがしていたように、気に入らない事があれば泣いて伝えるような事だろうか。可愛い服が着たいと言ってみる事だろうか。
 
最近まで、その答えはよくわからなかった。
 
甘える、とは。みんなもう分かってる事なのかも知れないけど、自分が思うものを選択する、そういう事、それだけの事、なのかも知れない。
 
自分がこうしたいと思うことを行動するからこそ、人に頼ることが必要になる。一人で出来る事なんて限られているからだ。例え全ての物を強引にお金で買う事が出来ても、欲しいものが無ければ、売ってくれる人が居なければ、何をすることもできない。
 
元旦の日の出はいつも人が多い。私はいつも3日目の太陽を見に来る。少しすっとぼけた事を言う母に、私らしい、冷静な愛情を注ぐ。
 
私は私らしく何かを選択する。それがつまり、甘える、生きると言う事に違いない。少し、甘えて生きてみよう。
 
ようやく出て来た太陽の光が、雲間から海へ、濃く赤く、落ちた。
 
 
 
 
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2020-03-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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