メディアグランプリ

身体障害者である父から学んだ、夢を叶える精神


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記事:横須賀しおん(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「大変な事になったよ! お父さんが屋根から落ちて入院する事になった!」
 
それは、母からの突然の電話だった。いい気味だ……と。流石にそこまで思った訳ではなかったが、僕は父の事が大っ嫌いだった。母から聞いた話によると、左官職人だった父は、屋根瓦の修理中に足を滑らせて地面に落ちてしまい、打撲骨折で歩く事ができなくなってしまったという。当時の僕は、東証一部上場企業のサラリーマン。大学を卒業後、大手企業に就職し、20代で父親の年収を超える事になった僕は、中卒で教養のなかった父を完全に見下していた。そう、母親から父の秘密の話を聞かされるまでは……
 
父の事故は1995年2月に起きた。その前月の1月に阪神淡路大震災があった。父は、屋根瓦の壊れた家屋を修理する仕事中に足を滑らせて、車椅子で生活する身体障害者になってしまったのだ。
 
母の知らせを聞いてから、上司に相談して、頃合いを見計らって、3月には実家のある徳島県に帰省した。入院している病院を訪ねてみると、父は想像していたよりも元気そうだった。しかし、下半身がしびれて歩けないのはもちろんの事、握力が完全になくなってしまい、何も掴んだり持ったりする事ができないのだと言う。さすがに、これは辛いと思った。意識には何も問題がないのに、一人では本も雑誌も読む事ができない……それは、もどかしすぎるだろう。ざまぁみろ……と? そこまで思った訳ではなかったが、それでも僕はまだ、父の事を尊敬してはいなかった。どうして大っ嫌いだったんだろうか?
 
そもそも僕は実家にいた時、両親から「勉強しなさい!」と言われた事が一度もなかった。大学に行きなさいと言われた事も一度もなかった。僕が高校生の時、おばあちゃんは、なんで高校卒業したら、すぐに就職しないんだ……と愚痴っていた。僕が受験生だった頃、受験勉強中に、父はいつもカラオケの練習をしていた。「また始まったよ……」とため息をつきながら、FMラジオの「ザ〜」というノイズのボリュームを上げて、父の歌声が気にならなくなるようにかき消しながら勉強するのが、僕がいつもやっていた事だった。そんな家庭だったので、僕は父の事が大っ嫌いだったのだ。父のような大人になんかなりたくないというネガティブな動機で、僕は小中高とずっと勉強していたのだ。
 
ところが、父の入院後のリハビリによる、身体機能回復のスピードは、医師も驚くほど速く、やがて失われていた両腕の握力も回復し、松葉杖を使えば、短時間なら歩けるようになるまでに回復したのだ。父の何が、リハビリの原動力になっていたのだろうか?
 
それは、1日でも早く皆の前で、再びステージに立って歌いたいという…歌に対する情熱だった。実は……父は地元では知らない人はいないというほどの、地元の町のカラオケチャンピオンで、大会優勝旗ももらっているほどの人だったのだ。
 
そんな父の事故から10年後、僕にもやっと父親になれる日がやってきて、初めて息子が生まれた喜びを母に話している時に、母からこんな話を聞いた。
 
父の少年時代の夢は、東京に行って歌手になる事だったという。しかし、父は6人兄弟の長男。祖父の収入だけでは足りず、父は早くから自分の夢をあきらめて、弟たちを食べさせる為に、職人となって働かねばならない理由があったのだという。僕がまだ子供で、幼かった頃の父はいつも、自分の夢なんて後回しだったらしい。
 
知らなかった……実は、子供の頃、父の夢が歌手になる事だった……などという話を、僕は全く聞かされた事がなかったのだ。だから、学生時代の僕には、受験勉強中に、カラオケの練習をする親の気持ちが、全く理解できなかった。しかしよくよく考えてみると、僕が夜に勉強するのは毎日だったので、もし、父が息子に遠慮なんかしていたら、自宅でカラオケの練習をする事など全くできなかったであろう事に、今更ながらに気づいてしまった。そう考えると、あの頃の父の姿が、今なら許せるような気持ちになってくる。そして、そのような練習の日々があったからこそ、僕が実家を出て行ってから後に、父は地元のカラオケチャンピオンになれるほど、成果を出す事ができていたのだと思う。
 
かつて、地元のカラオケチャンピオンだった父は、車椅子生活を送るようになった後も、松葉杖をついて演歌を熱唱する身体障害者として、再びステージに復活した。歌が生きがいという父が身体障害者になってから、今年でもう25年になる。今年で84歳になるが、今でもステージに立ち、まだまだ演歌を歌い続けている。
 
プロの歌手になりたかった……という父の夢は叶っていない。しかし、その夢をもし、父が持ちあわせていなかったとしたら、父の人生は、車椅子生活になった時点で、既に終わってしまっていたのではないだろうか?
 
僕は今、父が住みたくても住めなかった東京で暮らしている。そして50歳を過ぎてから、ベストセラー作家を目指すというチャレンジをスタートさせる事にしたのだ。
 
父が身体障害者になったのは58歳の時だったが、父はそこから20年以上も、ずっとずっと歌い続けている。それを考えると、僕だって父には負けていられない。僕が作詞しているという話をすると、父は「わしは歌う事は好きだったけど、自分で詞を書く事だけは全くできなかった」と言って笑う。
 
去年、僕はオンデマンドで本の出版をしたが、父は入院する時、病院で読みたいからと言いながら、僕の書いた本を抱えて病院に行くのだそうだ。そんな話を、今年の始めに母から聞いた。ちなみに、僕の母も軽度の身体障害者である。
 
いざ自分が親になってから、父や母がこれまでしてきた事を改めて振り返ってみると、自分が中高生だった頃に、ちょっとだけ勉強ができた事など、全くたいした問題ではなかったという事に、痛いほど気づかされてしまう。そして、改めてこれから先の人生の過ごし方を、父や母に学んでみようという気持に、今になってみれば、なれてしまう。今では父を尊敬する事ができているのだが、それにしてもずいぶんと時間がかかってしまった。父の生き様に学びながらも、夢を叶えるという点について、これから先も父には追いつき追い越せで、頑張っていきたいと思う。
 
 
 
 
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2020-03-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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