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メディアグランプリ

母と娘の世界にひとつだけの物語

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:山田由美子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
私が長女だからだろうか。
母は私に厳しかった。
 
小学4年生の時、母から方程式を教わった。
 
y=ax+b
 
進学校に通っていたわけでもない。
 
「何回言えば分かるのよ!」
何回聞いても分からず、悲しい思いをした。
 
5年生。宿題のノートを毎日提出した。
年度末のクラス参観では、頑張った児童として先生に名前を呼ばれた。
 
6年生。生徒会の副会長になった。大人しい性格で、副会長が精一杯だった。
 
そしてクリスマス。
サンタさんからのプレゼントはアクセサリーか欲しかった。でも枕元にあったのはヘレン・ケラーの自叙伝で、それでも母に「嬉しい」と笑顔を向けた。
 
時が経ち、 花の高校1年生。
雑誌モデルに応募したくて、恐る恐る母に、9800円のダイエット本を買いたいと頼んでみた。
運動を主にしたもので、体にも悪くないことをつけ加えた。
すると母はにっこり微笑んで「いいよ」と言った。
 
長年母の顔色を伺ってきた私だったが、高校生になって大人に近づき、これから母との関係が変わっていくのではないかと、淡い期待を抱いた。
 
しかし、その年の12月に母は亡くなった。
 
母はなぜ優しくなったのだろう。
私が大人になり始めたからだろうか。それとも病気だったからだろうか。
 
私は愛されていたのだろうか。
 
母が亡くなってからの私は、兼業主婦の高校生となった。
朝は5時半に起きて、父と弟の朝ごはんを作り、弁当を作ってから登校した。母の料理はすべて手作りだったので、私もインスタントを使わずに頑張った。若かったし気力も体力もあり、お正月のおせちも手作りにこだわった。
 
そして、母が亡くなって最初のひな祭り。
なぜか急に、ひな祭りに飲むのは白酒か甘酒かを知りたくなった。
 
「ママに聞いてみよう」
 
そうつぶやいた瞬間、気づいた。
 
「ああ、そうか」
 
何を問いかけても、何回問いかけても、母は決して答えてくれない。母は亡くなったのだ。
初めて実感した母の死だった。
 
時は経ち、私はITベンチャーで働いた。終電で帰る毎日。ブラック企業だ。そんな中でも私は成果を出し、引き立てられ、役員まで昇格した。辛いけれど報われていると感じた。しかし体調を崩し、カウンセラーにお世話になることになった。
 
「あなた、子供の頃から頑張っているでしょう。どうしてそんなに頑張るの?」
 
なぜって、頑張るしか選択肢がなかったからだ。
しかし先生は、母との関係にその理由があるというのだ。
それを知るため、私は母が亡くなって10年ぶりに、子供の頃のアルバムを見ることにした。
 
厳しかった母。
 
しかし驚いたことに、母は、どの写真でも笑っていた。どの写真にも、幸せそうに微笑む母と、子供の私と弟がいた。水玉のワンピース、母が作ってくれたものだ。同じ生地で人形の服も縫ってくれた。一緒にプリンやクッキーも作った。色々なことを思い出した。
 
母は厳しかったけれど、優しかった。私は愛されていた。
長年の私の問いに、答えが出た。
 
それ後の数年は、母がどんな人だったのかを考えるようになった。
自動車メーカーでOLをしていて、その後専業主婦になった母。
IT企業で夜中まで働く私。父の反対を押し切ってした結婚。
母として、妻として、一人の女性として、母はどんな人だったのか。
女性の生き方についてどう考えていたのだろう。今の私を見たら、何と言うだろうか。
 
考え続けたある日、気づいた。
 
母はどんな人なのか、その答えは決して出ない。なぜなら、それが死というものなのだ。
私が知った、2回目の母の死だった。
 
会社では子育てしながら働くママが増えた。ランチの席で悩みや愚痴を聞く時もある。
フリルのスカートでおっとりしゃべる先輩が、「気が狂ったみたいに子供を叱ってしまう」とこぼした。そういえば母も、私と弟が喧嘩をすると、鬼の形相で叱ってきた。
仕事ではドライな後輩は、娘のこととなると菩薩のように優しい表情になった。
「以外だな」
母親とはこういうものかもしれない。だとすると、母も彼女たちと同じように、普通の人だったのかもしれない。
 
父のことはよく分かるのだ。顔も性格も父親似。自分を見ているようで笑える時がある。年を重ねるほど、同じDNAを感じるようになった。
ところが最近「あれ?」と思う時がある。明らかに父とは違う何かが私の性格や考え方の中にある。違和感。
もしかしたら、これは母に似ている部分なのだろうか?
だとしたら、母は私の中にいた。もう、探す必要はないのだ。
 
今回書くのにあたり、この一連の物語の所々を忘れていて、思い出すのに時間がかかった。もう母との物語は終わったのかもしれない。
 
いや、違う。この先、また何かのきっかけで始まるのだろう。
 
テレビで見る“友だち母娘”が羨ましかった。私には無縁のことと思ったからだ。だけど、こんな風に、母との対話が続いてきた。長い年月の中で、私自身が成長し、周囲の人々との関わりの中で、母との関わりも形を変えて続いてきた。これからもきっと続く。
 
世界中に沢山の母娘がいる。その数だけ、それぞれの物語があるだろう。
母と私の物語も、そうした沢山の物語の中の、世界にひとつだけの物語なのだと思った。
 
 
 
 
***
 
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2020-03-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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