喪服売場の戦士の話
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:平良みか(ライティング・ゼミ平日コース)
「ありがとうございました。後日きちんと仕上げますので、落ち着いたらお持ちくださいね」
彼女は控えめにほほ笑んで、伊勢丹のロゴが入った衣装ケースを手渡してくれた。中には袖を仮止めしてもらった喪服が入っている。
彼女は最後まで完璧だった。私の完敗であった。
時間はさかのぼる。
成人式のニュースが流れる頃、沈んだ声で母から連絡があった。「横浜の叔母さんが無くなった」と。
闘病中だった叔母は、思慮深く、優しい人だった。私は叔母が大好きだった。すぐさま、仕事を休んで葬儀に参列すると決めた。
連絡を受けて悲しみにくれる一方で、私はこれ以上ないほど現実的な問題に直面していた。
「喪服が、入らない……」
正確には、喪服に私の身体が入らない。
大切な人が亡くなって悲しいという気持ちと、喪服が入らなくてヤバいという気持ちが私の中で見事に両立した。
私が持っている喪服は9号サイズ(Mサイズ)だ。アラサーに差し掛かった10年ほど前に購入したものだ。当時は9号でもゆとりがあり、多少ふくよかになっても大丈夫なものを買ったつもりだった。
今や、背中のファスナーすら締まらないではないか。
10年の歳月は、想像以上にぜい肉を蓄積していたらしい。ここ数年、葬儀に参列する機会がなかったのは幸いなことであるはずなのに、今となってはそれすら恨めしい。
とにもかくにも、私は喪服を買い替えることを決意した。予算は2万円。ネットで「40代 喪服」で検索して現実的と思える金額を設定した。
洋服の青○、A○KI、K王百貨店、○田急百貨店と巡るが、よいものが見つからない。
予算には合うがサイズが合わなかったり、予算には合うし身体にも合うがデザインが許せなかったりした。アラフォーは身も心もわがままなのだ。
ついに、最後の砦にやってきた。それが新宿伊勢丹である。
東京近郊にお住まいの女性なら分かっていただけるだろうか。「伊勢丹なら、私の求めているものがきっとある」という期待感。そして王者・伊勢丹は期待を裏切らない。(求めるものを手に入れるためには金に糸目をつけないことが条件という、高値、いや高嶺の花ではあるのだが。)
伊勢丹本館4階の喪服売場に足を踏み入れる。
腕利きのバイヤーが選んだのだろうか。ひらひらしすぎない、上品なデザインの喪服が陳列されている。
中でも気になるデザインがあった。ワンピースなのにトップス部分が別布になっていて、ぱっと見た感じは上下が別の服に見える。それにジャケットも付いている。きちんと感があり、着心地も良さそうだ。
「こんにちは。すぐにお使いですか?」
喪服売場の店員というのは難しいものだ。客に愛想良くする必要はあるが、明るすぎてもいけない。彼女は完璧な声のトーンと表情、そして柔らかな物腰で声をかけてきた。
「そうなんです、今週末お通夜で」
私は思わず答える。今持っている喪服が入らなくて、などとどうでも良いことまで答えてしまう。
彼女は柔らかく相づちを打ちながら、
「こちらはシルエットが美しいんですよ。(期待感の醸成)お時間あったら袖を通してみませんか?(提案)」
この繊細な言葉づかいにぐっとくる。
その辺のショップなら、「かわいいですよね!(共感の強制)、試着できますよ!(知っとるわ)」だ。
会話の合間に予算もしっかり確認されている。
「ご予算はどれくらいですか?」
「えーと、2、3万円くらいに収まったらな、と思ってたんですけど」
天下の伊勢丹さんで2万円で買えるものなんてニットの1枚くらいだと分かってますとも。3万円で喪服が買えるわけないのも分かってますとも。でも予算聞かれたから答えたし。過去形で。
しかし、彼女にはこちらの予算など関係ないのである。
何事もなかったかのように試着室に通され、他のデザインも見せてくれる。テーラードタイプ、ノーカラータイプ。私が分かりやすすぎるのだろうか。「いまいち」と思ったデザインは秒で下げられる。
「こういうデザインはお好きではないですか」
さりげなく、何が気に入らなかったのかをヒアリングされる。「お腹が気になるから」「ノーカラーのジャケットは似合わないから」「パンツよりはスカートが良い」。
私が何かを発言するたびに候補がざくざくと却下され、また新たな候補がやってくる。
いつの間にか「買うか買わないか」ではなく、「どれを買うか」に悩みがすり替わっている。
何着か着ると、身体に合うものが見つかる。
「シルエットがきれいですね」とさりげなく褒め、
「こちらは、どこに着ていっても恥ずかしくない品の良いデザインなので、お薦めしたいです」と質の良さを強調する。
もう私の負けである。歴戦の戦士である彼女は、予算の壁を平気で超えてきた。
北風と太陽で言えば、太陽だ。彼女にかかれば、心の鎧を脱ぎ捨て、クレジットカードを捧げるのも一瞬である。
しかし、負けて悔いはない。
彼女が倒してくれたのは、予算などというつまらない鎧に守られた、私の弱い心だ。大切な人のお葬式に参列するのだ。自分の体形に合った、心から良いと思った服を着れば良い。そして、その服はお金さえ出せば手に入るのである。
彼女に負けたおかげで、私は心身ともに満足できる喪服で叔母を穏やかに見送ることができた。予算の3倍もする喪服を買って、本当に良かったと思っている。改めて彼女にはお礼を言いたい。
冒頭の見送りの言葉の後には、実はこんな言葉が続けられた。
「本当にお持ちくださいね。皆さん、購入されたときは『はい』とおっしゃるのに、持って来られない方が本当に多いのですが、本当に、本当にお持ちくださいね」
袖丈はいまだに仮止めのままである。
やはり彼女は完璧なのである。
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