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お袋の味を探して

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:柴沼由美子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
父が亡くなる前日だった。
「お袋の味ってあるじゃない。 あれ、私の場合は何かって考えてみたんだ」
病室で私は母に、およそその場に似つかわしくない言葉を放っていた。まるで実家の食卓での会話のように。
「それはね……」
 
母はお袋の味を知らない。実母を早く亡くし、祖父が再婚した継母も長いこと入院していたため、早くから自分で台所に立つしかなかったためである。
そのためか母は結婚してから私たち姉弟に自分で習い覚えた料理を次々と作ってくれた。グラタンもピザも初めて食べたのは母の手料理だった。朝食にはホットサンド、日曜日には早起きをしてハンバーガーを作ったり、母の世代の「憧れの洋食」が食卓に並んでいた。レシピは主に新聞の料理記事、母の料理の先生は新聞だった。
 
そのうち母はお菓子作りに挑戦するようになった。オーブンを買ってケーキやクッキーを焼いた。誕生日やクリスマスには決まって母のお手製ケーキが出た。やがて近所の友達も母のケーキを楽しみにするようになった。学校から帰ってきて、私の家の台所にオーブンが見えると友達は
「おばちゃん、なんか作ったよね」
と、ワクワクした表情になる。彼女は母のケーキが大好きなのだ。まだ自宅でケーキを焼くことがあまりない時代だった。
「ランドセル置いてくるからちょっと待ってて」
といって自分の家に一目散に駆けていき、私はその後ろ姿を自宅の前で見送る。ランドセルを置いた彼女が駆け寄ってくるのを待ち、一緒に自宅に入る。
焼きたてのケーキのいい匂いがしたら、当たりだ。暖かい紅茶と生クリームがたっぷり乗ったケーキをゲットできる。
ケーキの匂いがしないこともある。オーブンは掃除のために収納場所から降ろされたに過ぎなかった。はずれだ。
ケーキはいつも暖かい懐かしい味がした。けれども私のお袋の味は、ケーキではなかった。
 
母は肉まんも作ってくれた。春雨がたっぷり入ったスパイシーな味つけはたちまち私のお気に入りとなり、おやつから夕食までいくつも食べ続けた。食べ過ぎて気持ち悪くなるほどだった。
「これが私のお袋の味だ」
と大人になるまで思っていた。
やがて母は肉まんを作らなくなった。子供たちが成長し独立し、たくさんの量を作っても余るようになったためだ。
いつのまにか口にすることがなくなったその味を、
「食べたいな」
と思うことは特になかった。そのころ、肉まんはコンビニで手軽に買えるものとなっていた。さらにデパートに行けば、本格的な肉まんを手に入れることもできたためである。
私のお袋の味は、肉まんでもなかった。
 
おなかがすいてくると食べたくなるものがある。母が作ってくれたグラタンでもピザでもない。行きつけの店のから揚げでも刺身でもない。
自分でも作るが、食べたくなるのは自分の味ではない。他人が作ってくれるものでもない。
コンビニでも買えるけれど、食べたくなるのはそれではない。専門店で買うものなど、100%違う。
どれも美味しいけれど、どれも違う。味、食感、匂い、見た目、かぶりつきたいのは、それではない。
 
母のレパートリーはその後も増え続けた。キムチに凝ったこともある。餃子にはまり皮から手作りするようになったこともある。どうしたら美味しくなるか、母は飽くなき探求心を持って料理を作り続けた。
やがて父の病気により母の料理は食事療法のメニューとなった。
「お父さんのためだからね」
と楽しみのための料理をあきらめ、父のための料理をせっせと作るようになった。
毎日味の薄い同じ料理を作り続ける。せっせと毎日繰り返す。
「同じもの作ればいいから、楽でいいよ」
と、笑顔で続けていた。
 
その日、夕食も取らずに父のいる病院に向かった。父は話しかけてももう反応もできない。静かな病室で、私は母に冒頭の言葉をかけた。
「私のお袋の味ってね、お母さんの握ったお握りだと思う」
母は何の話だ? というように私を見た。
「お握りってどこでも手に入るけどさ、握った固さとか、海苔のちょっと湿った感じとか、大きさとか、お母さんの握ったお握りと同じのないんだよ」
「私も同じようには握れない。お腹がすいたとき食べたくなるのは、お母さんのお握りなの」
母は
「優しいこと、言ってくれるね」
と涙したが、本当に母のお握りは美味しかったのだ。
 
お握りはシンプルな料理なだけに作り手の個性が出る。固さ一つとっても、手の大きさや握力で微妙に違ってくるのだと思う。
どれくらい握るのか、海苔はいつ巻くのか、微妙な違いだが人の数だけお握りがあるのではないか。
母はお握りをアルミホイルで包んで遠足に持たせてくれた。そこで少ししんなりした海苔がご飯に合うのだ。ラップではしんなりし過ぎる。
そのお握りを口に入れた時、広がる海苔の香りやしっかりした歯ごたえなど、今でも口の中に再現することができる。
 
翌日、父は亡くなった。職場で知らせを受けた私は、最低必要な仕事を終わらせて父を迎えるべく実家に向かった。すべきことはあるが、まず私は昼食用の弁当を開いた。お握りとから揚げ。自分で握ったお握りを噛みしめながら、
「ちょっと、お母さんのお握りっぽい」
と思っていた。なんとなくお袋の味を引き継いだ気がして、なぜだか誇らしかった。
 
 
 
 
***
 
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2020-04-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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