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この本を、手にとってはいけません! 


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記事:谷中田千恵(リーディング倶楽部)

 
 

そもそも、小説が苦手だ。

 

その世界に、ずるずると引き込まれる感じが嫌いだ。
暴力的だと思う。
仕事も家事も手につかなくて、登場人物に激しく感情移入させられて、エンターテイメントのくせに、現実世界をかき乱してくる。
 

だから、極力、小説とは距離をとって生きてきた。
どんなに、「おもしろいよ!」とすすめられても、見てみないふりをしてきた。
 

それなのに、書店員さん、こんなに目立つ場所に、この小説を置くなんて、ちょっと反則だ!
すぐ読めちゃいそうな程よい厚みに、心惹かれる表紙のイラスト。
「急展開の連続に一気読み間違いなし!」なんて、魅力的なコメントまでつけて。
 

ああ、同行者の買い物を待ってるだけの私が、うっかり手を伸ばしてしまったではないか。
だいたい、背表紙のあらすじだってずるい!
「アパートの一室で男女が、互いに『相手が殺人犯ではないか』と疑い合う濃密な心理戦」だなんて、強烈に興味をそそられる。
 

ほら、本を開いたら最後だ。
冒頭のたった数行で、引き込まれる。
ほんの5分の立ち読みで、先が気になって気になって仕方ない。
 

急いで買って本屋を出ても、もう続きを読みたくてたまらない。
一緒にいる相方の話なんて、ちっとも耳に入りやしない。
早く本を開きたくて、ソワソワ、ソワソワしてしまう。
帰りの道中から、貪るように読んでしまった。
ああ、怖い!
気がつくと自宅についていて、どうやって帰ってきたかすら曖昧だ。
 

ほらほら、現実世界が薄らいで、時間も、すっかり概念をなくしてしまった。
頭の片隅で、明日も仕事だということは自覚している。
それでも、夕食をとることも、入浴も歯磨きさえもできはしない。
もう、この結末を見届けるまでは、どうしたって私は本を閉じられなくなってしまったのだ。
 

ページをめくり続けると、とうとう現実世界は、色をなくし、音も形も消えていた。
気がつくと私は、男女と一緒に、アパートの一室にいる。
私の手が今にも触れそうなすぐそこで、二人はお酒を飲んでいた。
主人公の開けたワインの香りも、春雨サラダの酸っぱいドレッシングの香りもちゃんと私の鼻腔を刺激している。
 

二人の心理戦は、私の目の前で繰り広げられる。
そして、息つく間もなくどんどんと新しい事実を浮き彫りにしていく。
ああ、もうこれ以上驚かせないでほしい。
ドキドキと、私の心拍数を上げないでほしい。
想像もつかない世界へ、私を連れて行かないでほしい。
 

しかも、この二人、人間の小さな感情の動きを見逃さない。
誰かを好きになった時の、嫉妬や、焦り、優越感をあぶり出す。
 

いやだ! こんな気持ち、知りたくない。
無意識でも、間違いなく経験してきた自分の醜い感情を、まざまざと見せつけられる。
火にかざすと、真っ白い紙に隠れた文字が浮かび上がる、あぶり絵のようではないか。
知らなければ、目に見えなければ、そこに無いのと同じなのだ。
だから、お願いだ、今まで自覚してこなかったこの感情に、名前をつけないでもらいたい。
 

次に、「好き」という感情が湧いた時、私は、この気持ちを自覚してしまう。
相手を好きなその分だけ、嫉妬をして、焦って、誰かを見下して、好きだというとても尊い感情のすぐそばに、醜くて卑しい自分が寄り添うようにそこにいる。
そのことを、私はもう知ってしまった。
「好き」を感じる「聖なる私」は、汚く卑しい「俗の私」とぴったり背中あわせなのだ。
 

私は、これからも、まっすぐに誰かを好きだと思うことができるだろうか。
素直で、屈託のない、私の「好き」は戻ってはこない。
「好き」のどこかに、醜い自分を探してしまう。
ひどいじゃないか!
以前の私を返してほしい。
醜い自分を自覚していない、以前の私を!
 

そんな私の悲痛な叫びなど無視して、ぐいぐいクライマックスはやってくる。
攻防を繰り広げた二人の前に、朝の光が訪れる。
同時に、現実の私の前にも朝の光が降り注ぐ。
結局、夜通し読み続けてしまったではないか。
 

すっかり、私の頬は、濡れている。
それでも、涙は止まらず、ゆっくりと本を閉じる。
こんなに、私の感情を揺さぶったくせに、さらに予想もつかなかったような結末を用意しないでほしい。
 

これだから、嫌なのだ。
これだから、小説は嫌なのだ。
 

こんなに腫れたまぶたで、仕事になるわけがないだろう。
だいたい、一睡もしていないのだ。デスクに向かう気力もない。
ひどい、全くひどい。
一体、なんの権限があって、私の時間を奪うのだ。
抵抗する隙なんて1mmもなかったじゃないか。
 

それに、著者の恩田陸先生だって、悪いのだ。
「夜のピクニック」、「ユージニア」に「蜜蜂と遠雷」。
大作のヒット作をバンバン飛ばす先生だ。
こんな短いミステリーは、隠しておいて下さったっていいじゃないか。
机の引き出しの奥深くに入れて、しっかり鍵でもお締めくださったら良かったのだ。
 

ああ、せめて。
せめて、私は、私にできることをしよう。
 

この文章をお読みの皆様。

 

この本のタイトルと、表紙をしっかりと覚えていてください。
お値段も手頃で、持ち運びもしやすい文庫で、非常に手にとりやすいページ数です。
 

それでも、この本は、あなたの時間を無慈悲に奪う危険性があります。

 

外出を控えて、どんなに自宅にこもろうとも、海外旅行を遥かにしのぐ、はるか遠い世界へと、あなたをいざなってしまいます。

 

この本だけは、手にとってはいけないのです。

 

うっかり手にとった瞬間から全ては始まってしまうのです。

 

どうかどうか、このことを忘れないようお願いします。

 

〈この一冊!〉
木洩れ日に泳ぐ魚
(文春文庫)
著者:恩田陸
出版社:文藝春秋
 
 
 
 

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2020-04-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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