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メディアグランプリ

ルールブックが変わった世界


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:高橋実帆子(ライティング・ゼミ特講)
 
 
「お母さん、お腹空いた」
「お母さん、お兄ちゃんがブロックの車壊した」
「お母さん、お茶こぼした!」
「お母さん」
「お母さん!」
 
休校と登園自粛で毎日家にいる8歳と4歳の息子たちは、一日中代わるがわる私を呼ぶ。お母さん、大人気!……などと言っている場合ではない。子どもたちの世話をしながら、PCに向かって仕事もしなければならない。
 
食事を用意しながら仕事の電話を受け、子どもたちがNetflixのアニメに集中しているわずかな時間にzoomで打ち合わせをし、合間におもちゃを取り合って泣きわめく兄弟の喧嘩の仲裁をし、髪の毛を引っ張られながら企画案の説明をし、打ち合わせが終わったら急いで次男がこぼしたお茶を拭く。
 
控えめに言って、完全にカオスである。
 
そんな調子なので、もちろん、仕事はうまくいってふだんの4割…せいぜい3割しか進まない。
家の中はひっちゃかめっちゃか。3歩あるけばレゴブロックを踏んで痛さに飛び上がる。
テレビやアニメに頼りすぎないよう、子どもと遊んだり本を読んだりする時間をつくる……なんて、夢のまた夢。Netflixがなかったら、私の仕事は3割どころか、1割も進まないだろう。
 
子どもたちもストレスが溜まっている。体を動かして遊びたい盛りなのに、最低限の日光浴と運動を除き、外に出ることも、友達と会うこともできない。公園の遊具も「3密」になるというので、大好きな滑り台やブランコには、事件現場のような黄色い「立ち入り禁止」テープが貼られている。週に一度の買い出しのため足早にスーパーへ向かう途中、次男が通う保育園の園庭で風になびいているこいのぼりを見ると、つい先週まで園庭を走り回っていた子どもたちの歓声が思い出され、何とも寂しい気持ちになる。
 
そんな生活が始まって3日目、ようやく子どもたちを寝かしつけ、泥棒が入ったように荒れ果てたリビングで、感染者数の増加を伝えるニュースを呆然と見ながら「詰んだ……」と私はつぶやいた。
 
一体いつまで、こんな生活が続くのか。生活リズムは崩れ、平日も週末も関係ない。家族や友人、一緒に仕事をしている人も皆、「今日、何曜日だっけ……?」と曜日の感覚を失って戸惑っている。変化のない単調な毎日が無限に繰り返される、まるで日曜日のタイムリープに迷い込んだみたいだ。こうしてずっと家の中にいれば、確かに見えないウイルスに感染するリスクは下げられるかもしれない。でも、早晩心が参ってしまう。
 
電車に乗って仕事に出かけたり、週末には公園でブランコを漕いだり、近所のお店でちょっとおいしいものを食べたりするささやかなふつうの暮らしは、いつになったら戻ってくるの――?
 
ずぶずぶと落ち込みの沼に沈んでいきそうになったときは、本棚のある場所へ行くことにしている。好きな本屋さんも、図書館も閉まっている今、頼れるのは自分の家のささやかな本棚だけだ。
 
本棚の前で膝を抱え、背表紙を眺めてうずくまっていたら、1冊の本が目にとまった。
 
V・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)。
 
著者は、ナチスの強制収容所に送られた経験を持つ精神科医。『夜と霧』(みすず書房)の作者としてご存知の方も多いかもしれない。
生きること、死ぬことについての深い洞察がやさしい言葉で記されていて、冬の夜のココアみたいに落ち込んだ心に沁みる。中でも私が付箋を貼って、暗記するほど唱えているのはこんな一節だ。
 
「私たちが『生きる意味があるか』と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです」
 
私は特定の信仰を持っていない。でも、悩んだとき、辛いときには神頼みをしたり、すべてを想像上の「神様」のせいにしたりすることがある。
 
「神様、どうして私ばかりこんな辛い思いをしなければならないんですか!」
「神様、Aの道とBの道、どちらを選んだら私は幸せになれるのでしょうか?」
 
フランクル博士の言葉はつまり、「神様(やほかの誰か)のせいにしても意味ないよ」ということではないかと、私は思っている。困難な出来事や深い悲しみは、誰の人生にも突然起こり得る。それはランダムで、多くの場合、個人の努力では避けることができない。だとすれば、人生に起こる出来事に「意味」なんてない。私たち人間が選べるのは、「人生からの問いにどう答えるか」、つまり、ランダムに起こる出来事にどう対応するか、という1点だけだ。
 
ある朝、目が覚めたら、世界のルールブックが変わっていた。
 
好きなお店で、好きな人とゆっくりごはんを食べたり、用事もないのに街をそぞろ歩いたり、目の前で好きな音楽を聴いたり、私たちが当たり前だと思っていた楽しみと豊かさは、突然鍵のかかる「自粛すべきこと」の箱に放り込まれ、簡単には取り出せなくなってしまった。
 
目に見えない敵との戦いはいつか終わるけれど、世界が完全に元に戻ることは、たぶんもうない。すべてが終わったとき、私たちが目にするのは、きっと2019年までとは違う世界だろう。
 
「で、君はどうする?」と人生が私に問いかけている。
 
私は本を閉じた。そっとテレビを消し、窓を開けてベランダに出る。ひときわ明るい満月が空に輝いていた。ルールブックは変更された。それでも太陽と月は代わるがわる東からのぼり、西に沈んでいく。季節は移ろい、子どもの身長は伸びていく。
 
嘆いていても仕方がない。
新しいやり方を創ろう。
ないものを数えるのではなく、今あるもので、できることを考えるのだ。
そのために、まずかつてのルールブックの下で、「こうするべき」「こうしなければならない」と自分に課してきた枠組みを、いったん全部解除する。
 
部屋が散らかっていても死なない。
毎日早寝早起きしなくても、たまには夜更かしして金曜ロードショーを見て、翌朝寝坊してもいい。
毎食1汁3菜の食事を作らなくても、インスタントラーメンに卵を落としたら立派なご馳走だ。
ひとり静かな空間で、ひとつの作業に集中できる贅沢な日々は終わった。ちびかいじゅうたちが暴れまわるジャングルで、スキマ時間を活かし、質を落とさず仕事をする方法を、知恵を絞って編み出そう。
 
何よりも大切なのは、私ができるだけ機嫌よくいること。そのために、ストレスを極力減らす。1日ひとつ、子どもたちと一緒に笑って過ごせる時間を持てたら、その日はもう、それだけで100点満点。
 
カオスな状況は何も変わらないのだが、古い思い込みをばっさり処分したら、穏やかな気持ちで日々を過ごせるようになった。ベランダで植物を育てたり、窓辺で日向ぼっこしながら本を読んだり、この生活ならではの小さな楽しみも見つけた。
来年どころか、1週間先、明日の世界がどうなるかもまったく分からない今、先の心配をしても仕方がない。今この瞬間に集中して、何度でも新しい暮らしをつくっていく。それが、ルールブックが変わった世界で私にできる唯一のことだ。
 
「お母さん、一緒に遊ぼう!」
こうしている今も、息子たちが代わるがわる私を誘いにくる。
「よし、わかった」
私はPCを閉じた。
「さあ、今日は何して遊ぼうか」
 
 
 
 
***
 
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2020-04-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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