メディアグランプリ

自分の機嫌は役者になりきって作るのだ。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:庵 雅美(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「美味い」
 
朝のミルク紅茶の出来栄えに対する、父の評価だ。
 
「ありがとうございました! いただきました! ミルク紅茶、美味い!」
 
『チューボーですよ!』の堺正章のごとく、わたしはお決まり文句を言う。堺正章が料理をしてゲストがそれを採点するかつて人気だった料理バラエティ番組の真似っこだ。
 
父の在宅介護を始めて5年、我が家の朝は濃くて甘いミルク紅茶が定番だ。アッサム紅茶にてんさい糖と温めたミルクをたっぷりいれる。猫舌の父に合わせて、程よく冷めるようにまず紅茶の準備をしてから料理に取りかかる。
 
朝はパン派なので、バターたっぷりのぶどうパンのトーストに、やわらかめに炒めた小松菜とベーコン、小さく角切りにしたトマト、目玉焼きなどが朝食のメニューだ。
 
幸い父は歯が健在なので噛むことができる。食事は貴重な生きる楽しみとなっている。
 
「紅茶にしますか?」
 
父は手が不自由なので母が隣に座り、何を食べたいかを聞きながら、食事の介助をする。
 
「うん」
 
母は紅茶が猫舌用に冷めているかを確認し、ゆっくりと父の口元にカップを近づける。
 
わたしはその隣に座り、むせやすい父を見守りながら、ゆっくり! ゆっくり! と目を見ながら静かに声をかける。父はうなずく。高齢者にとって、食事による誤嚥性の肺炎は命取りだ。一口、一口、慎重に。
 
そしてわたしは、密かに父の一言を待っている。今朝のミルク紅茶の出来栄えの評価だ。父好みにお砂糖多めを意識する時もある。健康を考えて、少な目にする時もある。
 
「美味い」を聞けると、やっぱり単純に嬉しい。
 
「美味くない」もある。首を傾げながら、「ちょっと……」と何か言いたげだ。
 
砂糖やミルクの量など、心当たりがなくもない。味を調整し直して、提供する。
かつては美味くないと言われてしまうと、せっかく父好みに作ったのにーっ、と私の機嫌は悪くなりがちだった。
 
ある日職場で、20代の同僚が、「わたしは褒められて育つタイプだから、褒めて、褒めて」と冗談半分に言った。その感覚が新鮮だった。素直でいいなと思ったし、ユーモアを感じた。わたしもそんな風に口にしてみたいと思った。
 
わたしは昭和っ子のせいか褒められたいというのを口にしたり、褒められるための自己アピールが苦手だった。
 
小学生の頃、休み時間になると担任の先生の肩を叩いたり、「先生! 先生!」
と先生の近くに寄ってまとわりついている子たちがいた。おべっかを使っているように見えて嫌いだった。
 
私は先生にも親にもそんな態度はとったことがなかった。むしろ反抗的だった。
 
しかし今や、私は父にまとわりつき、ミルク紅茶が美味しいか? お味噌汁が美味しいか? を聞いている。
 
「美味い」と父が言えば、「あたしが作ったの〜!」と自己アピールを演じてみせる。母もおもしろがって、「それ、あたしが作ったの!」と参戦してくる。「ばかみたいよね」と言いながら、母も笑っている。料理に対する父の評価がどうであれ、褒められアピールを口にしてみるだけで私たちの機嫌は良くなった。
 
「生きてる限りはかっこつけつないと」
 
父は突然の事故で体が不自由になってしまった当時、そのようなことを言った。もう以前のようにはかっこつけられなくなってしまったので、せめて言葉で言ったのだと思う。
 
我が家は皆、褒められることを意識した自己アピールが苦手な家族だったし、強がりのかっこつけマンだった。
 
そして、家族がこれほどまでべったりと近い距離感で共に過ごし、協力し合った経験もなかった。在宅介護を始めた当初は、家族といえども感じ方や考え方があまりに違うことに戸惑い、悲しみ、怒りすら感じ、バラバラになってしまうかもしれないと思った。
 
家族との新たな距離感での生活は、それまでの家族とのつきあい方もわたし自身のあり方も変わらないと通用しなかった。我が家はよほど未熟で、何か変なのかもしれない……、と悩むこともあった。
 
しかし今コロナ渦で、我が家がとりわけ未熟で特殊だったわけではないことがわかった。どこの家族も距離感が変われば、色々な感情が噴出しスムーズには行かないものなのだ。
 
ステイホームで世界中の人々が家族と四六時中近い距離で過ごしている。虐待やDVなど深刻な問題も浮上している。多かれ少なかれ、誰しもが心にストレスを抱え、悪化させてしまう可能性がある。
 
家族のための家事は、往々にして大した評価は得られないものだ。それどころか、ケチをつけられることもあるだろう。コロナ以前には聞き流すことができていたことも、こんな渦中にはつい感情的になってしまうこともあるかもしれない。
 
家族の反応で自分の機嫌が悪くなりそうな時には、おどけた役者になりきることを試してみてほしい。
 
わたしは父にミルク紅茶が美味くないと言われた時には、「ありがとうございます! いただきました! 低評価!」と威勢良く言い放つ。『チューボーですよ!』では低評価の時にどう言っていたのだろう? 記憶にない。それなので、もうそのまんま低評価、と言っている。すると、自分の心持ちが変わる。なんで美味くないのかな? 少し変えてみようかな? 反応に一喜一憂して感情的にならずに、次の行動を考えることができるようになる。
 
おどけた役者になりきることは、ネガティブな反応も受けとめるキャッチャーのミットのようなものかもしれない。ワンクッションあると、痛くない。
 
機嫌が悪くなりそうな時には、役者になりきって自分の機嫌を作っていこうと思う。家族との関係を守り、自分の心を守るために。
 
 
 
 
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2020-05-02 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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