メディアグランプリ

走るのが嫌いな男の42.195km


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:石野敬祐(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
はっきり言って、走るのは嫌いだ。いや、大嫌いだ。嫌いだけど短い距離走るのは、急ぐ時など仕方ないとは思える。でもだらだら長く走るなんて、何の意味があり、何が楽しいかわからない。小さい頃から運動が苦手で、体育の成績はいつも2だった。スポーツクラブに毎日のように通うようにもなり、運動は好きにはなったが、それでも走ることはやっぱり好きになどなれなかった。
 
ある日、スポーツクラブでのレッスン上がりに飲みに行くことになった。そこで、よくマラソン大会に出ている先輩に、大会に出てみないかと誘われた。
 
「マラソンとか何が楽しいんですか? しかもお金払ってまで走って」
先輩だろうとなんだろうと遠慮せずに彼に質問する。
「頑張って、タイムが更新されるって面白いよ」
いやー、そもそもタイム持ってるわけじゃないし、それでやろうとは思いませんよ。
「ほら、最近だと女性ランナーも増えてきてるし、出会いもあるかもよ」
確かに素敵な出会いは魅力的だ。でも、だからといってそのために走ろうとまでは……
 
だが酔ってきたせいか、これだけしつこく僕にマラソンをすすめられるのがめんどくさくなってきた。フルマラソンは嫌だけど、短い距離だったら走ってみるか。その場で、スマホから10kmマラソン、ハーフマラソンの2つにエントリーをした。
 
実際にその2つの大会に出て、なんとか走りきった。走りきった達成感はあったが、マラソンにハマる人の気持ちは1ミリもわからなかった。やっぱり酔った勢いで申し込むもんじゃないな。
 
その後走ることもなく半年ほどが過ぎた。ある時、第一回横浜マラソンが開催されると、スポーツクラブで仲間数人が申し込む話をしていた。高速道路を走れると盛り上がっていたが、特に興味を惹かれるものでもない。だが、スポーツクラブのかわいい女性インストラクターさんが申し込んだという話を聞いた。すぐにスマホからエントリーをした。よこしま以外の何物でもない気持ちで、ついフルマラソンにエントリーをしてしまった。走れるかどうかは抽選。当たらなかったら当たらないで雑談のネタになるし。
 
抽選結果が発表された。当選してしまった。この段階で参加料15,000円がカード決済された。申し込んでいた仲間も多くが当選しており、みんなで頑張ろうと話をしていた。やっぱりフルマラソンは違うから走る練習はしたほうがいいと周りに言われる。が、やっぱり走ることに興味が持てない。大会は翌年3月。まだ半年ぐらい時間があるしと、やっぱり練習をしようともしなかった。その後、僕の唯一のお目当てだった女性インストラクターさんが落選したという話を聞く。この時点で僕が走ろうという気持ちは完全に冷めた。
 
そんな中、ガンで闘病中の父の体調が悪化した。マラソンのことは完全に意識から抜け、介護や家のことばかりに時間を使った。そしてその年の12月に父が亡くなった。葬儀や片付けが終わったが、まだ喪失感の中にいる2月。横浜マラソンの参加者案内が家に届いた。
 
出るかどうか、とても悩んだ。喪中に出るってどうだろうか。走る練習どころか運動もしていないのに走れるだろうか。申し込んでも落選して走れなかった人もたくさんいるはずなのに、簡単に辞めていいだろうか。走ったらこの気分も変えられるだろうか。いろんなことが頭をめぐる。
 
結局、この横浜マラソンに出ることにした。出てみようという気持ちが少しあったから。練習してないとかはどうでもいい。走れなくなってリタイアでも、関門での制限時間に間に合わずの足切りになってもいい。行けるところまで行こう。参加することにきっと意味がある。父を理由にして出ないとか言ったら、きっと父に叱られる。
 
2015年3月15日。迎えた横浜マラソン当日。周りに知り合いはいなかったが、同じように走る周りの人がいて、沿道からの応援があり、なんだか頑張れる気がした。
 
10kmにもいかないあたりで、左膝の内側につっぱる痛みが出てきた。やばい、まだ4分の1もいってないのに。やっぱり練習って大事なのかな。
 
15kmの頃には左膝の痛みが更に強くなり、走っていられなくなった。立ち止まって屈伸やストレッチをしてまた走る。走ってまた止まってストレッチをする。たくさんの人に追い抜かれていく。そんなことを繰り返し、なんとか折り返し地点を通過。
 
折り返し地点を過ぎ、ここから10数kmが横浜マラソンの目玉の一つ、高速道路を走るエリアだ。ここがさらに僕を苦しめる。高速道路の入り口への坂道が心臓破り。高速道路上は、ずっと地面が斜めになっていて走りにくい。更に高速道路上は、一般の人が立ち入れず応援がスタッフの方のみ。心も折れるし、脚がどんどん重く感じてくる。更にお腹が痛くなり、トイレに駆け込む。混んでいて更にタイムロス。もともと想定していたペースどころでもなく、ずっと関門でのタイムリミットギリギリで進んでいく。
 
よく言われる「魔の30km」を超えた。もう、ほとんど左脚が曲がらなくなっていた。立ち止まっても痛くて屈伸が出来ない。膝の内側が突っ張りきっている。正直自分で完走なんて考えていなかったが、ここまで来たら途中で終わりたくない。走ってきて初めてそう思った。親父の仏壇に完走メダルを報告したい。左膝は痛みを通り超え、もう殆ど曲がらなくなっていた。もう走るなんて感じじゃない。ほぼびっこを引いて歩いている状況。まだ痛みがない右脚の力を頼りに前に進む。
 
走りにくく辛い高速道路から降りると、景色が一気に変わった。久々の沿道からの応援。こんなに声援が力になるとは。僕もまだ頑張れる。何度も折れそうになっていた心は、完全に立ち直った。
 
残り5kmぐらいまでたどり着いた。いつの間にか、ずっと首に巻いたタオルで涙を拭いながら走って(歩いて)いた。応援の声が本当に嬉しかった。気を抜くと号泣すらしてしまいそうだった。父にも背中を押されているような気がした。
 
そして……
 
一瞬、周りの音が聞こえなくなった。天を仰いだ。目を開き振り返った。
歓声と拍手に包み込まれていた。ゴール地点の時計は6時間14分台を指していた。
 
完走とはいいにくい。タイムも制限ぎりぎり。ほぼ完「歩」だ。でも、ちゃんと、最後まで自分の脚でたどり着いた。
 
走る前と、マラソンに対する考えは変わっていた。
走ることが好きになったわけじゃない。またマラソンに自分から積極的に出たいなどとも思わない。だけど、フルマラソンも意外に悪くないかもと思えるようになった。
 
たくさんの声援があって、僕はひとりじゃないって感じられた。
亡くなっても、父の存在を感じられた気がした。
自分の可能性ってまだまだあるのかもって思えた。
やってみないとわからないことってたくさんあるって思えた。
 
そんなことに気付けたから、本当にフルマラソンを走ってみてよかったと思った。
 
まぁ、まだ自分からマラソン走ろうとも、普段からも走ろうとは思えないのだけれど。
 
 
 
 
***
 
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2020-05-02 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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