拗ねている時は頑張るところを間違えている
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:十島 ゆり(ライティング・ゼミGW集中コース)
「ずるい!」
私は、相当ぷんぷん怒っていた。
「私も、めがねが欲しい!」
その日は家族で、
弟のめがね選びの為にめがね屋さんに来ていた。
つい先日、母親が弟の担任に呼び出されたからである。
「太郎君、最近黒板がちゃんと見えていないみたいなんです。
めがねを買ってあげてください」
めがね屋さんには、所狭しにめがねが陳列されている。
青色、赤色、みどり色に黄色
丸いの、四角いの、大きいの、小さいの
なんだか選ぶのが楽しそうだ。
「ずるいよ! 太郎、ばっかり。私もめがね欲しい!」
すると、「あなたは、目が悪くないでしょ」と母親にピシャリ。
全くもって、面白くない。
拗ねた私はその日から、
積極的に暗いところで本を読むようになり
ノートにはなるべく小さい字を書いて
目を酷使した。
もくろみ通り、私の視力は低下し
母親にめがねを買ってもらう事に成功する。
もしも、タイムマシンがあったなら変えたい過去の一つである。
欲しいものが手に入らないとき
「拗ねる」というのは、有効な戦略なのだと思った。
思春期を迎えた頃、私は他人の目というものをすごく気にするようになっていた。
普通とは違うって思われたいな。
がむしゃらになったら、ダサいかな。
こんな事を言ったら、引かれるかな。
なりたい理想は大きいのに、微塵も近づけていない自分。
そんな自分に気づいていても、認められなかった日々。
「○○ちゃんって、すごいよね。私なんてさ~」
「そんな事ないよ~。そっちだって、すごいじゃん!」
なんて言えば、欲しい言葉で返してくれるかを把握できる会話のなかで
自分に「すごい」という言葉を向けてもらって、自尊心を守っていた。
欲しい事がある場合、それを欲していそうな態度をとり、相手に察させて、叶えてもらう。
これが、「拗ねる」の正体だ。
ようは、甘えているのである。
甘えているうちは、本気になんてなれない。
そして、叶えたい夢は愛想を尽かして一歩一歩遠ざかっていくのである。
欠落している部分を「拗ねる」で補って、本当は開いている穴を直視するのが怖いままでいた。
こうして私は、学年上位の成績であったのにも関わらず、大学受験に失敗したのだった。
テストの点数は、私のご機嫌なんかとってはくれない。
私はクラスで唯一の浪人生になった。
プライドが高い、わがままな18歳の天狗の鼻は、こうしてバキッと折られたのである。
知り合いが一人もいない予備校で、私は自分と向き合わざる負えなくなった。
テストの点数が、明朗に得手不得手を、残酷でいながらも公平に私に示した。
近道なんてないのだ。地道にコツコツ。ひたすらコツコツ。
拗ねる相手がいなかったのが、幸いした。
慰めてくれる人が来るのを待つ時間をなくすと、勉強をする時間がドバっと増える。
これは大きな発見だった。
ここで、ようやく「拗ねる」事の馬鹿馬鹿しさに気づけたのだ。
お陰で、一度は愛想を尽かして遠ざかってしまった目標は、また戻ってきてくれた。
そんな10代の苦い経験の事なんて、すっかり忘れていた時のことである。
仕事の案件がコンペ形式で出された。
欲しい案件である。
選ばれるのは1人。だから、失敗は許されない。自分の仕事の出来にだけ集中しなければ、ツメが甘くなってしまう。
でも、気になってしまうのである。参加者の経歴が。肩書が。
そこには、自意識過剰だった高校生の頃と同じ私がいた。
特に気になるのは、クライアントさんと旧知の中であるAさんだ。
心なしか、Aさんに話しかける時だけ、クライアントさんの話し方が優しくなっている気がしてしまう。
どうしても拗ねてしまう自分がいた。
クライアントさんとAさんの関係性やAさんの過去の作品ばかりが気になるのだ。
自分の仕事に注力しきれなかった私は、コンペに負けた。
でも、案件を受注したのはAさんではなく、別の人だった。
拗ねる時、私は頑張るところを間違えてしまう。
どうしても欲しいものが目の前にある時、何故か私には「拗ねる」という気持ちは芽生えやすいようだ。
万が一、手に入らなかった時のために心が用意する防御反応なのだろうか。
欲しいなら、自分で取りに行けばいいのに。どうして急に、女王様気分になって、他の人に取ってきて貰いたいと思うのだろう。
自分の力では取りにいけないと、瞬時に判断してしまっているのだろうか。で、あれば自信を持てるように自分に対して努力しなくてはいけない。他の人を動かすことに労力を割いている場合じゃない。
そもそも、他の人に取って来てもらう実績の何が嬉しいのだ。
頑張るところを間違えるのは、もう終わりにしよう。
子供の時みたいに、泣けば涙を拭いてくれる親はもういない。
気合を入れ直すために、ふーっとマスクの中で吐いた息で
めがねが曇った。
思えば、めがね屋さんで拗ねた時も頑張るところを間違えた。
めがねを買ってもらうよりも、視力を守るほうがよっぽど大事だった。
***
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