写真はラブレターなのだ!
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記事:阿津坂光子(ライティング・ゼミ日曜コース)
写真に写るのが嫌いだった時期がある。12、13歳から18歳までだ。
幼い頃はそうでもなかった。カメラを向けられると、よくいる子どものようにピースサインを出して無邪気に喜んでいた。
それが10代にもなってくると自意識が芽生えてくる。それも必要以上に。どっからどう見ても「可愛い」や「きれい」といった形容詞に引っかからない私の容貌は、写真を見るたびに私に失望しか生まなかった。カメラを向けられると、頑なにカメラから身を遠ざけ、顔を俯かせていた。
それがある日、ある物が私の意識を180度変えた。
祖母と祖父の若い頃の写真を見つけたのだ。
古いモノクロの写真の中にはそれぞれ、嫁入りした日に撮ったであろう花嫁姿の祖母と、軍服姿でシェパード犬とともに写った祖父の姿があった。
祖母の写真には何も書かれていなかったので推測でしかないのだが、おそらく祖母の実家の前で撮ったのだろう。土壁の端がボロボロと欠けており、貧しかった祖母の境遇が伺いしれた。
祖父の写真の裏には、日付と陸軍の訓練所にてという文字が書かれていた。祖父は戦時中の話を、祖母にも決してしなかったそうなので、詳しいことは分からないが、満州に配属されていたらしい。その写真は、満州に配属される前の、訓練生だった時に撮られたものだろう。
それらの写真を見ていると、いつもむっつり黙って怖いという印象しかない祖父も、明るくてオシャベリ好きだが小言も多い祖母も、当たり前だが若い時があり、期待に胸を膨らませて夢見たり、言いようのない苦しみを経験したりしてきたのだと、容易に想像できる。
愛という言葉は気恥ずかしくもあるけれど、そういう類いの気持ちが、祖母や祖父に対して溢れ出してきた。
そして、そこで思い至った。
孫である私が、たった2枚だけれど、祖母と祖父の写真を見て、これだけ嬉しかったのだ。だったら、私の子どもや孫が私の若い頃の写真を見たって、同じように嬉しがるだろう。
それなのに、私は見た目を気にして写真に写らないなんてことをしている。なんてムダなことをしてしまったんだろう! 私の子どもや孫にとって写真の中の私がキレイかどうかが大事ではない。わたしがどう生きていたかが見たいのだ。
それからだ、写真に写るのに全くためらいがなくなったのは。だって、私の写真は、私からの子どもや孫へのラブレターだからだ。「私はこうやって生きてきたんだよ、そしてそれが繋がってあなたがいる」というのを伝えるための。
もう1つ、写真から愛を感じたことがある。
父は、私が33歳の時に亡くなったのだが、遺影を探すために母と一緒に家族写真を探していた時だ。
父親がカメラ好きだったため、当然のように写真を撮ったのは父親であり、そして、家族写真は山のようにあった。まだデジカメなんて全くなかった時代だ。いろんな瞬間の私たちがいた。よちよち歩きの頃、運動会、海へのお出かけ。ごく日常の何気ない場面から、家族行事の特別な日まで。写真の中の私たちは、楽しそうだった。幸せそうだった。
そういった写真を何枚も何枚も見ていくうちに、いつしか涙が溢れ出した。父の私たちへの愛が伝わってきたのだ。
感情の起伏が激しい父だった。自分から「出かけるぞ!」と号令を発しておきながら、ドライブ旅行の途中に突然不機嫌になることもあった。怒鳴られたことなら何度でもある。母親は「一番下の息子が高校を卒業するまでは」と念じながら、離婚する日を指折り数えていた。私としては、とっくに離婚してくれていたら、どれだけ幸せだったかと思っていたのだが。
思春期で険悪な時期を迎え、大学で家を出て疎遠になり、お互いを大人として接する間もなく、父親はくも膜下出血で倒れ、そのまま10年以上の時を病院で過ごして亡くなった。私の中には険悪だった頃の父のイメージが色濃く残っていた。
そんな父親だったが、母親の写真を何枚も何枚も撮っていたし、私たち姉弟3人も山ほど写真を撮っていた。小さい頃は、それが当たり前だと思っていた。だが、今なら分かる。父だって、母や私たちを、夫として、父親として愛おしいと思うから、写真に撮っていたのだ。その気持ちは、父が生きている間は上手く伝わらなかったけど、写真という形で残っていたのだ。
父の影響だろう、私もカメラに興味を持つようになり、奮発してFujifilmの良いのを買った。最近は忙しさにかまけてカメラがホコリをかぶりそうになっているけれど、山登りも始めたことだし、また保管ボックスから取り出して、活躍の場を与えたいと思っている。
ちなみに、山登りも父親の趣味だった。母親と出会ったきっかけでもある。そして、母親もいまだに登り続けている。そして、母親の部屋には特大の父の写真が飾ってある。
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