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メディアグランプリ

貞淑な美女は答えてくれる


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記事:井村ゆうこ(リーディング倶楽部)
 
 
「内幕」という単語は、いつも私の好奇心を呼び覚ます。必ず私ののぞき見根性を引っぱり出す。
建て前やごまかしといったファンデーションで整えられたよそ行きの顔ではなく、眉毛ひとつ書く前のスッピンそのものの顔。それを見せてくれるのではないかという期待が、脳を刺激する。
「その本を買いなさい」
頭の中に響く声に従い、本を手にしたままレジへ向かう。
書店の文庫本コーナーで、帯や裏表紙に「内幕」という文字を見つけてしまったときの、私の行動パターンだ。
 
「日本のロシア語通訳では史上最強と謳われる米原女史が、失敗談、珍談・奇談を交えつつ同意通訳の内幕を初公開!」
数年前、ふらっと立ち寄った本屋で見つけた「内幕」は、同時通訳の内幕だった。内幕本というだけで購入はほぼ100パーセント確定だったのだが、このときは更にダメ押しがあった。
本のタイトルだ。
強烈なタイトルが、私の想像力と妄想力をも煽ってくる。
買わずに店を出る選択肢は、タイトルを目にした時点で完全に消滅した。
 
その本とは、「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)」か」(米原万里著 新潮文庫)
真っ黒な表紙の中央には銅版画家山下清澄氏の描く、怪しい魅力をたたえた女性の姿が横たわっている。
もしもこの本が映画化されるとしたならば、タイトルと表紙と「同時通訳の内幕とは……」のナレーションだけで十分予告編が作れそうなインパクトだ。
 
店を後にした私の足取りは自然と、いや不自然なくらい早まっていたに違いない。
 
著者の米原女史はこの本の中で、エピソードを機関銃ように連射してくる。
エピソードは大きくふたつに分けることができる。
ひとつ目は、通訳という仕事のリアルな裏側だ。私たちが決してうかがい知ることができない、通訳者の本番までの苦労や、後悔の残る失敗談、仲間内での議論などが語られている。
例えば、駆け出しの時代。原子力会議の通訳のために、原子力に関する入門書から論文、辞典、参考書まで、手に入るありとあらゆる資料に目を通し、専門用語を必死に覚えた。それでもなお会議前夜は不安でほとんど眠れなかった、と彼女は言う。そして、当日の心境をこんな風に表現している。
「諦めと自棄っぱちと向こう見ずが団子になったような気分で会議場に入っていったものだ」
史上最強と謳われるほどロシア語通訳界のエースに上りつめた米原女史が、いかにして通訳という仕事に向き合い、悩み、踏ん張ってきたか。エピソードからは、ひとりの通訳者として、またひとりの人間として奮闘する姿が浮かび上がってくる。
タイトルの「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)」か」が、通訳者にとって永遠のテーマであることの意味も語られている。
 
ふたつ目は、同じ言語を話さない者たちが集まった場所、異文化が接する地点だからこそ生まれる喜劇。真剣勝負のコミュニケーションが生む物語だ。
例えば、英語の通訳者から聞いた、とある日本語しかできない商社の社長さんのエピソード。
同行していた海外市場部長が社長に言う。
「私が全部訳させていただきますから、あいさつなさる際には全部日本語でおっしゃってください」
部下の言葉に従い、日本語であいさつをした社長は、スピーチの最後の部分で、ひと言ぐらいは英語を話すのがエチケットとばかりに口にする。
「ワン、プリーズ(One please)」
宴会終了後、走り寄ってきた部長が最後のフレーズの意味を問うと、得意満面の社長が答えた。
「うん、君、あれも分からんのか。ひとつ、よろしく、だよ」
このように滑稽で笑いを誘うエピソードの数々が、随所に散りばめられている。
 
ときにシリアスなエピソードで読む者の背筋を伸ばし、ときにユーモアたっぷりなエピソードで緊張を解く。同時通訳の内側は実にスリリングで奥深い世界だ。
ページを繰る手をとめることができず、一気に読み終えたところで、私は気づいた。
米原女史のエッセイは「内幕本」ではなく「通訳本」だと。
同時通訳という仕事の中身を、そのままさらけ出しているのではなく、通訳という仕事を通して見たもの、聞いたもの、感じたことを私たちにわかる「言語」に置き換えてくれたのではないか。
異文化体験の最前線にいる者として、異なる言語や文化をもった人間同士がわかり合うことの難しさを緩急をつけたエピソードによって、伝えようとしているのではないか。
私は、そう思う。
 
もし今、目の前に米原さんがいたら、どう「通訳」してくれるのか聞いてみたい。
新型コロナウイルスと「新しい生活様式」、アメリカのミネアポリスで起きた警察官によるアフリカ系米国人の暴行死事件と抗議活動。私たちが生きているこの世界の内側で起こっている出来事に、訳をつけてくれと言ったら、彼女は答えてくれるだろうか。
 
きっと答えは「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)」か」の中にある。
強烈なタイトルのこの本が、私の判断力を補ってくれる。
 
 
 
 
***
 
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2020-06-13 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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