イルカとヒーローとグッドサイン
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:たる(ライティング・ゼミ日曜コース)
心に残る特別な1日は、唐突に始まった。
早朝に部屋の電話が鳴り、受話器をとる。相手は早口でまくしたてるが、何て言ってるのか分からない。
わたしより英語ができる妻に交代。しばらく会話をした後、妻はこちらを向いてほほえみ、わたしに告げた。
「イルカ、今日だって」
タンタンタンタン
2分後、わたしたちは水上コテージが何十と立ち並ぶ桟橋を激走していた。
両脇に足ヒレ(フィン)とシュノーケル、大きな水中ゴーグルをかかえて走りながら、右手に握った予約のメモを何度も見る。
「やっぱり木曜日って書いてあるな」
「スタッフさんも木曜日って言ってたね」
この島に合わせ、時差を修正したiPhoneの画面が「今日は水曜日」と教えてくれている。
スタッフさんのミスだろうか。でもこんな小さなすれ違いで、夢を諦めるわけにはいかない!
*
イルカと泳ぐのが夢だった。
ダイバーが野生のイルカと戯れる映像や、水族館のイルカショーを何度も見て「いつかあんな風にイルカと泳いでみたいなぁ」とよく妄想していた。それが新婚旅行の行き先をこの南の島にした、大きな目的の1つだった。
真冬の日本からシンガポールを経由して、インド洋のど真ん中にある島国モルディブへ。首都からモーターボードで20分、透き通った海に浮かぶ1つの島に着いた。
到着した月曜日の内に、わたしたちは楽しみにしていたツアーを予約することにした。立て看板の写真のカップルは、イルカと華麗に泳ぎながら、右手の親指を立てグッドのサインをしている。
海小屋に入り、現地のスタッフさんと何度も確認した。集合は木曜日の朝、7時30分ということだった。
予約の後、近くの海でシュノーケリングのテストをした。ライフジャケットを着て、足ヒレをつける。シュノーケルとゴーグルもレンタルしてくれた。
浅瀬を数分泳いで戻ってくると、スタッフさんが両手のグッドサインで迎えてくれた。
*
それから2日間は、すべての装備をつけて島の周りを泳ぎまくった。テレビや水族館でしか見たことのないカラフルな熱帯魚が、サンゴの間を悠々と泳いでいた。
少し疲れたらライフジャケットに身をまかせ、空を見上げて休憩した。日差しは強いがカラッとしていて、海水も日本ほどしょっぱくなかった。
私たちが泊っている水上コテージのテラスから、妻が手を振っているのが分かる。火曜日の夕刻、夜はビーチでバーベキューだ。
*
翌朝はそれまで以上に太陽がまぶしく感じた。
数時間前の深夜、波の音を聞きながらのんびり歩いた長い桟橋を、私たちは血相変えて駆け抜けた。
海小屋で迎えてくれたスタッフさんは「大丈夫」と言いたいのだろうか、右手でグッドのサインをしている。
「全然グッドじゃないよ!」
心の中で叫びながらも、木曜日と書かれた予約のメモを見せると、誤りは認めてくれた。
なんとか間に合いほっとしたものの、出発を待っていてくれた10名ほどのお客さんたちに申し訳なかった。
*
1時間ほど船に揺られて沖に出た。突然、スタッフさんが叫ぶ。
「マンタ(エイ)がいるぞ! 君たちはすごくラッキーだ」
そんなニュアンスは理解できた。船から少し身を乗り出すと、大きなマンタが悠々と泳いでいるのが見えた。
他のお客さんに続き、私たち夫婦も言われるがまま、足ヒレとシュノーケル、ゴーグルをつけて海に飛び込んだ。
スタッフさんとお客さんたちは、マンタを追いかけてぐんぐん泳いでいく。
わたしは必死についていこうとするが、全然進まない。気づけば船も遠ざかっている。その場にとどまることもできず、浮いていることもままならない。
「ちょっと待ってくれ。どうしよう、泳げない!」
インド洋のど真ん中で、わたしは盛大に溺れた。
バシャバシャと全身を使ってなんとか沈まないようにもがく。それでも水の中に顔がつかり、シュノーケルやゴーグルの中に水がブクブク入ってきて息ができない。
バシャバシャ、ブクブク、バシャバシャ、ブクブク
何度も何度も繰り返す。両手両足バラバラの動きであがき、誘導してくれている妻やスタッフさんの方へなんとか近づいていく。
すべての力をふりしぼって、命からがら船にたどり着いた。
*
「生きててよかった。でも、こんなはずじゃなかった」
わたしは船内の座席に横たわって、情けない自分を何とか受け入れようとしていた。
「2日間練習して、ずっと泳げてたのにどうして?」
ふと妻が、運転席近くのスタッフさんに話しかけに行った。戻ってきた彼女の手には、2つのライフジャケットがあった。
そうか、今日はライフジャケットを着けていない。スタッフさんも他のお客さんも、誰ひとり着けていない。それなのに彼らは、どんどん海へ飛び込み、水中カメラを片手にぐんぐん遠くへ進んでいく。周りを見渡す時は、長い間立ち泳ぎもしていた。
鍛え上げられた肉体をしているわけでもなく、すごく若いわけでもなく、国籍がバラバラということ以外は、わたしと同じ普通の人間にしか見えない。しかし、彼らは経験が豊富なのか、身体能力が高いのか、泳ぎがバツグンに上手かった。
急に彼らがアベンジャーズのようなヒーローに見えてきた。
*
一旦、全員が船に引き揚げ、ポイントを変える。
誰かが叫んだ。みんなが一斉に同じ方向を見る。いくつかの背びれが上下している。
「イルカだ!」
ヒーローたちは歓声をあげながら、海へダイブしていった。
ライフジャケットを着けたわたしは、それでもまだ勇気が出ないでいた。船のはしっこに腰掛ける。
「ずっとイルカと泳ぎたかったんだろ?」
自分に何度も問いかける。ヒーローたちは30メートル以上向こうで、隊列をつくって泳いでいる。
ふいに方向転換したイルカが船に迫ってくる。
目下を3頭のイルカが通り過ぎた瞬間、わたしは船のへりを蹴っていた。
溺れて以来の海に入り、無我夢中でイルカを追う。ライフジャケットが体を浮かしてくれる。ゴーグルをしっかりつけて海中を覗く。イルカが見える。手が届きそうだ。
時間にして5秒にも満たないだろうか。わたしはイルカと並んで泳いだ。
夢が叶った瞬間は、スローモーションの様に、心地よく緩やかに時が流れた。
カメラなどは持っていなかったので、証拠になる記録はどこにもない。その場面を見てくれていた、妻とヒーローたちが証人だ。
2020年1月、海と空の境界線は、ダイヤのように輝いていた。
船に戻ったわたしは、ヒーローたちのグッドサインに、同じように右手の親指を立てて応えた。
***
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