頑張れ、お兄ちゃん!
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:櫻木聖子(ライティング・ゼミ通信限定コース)
「お兄ちゃん、どうしたん? 何があったん?」
リビングで私と兄は向かい合った。重い雰囲気が漂っていた。
「何が?」
「何が? やなくてさ、大学卒業して家に戻ってきて、なんで平日の昼間にここにおるん?
なんでだらだらテレビ見よるん? なんでゲームしよるん? なんで?」
私は我慢の限界だった。兄のこんな姿は見たくなかった。
兄と一緒に暮らしていたのは、私が中学を、兄が高校を卒業するまで。私が知っている兄は真面目で優しくて頼れる人だった。兄は高校卒業後、地元の大学には進学せず、関東の私立大学に進学して1人暮らしを始めた。
兄が大学4年生のとき、母がこんなことを言う。
「お兄ちゃんね、大学院に進学したいって言ってたの。だけど失敗したみたい。お父さんとお母さんとお兄ちゃんで話し合って、就活に切り替えようってなったんだけどね、何もしてないみたいなの。まだ間に合うから大学のキャリアセンターに行きなさいって言ったけどお兄ちゃん行ってないみたい。卒論で忙しいらしい」
そんなこと私に言ったってねえ、これは兄の問題だ。私が何か言って解決できることではないし、大学生になりたての私に就活のことを言われては、兄のプライドが傷ついてしまう。だから私は知らん振りをした。
3月、兄は大学を卒業した。
「今日からお兄ちゃんもしばらくはここで一緒に暮らすよ」
私は何も言えなかった。何も聞けなかった。母の表情を見ただけでわかったから。兄が心配で心配でたまらなくて泣いているようだった。
久しぶりに会った兄は空っぽだった。
兄を傷つけないよう気を遣う母。母に心配をかけないようにいい子を演じる兄。
お互いに痛いところに触れたくないのだろう。いつも会話が薄っぺらかった。
私は見ていられなかった。聞いていられなかった。食卓を一緒に囲んでも、上辺だけの中身の無い会話は、ごはんを不味くした。胸が痛くてたまらなかった。
たくさん考えた。兄はどうしちゃったんだろうか、何があったんだろうか、何か辛いことがあったのだろうか、これからどうしたいのだろうか、どうやって生きていくのだろうか。就活をせずに卒業してしまったから、そもそも就活の仕方を知らないのかもしれない。今後困るのは兄はもちろん私もだ。だって両親は先に死んでしまう。残された私が兄の面倒を見なければならないかもしれない。いくらなんでもそれはごめんだ。
兄を心配しているのか、自分の心配をしているのか。変な妹のように思えるかもしれないが、兄のためにできることを考えた。インターネットで就活の仕方を調べて両親に共有したり、私が通っている大学のキャリアセンターで兄のことを相談したり。
直接私から兄に伝えてしまっては、やはり兄としてのプライドが傷ついてしまうだろう。私はありとあらゆる情報を母に伝え、母から兄へ伝えてもらった。
それでも兄は変わらなかった。家のソファーで横になっているだけ。そして私は我慢の限界がきた。
「なんでなんもせんで家におるん?」
「ごめん」
今まで何も言ってこなかった妹からの言葉に兄は焦ったのだろう。けれど、そのごめんも空っぽの言葉だった。
「何もせんでただ家にいるだけ。お母さんが帰ってきたら急にいい子ぶる。お兄ちゃんとお母さんの会話を聞いてるだけで薄っぺらくて気分悪くなる。大学4年間親のお金で通わせてもらって、1人暮らしで仕送りまでしてもらって、卒業したらこれ? 何がしたいん?」
「ごめん」
「ごめんしか言えんと? お母さんと話しよっても自分の本音の部分は何も言えとらんやろ? 本当は何を思っとるん? お兄ちゃんはどうしたいん? お父さんお母さんにいろいろ言われとるかもしれんけど、お兄ちゃんがどうしたいかを言わななんも始まらんよ。別に私にはいい子ぶらんでいいし、親に言うつもりないけん、上辺で話さんで」
兄の痛いとこを私は容赦なく言葉で刺した。兄は黙り込んだ。私は兄が口を開くのをずっと待ち続けた。クーラーから吹き出る風の音。外で一生懸命鳴いているセミの声。
どのくらい待ったのだろう。やっと兄が話し出す。
「お父さんには働け働けと、お母さんにはゆっくりでいいから好きなことをしなさいと。ふたりに違うことを言われて俺もどうしていいかわからなくなった。でも今は働きたいと思っている」
「働きたいなら行動せなやん。家におってだらだらしても仕事は見つからんやん」
「頑張れなくなった」
「なんで?」
「ずっと頑張り続けていたことが一瞬で失われたから。大きな仕事も任せてもらえるようになったのに、そのアルバイト先がある日突然潰れてしまった。それが自分にとってかなりショックだった。もちろん新しいことに挑戦したけど何をやっても中途半端で頑張れなくなった。試験勉強も身が入らなかった。そしたらこうなった」
涙が出るのを必死にこらえる兄の姿をみて、私も心苦しくなった。兄はひとりで辛かったんだろうなと思った。ひとりでいっぱい抱えちゃったんだろうな。親にも相談できなかったんだろうな。どうしていいかわかんなかったんだろうな。私は兄の気持ちをたくさん想像した。
「ちゃんとお父さんお母さんに自分がどうしたいのかを伝えないかんよ。お父さんお母さんが死んでも私はお兄ちゃんの面倒を見らんけんね! ちゃんと自分の力で生きていけるようになってね! お兄ちゃんなら大丈夫だよ! 一緒に過ごせとらんかった分、今のうちにたくさんお父さんお母さんに甘えとき! ちゃんと本音で向き合うとよ!」
不器用ながらもツンツンとした妹なりのエールを送った。
「うん。言ってくれてありがとうな」
その日から兄は変わった。
もう空っぽの兄はそこにはいなかった。目標に向かって頑張る、生きている兄がそこにいた。
そうして兄はいま正社員として働いている。
兄の将来のことなんて私には関係がないと思っていた。だけどそれは違ったようだ。家族は切っても切れない存在。家族である以上、兄の問題は家族の問題。つまり、私にも関わる問題だった。
家族、そして兄妹。今まで、なんだか気恥ずかしくて真剣に考える事を避けてきたけれど、大事にしなければ、と思った。
頑張れ、お兄ちゃん!
***
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