「不安」は拭いさるものではなく、共存するもの
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記事:伊藤朱子(ライティング・ゼミ日曜コース)
「わかったから、許して!」
私は出せる限りの大きな声で叫んだ。しかし、実際には声にならなかった。
布団の上から、ぐっと体を押さえつけられ、苦しかった。
「お願い、お願い……」
と、やっと小さな声で言うことができた。
押さえつけている力から逃れようと、ジタバタと手や足を動かそうとしたが、全く抵抗できない。
古いテラスハウスの2階の寝室で、目も開けられず、苦しさと恐怖に耐えていた……。
やっと、押さえつけられていた力が消え、自由になった時、体がガタガタと震えだした。
ほんの短い時間の出来事だったと思う。
そのあと、ベッドから起き上がることもできず、布団の中で震える体を抱え込むように丸くなり、目をつぶってじっとしていた。朝方になって、やっとウトウトと眠ることができ、そして、天窓から入る強い光で目が覚めた。
夜中のあれは何だったのだろうか……。
何か、霊? 幽霊?
今まで、霊的な何かもまったく感じたこともないし、金縛りとかも無縁の人生だ。感じなくていいのであれば、そういうものはできれば遠慮したい、そう、ずっと思っていた。
数日後、寝ている部屋の扉は開けてあった。部屋につながる廊下から、ひたひたと何かが近づいてくる気配がする。私はハッと目を覚ました。
「お願い、私もどこにも行くところがないの。共存しよう、一緒に暮らそう、邪魔はしないから! 」
とっさに大きな声で叫んだ。
残念ながら、予定なく夫と別居をすることになり、実家に身を寄せたものの、居心地は悪かった。実家にずっといることは出来ない。そんな中で、格安で知り合いから借りた家だ。本当に他にどこにも行くところはない。
気持ちが通じたのか、スーッとその気配は消えていった。
私が初めて「ソレ」に出会ったのは、この家に引っ越してきてちょうど一ヶ月くらい経った夜だった。
この古い家に、「何か」がいるのだろうか。
そういえば、かなりの間、借り手がなかったと言っていたなぁ……。
そんなことを思いながらも、ここから出るわけにもいかず、日々の暮らしを続けるだけだった。
「共存」を申し入れて以来、私は家で「ソレ」と直接対面することはなかった。しかし、心のどこかで、いつも「共存」している気持ちは忘れなかった。
だから、必ず家に入る前には、「帰ってきました」と、インターホンを鳴らす。
それに、直接対面することはなかったものの、寝室にいる時、「隣の部屋にいるな」とか、お風呂から出てきた時、「ダイニングスペースにいるな」など、感じることはあった。
そいう時は、その部屋には入らず、静かに自分を見つめて過ごすしかなかった。
それにしても、今まで何も感じたことがないのに、何で急に、「ソレ」を感じるようになったのだろう。
霊感が強くなった? まさか、そんなこともあるはずもない。そんな能力、全然、歓迎できない、そう思った。
この時、私は生まれて初めての一人暮らしだった。そして、夫と別居なんていう、あまり普通ではない状況。当然、仕事は何も変わらず行っていた。その上、自分のものはまだほとんどが、夫の元にある。家財道具も少なく、中途半端に大きな家を一人では持て余していた。
何もかもが初めての経験、状況で、自分が気付かぬうちに相当のストレスを感じていたのではないか。
そう、だから、今は思う。
「ソレ」の正体は「不安」だったのだと。
「ソレ」は何か霊的なものではなく、自分の心の中にあった「不安」。
その「不安」が私の体に影響を与え、感覚を過敏にし、何かを感じさせてしまっていた。
その証拠に、だんだん生活が整ってきて、落ち着きを取り戻して行くと、「ソレ」を感じることはなくなっていった。そのうち、「ソレ」の存在が消えていった。
「わかったから、許して!」と叫んだのは、今まで「不安」の存在を無視してきたことを、自分自身に謝っていたのではないか。
「不安」は認めたくない、でも、認めざるをえないほど大きくなっていた。
「不安」を認めたくない私の心がもう限界に達しようとしている。
そんな中で、「不安」の存在を認めるから、「許してほしい、解放して!」と、私の無意識のあらわれだったのではないだろうか。
そして、私は、大きな声で「共存しよう、一緒に暮らそう」叫んだ夜、自分の「不安」と「共存し、受け入れる」と宣言し、そして、一つの覚悟ができたのだった。
一旦、自分の弱い部分を認めてしまい、それからはそれを受け入れながら、静かに自分自身を見つめて生活をしてきた。そして、自分でできることをコツコツと整えていく中で「不安」を消してきたのだ。
その後、2年ほどその家に暮らしたが、結局大声で叫んで以来、「ソレ」には直接出会わなかった。
何年も経ってから、友人に「ソレ」に会った話をしたことがある。
「私、霊感ないけど、一度だけ会ったことがあるんだよね」、
なんて、とてもお気楽な話として。
あの時本当はどれだけ不安だったのか、隠すように……。
それから今も、私の一人暮らしは続いている。そして、人生経験も積んで、いろいろな物事に対応できるようになった。引越しも2度ほど経験した。新しい家に移っても、あの時のように「ソレ」には出会ってない。
人生には「ソレ」がつきものだとよく言われる。
だからまた、いつか「ソレ」がやってくるかもしれない。
でも、何度でも「共存しよう!」って言える。
無理に拭いさる必要はない。
それに、共存できたら、それはもう「不安」ではなくなるのと思うから。
《終わり》
***
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