光に照らされずに、悲しみに慣れることができずに生きている人のことを忘れてはいけない
*この記事は、「リーディング・ライティング講座」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:東ゆか(リーディング・ライティング講座)
「あんたの大叔父さんが死んだのよ。ずっと行方不明だった人。京都でホームレスやってたんだって。警察から連絡が来たって九州のおばさんが……。」
私の母方の親族たちは九州にいるので、会ったことのない親戚がたくさんいる。大叔父とは祖父の弟のことだ。祖父には失踪した弟がいるということを聞いたことがあったが、それは私が生まれる前の出来事だったため、親戚の間では気がかりにはなるが、もはや何も進展の余地がないこととして、家族の間で大叔父の話題が出ることはあまりなかった(母たちは話していたのかもしれないが私はあまり知らない)。
「酷い叔父さんだったんだから」
「本当にね。しょうもない人だよ」
そんなことを母と祖母が話しているのを少しだけ聞いたことがあったような気がする。
「道端で亡くなって、身元が分かったから九州の妹たちに連絡が来たんだけど、もういなくなって何年も経っていた人だったから遺骨を引き取らなかったらしいのよ。だから叔父さん、無縁仏なのよ」
母の口調からはそれが大叔母たちに対する非難なのか、同意なのかは読み取ることができなかった。
血縁者だとしても、一度も会ったことのない人の死に接して悲しむことは難しい。ましてや本人を知る人たちから良い話を聞かない人物ならなおさらだ。私には単に「親戚がホームレスになって道端で亡くなった」という衝撃しか残らなかった。『もののけ姫』の乙事主の「悲しい事だ。一族から祟り神がでてしまった」という台詞を思い出した。正直に言うと、ホームレスとは祟り神のような恥ずかしい存在だと思った。
大叔父のことが知りたい。なぜ家族を捨てたのか。家に帰らなかったのか。
そんなことを知りたくて手に取った本があった。
『JR上野駅公園口』(柳美里著・河出文庫)は今年2020年に全米図書賞を受賞し話題になった上野のホームレスの姿を描いた小説だ。
本書は福島から出てきて、上野公園でホームレスとなった男の生涯を描いている。男は1933年生まれで、高度成長期の時代にはまさに働き盛り。この時代はオリンピックもあり、日本の幸せな時代のように描かれることも多い。しかし男の半生は、東京をはじめ、各地に出稼ぎに出て、郷里に残してきた家族のために仕送りを送り続けるものだった。日本経済の黄金期に、この男はずっとその日陰の中で生きてきたのである。そのことが次のモノローグで示される。
『暗闇の中に一人で立っていた。
光は照らすのではない。
照らすものを見つめるだけだ。
そして、自分が光に見つめられることはない。
ずっと、暗闇のままだ——。』
本書ではそんな男の回想や、ホームレスとなって見つめる上野の街の風景を描いている。淡々とした描写であるはずなのに、男のこうした現在や過去に対する視線を知っているからこそ、そこはかとなく悲しく、虚しさややるせなさがこみ上げてきてしまう。上野に行き交う初老の婦人たちの姿を通して、男は亡くした妻のことを思う。
今、路上で暮らしている人たちにも、かつては自分の家や家族があったはずだ。普段、駅の構内や公園のベンチの見かけても、つい目を逸してしまう彼らは街の透明人間だし、住所を持たないから行政の支援も受けづらい。そんな彼らをポジティブに「好きでそういう自由な生活をしている人」として取り上げられることもあるが、それはそう取り上げる人間たちが常に光を浴びている人間だからできることなのかもしれない。
本書を読めば、京都の冬の路上で亡くなった大叔父のことが何か少し分かるかもしれないと思った。「ホームレスになった大叔父」ということ以外に、何を思ってホームレスをしていたのかを知りたいと思った。そうしたら大叔父の死について悲しんだり、はたまたその生き方を他の親族たちのように軽蔑できるのではないかと思ったのだ。
しかし、家族のために働き通しだった本書の主人公とは違って、大叔父は自分勝手な人だったらしい。本書の主人公と大叔父の姿を重ね合わせることは早々に諦めた。
その代わりに残ったのは、ただこの男の人生に対する、そこはかとない悲しみを感じることだけだ。
『ただの一度だって他人様に後ろ指を差されるようなことはしていない。ただ慣れることができなかっただけだ。人生の苦しみにも、悲しみにも、喜びにも』
路上で生きる彼らは決して努力を怠ったわけではない。ただ襲いかかる人生の苦難や悲しみを上手く乗り越えられることができなかっただけだ。家も大切な家族も、何もかも捨ててしまいたくなるほどに。
本書の最後に男が「あること」を選んだ後に、震災の津波と原発事故の被害にあった男の郷里のが描かれる。男は自ら捨ててしまった側だが、津波や原発で家や家族を、どうしようもない大きな力に有無を言わさず奪われてしまった人達もいる。
そんな悲しみに「慣れる」ことなんてできるのだろうか。誰がそれを彼らに強いることができるのだろうか。津波や原発だけではない。職を失ったり、家族を失ってしまうこともそうだ。私の大叔父は何に「慣れる」ことができなかったのだろう。家族から「しょうもない人」と言われる者たちが、全員家を捨てるわけではないだろう。大叔父は何から逃れたかったのだろうか。逃れなければいけなかったのだろうか。
本書の男は、高度成長期・東京オリンピックと輝いていた日本の日陰を歩いてきた人だ。延期になってしまったが、日本もこれからオリンピックを控えている。経済大国ぶっているが、貧困率が高まり、自殺者の多いこの日本に「人生に慣れることができずに忘れ去られている人々」がいるということを忘れてはいけない。ありきたりかもしれないが、男の悲しみに接して「こんな思いで生きていかなければいけない人が、一人でも多く救われてほしい」と願わずにはいられなかった。
本書の男と大叔父の事情は異なる。ホームレスの方たち全員が一様にこの男と一緒だと考えてしまうことは、あまりにも乱暴だ。しかしこんなふうに、いつもは見て見ぬ振りをしたり、目の届かない場所で生きている人達に思いを馳せさせてくれるのが文学の力なのだと改めて気付かされた。
無縁仏となってしまった大叔父に対しては「大叔父のことを分かろうとした、知ろうとした」ということを通じて、花を手向け、手を合わせたいと思った。
大叔父さん、どうぞ安らかに。
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