メディアグランプリ

現在、性転換を検討されている方へ


金子さん

 

記事:かねこねこ(ライティング・ゼミ)

 

「あー、何か性別変えたいなあ」
そうお思いのそこのあなた! 分かります。分かりますとも。
その欲求がどうしても強くなった時、この記事の事を思い出して頂ければ幸いです。
なぜなら、これは『実録』です。私『かねこねこ』の。

そう、私は性転換者です。身体を変え、戸籍を変えた筋金入りの性転換者です。

これを公表しても私には何の得にもならないです。むしろリスクが大きいです。
過去を振り返ってみると、ある会社からは退職を勧められたり、あとは「オカマか?」と絡まれたり石を投げられたり、マニアックなご趣味の方に言い寄られたりとあまり良い思い出はないです。

でも性転換しなかったら私は今頃、自殺していたと思いますし、恋人とも出会えたので結果的にこの道を選んで良かったと思います。

テレビで見ると、性転換者というのは特殊な印象を受けがちです。
女性よりも女性らしいとか、オネエ言葉で親しみやすいとか……。
でも、あれはやはりタレントさんです。性転換者が全員『ああ』だと思っていると、例えば私に出会った時にがっかりします。ほんと、普通なので。
男性が全員、窪塚洋介のようだったり女性が全員、佐々木希のようだったりしないように性転換者にも色々な人が居るのです。

また、そんなに珍しいものでもありません。実数に関してはネットで調べてもらうとして、実感としては一学年に二から三人は居るんじゃないかなあ? といったところです。

ちなみに性転換の費用は、男から女なら国産の新車一台買うお値段です。大体、百万から百五十万円あればできちゃいます。国内で。お手軽なもんです。なお女から男は施術的に難しいので、外車の新車一台分のお値段になります。

さて、私がいつから性別に違和感があったのかというと、物心ついた頃にはすでに感じていました。
とは言っても、私はそれを主張するタイプではありませんでした。
その一方で服は、ほぼ全て女物。これは自ら望んだものではなく、女系一族の末っ子という立ち位置だったため姉や従姉妹、その友達の服をお下がりとして着ていたというのが正解です。
ですが、普通なら抵抗しますよね。しかし、私は抵抗しなかったんです。そういうところが現在に繋がっているのだと思います。

女物を着ていたので小学生の頃は同級生に「やーい、女男~!」等とからかわれましたが、それに対しては「ちがうもん!」と言い返していました。
何が違うのかまでは言えませんでしたが、内心、おちんちんはいつか消えるものだと思っていましたし、姉たちのように女性として成熟してゆくものだと信じていました。

自分が男性だと思い知らされ、絶望にうちひしがれたのは15歳。
初めて精通があった時です。
最初、ついに初潮が来たものだと思ったのですね。
でも、なんかパンツが赤くない。白いのがついている。あああ……。
「自分、マジで男になるんだ」
そのショック。ああ、男。あのあれになるんだ……嫌だなあ。絶対に嫌だなあ。
その後、本を読みあさったり、メタルに傾倒したり、意味も無く毎日走ってみたりしてストレスを和らげようとしたけれど、どうも駄目で私は高校卒業と共にこう決めました。

「よし、とりあえず男性化を止めよう。玉を取ろう」

時は西暦2000年。インターネットがご家庭に普及し始めた頃の話です。
大学合格祝いにパソコンを買ってもらった私はそれを使い情報を収集。ついに、東京に玉を取ってくれる医者が居るという事を突き止めました。

――料金は十万円。日帰りの手術が可能。

夏休みのある日、私は財布にバイトで貯めた十万円を押し込み、仙台発新宿行きの深夜バスに乗り込みました。移動中は興奮で一睡も出来ず、ふらふらと件のクリニックを目指しました。

「手術を受けたいのですが、すぐに受ける事が出来ますか?」

その私の問いにクリニックの医師は私にこう応えました。

「女性ホルモンもやっていないのに手術なんかしたら、ホルモンバランスが狂って最悪、死ぬぞ。それに親の同意もなしに未成年に手術は出来ない」

ジーザス。若い私は社会や人体の仕組みというものを理解していなかったのです。

こうして、私の十八歳の冒険は幕を下ろしました。
とぼとぼ泣いて帰る私に、医者はインターネットでホルモン剤が買えるという情報をくれました。そして、私はホルモン剤を飲みのみ二十歳を待つ事になります。

玉を取ったあとは楽しく安定した学生生活を送りました。
ちなみに、就活は男性の方が有利だから、そちらの性別で受験しました。しかし、入社してすぐにボロが出てしまいました。
男性のフリはもう無理だと判断した私はその後、肉体改造&戸籍変更の道をまっしぐらに走ります。
最初はトラブルに巻き込まれたり、両親との関係が悪くなったりしていったのですが、めげずに道を走ってゆくうちに、ノーストレスの生活を送れるようになっていきました。

これはどういう事だろう? と考えると、天狼院の三浦さんの口癖を借りるなら『フルスロットル』で課題に取り組むと道が開けていくという事だと思います。
現在、両親との関係は未だかつて無いほどに良好です。
だから、こうと決めたら常に本気でやる。中途半端はしない。
それが私からのメッセージです。

 

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この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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2015-12-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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