僕が街中でヒッチハイカーを探す理由
記事:黒須 遊さま(ライティングゼミ)
まずい。
非常にまずいことになった。
日曜日の早朝、スマートフォンを片手に佇む僕の首筋を玉の汗が流れ落ちていく。
何度確認しても変わらない。現在地を示す青い点と目的地を示す赤いマークはぴったりと重なり合っている。
それなのに……
理学療法士(リハビリの専門職)として働く以上、技術向上のために勉強会に出るのは当たり前である。それが新人ならなおのこと勉学に励まなければならない。
とは言え、当たり前のことを当たり前に出来るかというと、これがそうでもない。なんせ金額が高いし完全に休日返上になるのだ。
なんだかんだと理由をつけて半年間油を売っていたが、それもそろそろ限界だった。
就職して初めての院外勉強会に申し込んだのが一週間前。余裕を見て30分前に到着出来るように家を出たはずだった。
主催者は実習中にお世話になった病院の先生だ。万が一にも遅れることは許されない。
それなのに。
完全に道に迷ってしまった。
僕は生粋の方向音痴だ。
居酒屋でトイレに立ったが最後、元の席に戻れなくなるのはしょっちゅうだし、下手をすればいつも通っている地元の道でもわからなくなる事がある。大学生の時、バイトの面接会場にたどり着けずに途中で諦めた事だってある。
だが、この時ほど父親の遺伝子を受け継いだことを恨めしく思ったことはない。
嘘だ、こんなの嘘に決まってる。
だってちゃんとグーグル先生に聞いたんだ。ホームページにある開催地の住所を一言一句違わず入力して、ちゃんと確認したんだ。
確かに歩いている途中「やけに住宅地に近いな」とは思ったけど、天下のグーグルマップだからと安心して身を任せたのに。
見渡す限り、民家しかない。
どこをどう見ても講義が開催できるような公共の建物は見当たらない。
人類史上最大の発明、グーグルマップ。
鬼に金棒ならぬ、方向音痴にグーグルマップである。これさえあれば無敵だと思っていたのに。
ふとひらめく。
住所ではなく、建物の名前で再検索をかけてみる。
真夏の太陽が容赦なく照りつける中、僕の流す汗は冷え切っている。
検索終了。
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
アプリの地図が示す赤いマークは現在地から遠く離れた場所を指していた。
そう、僕は完全に反対方向に歩いてきてしまったのだ。
でもおかしい。施設の住所と名前、それぞれの検索で表示される地点がどうして異なるのか?
ホームページの住所が間違っていた可能性はあるが、今更考えても後の祭りである。方向音痴を理由にスマホに頼りすぎていたツケがこんな所で回ってこようとは!
現実逃避を始める脳みそを強引に引き戻す。
現実的な対処方法を求めて、頭がフルスロットルで回転し始める。
徒歩で向かうのは論外だ。30分以上遅れてしまう。
走って引き返しても確実に15分は遅れる。しかも汗だくになる。見ず知らずの人と治療手技の練習をするのに、それは出来るだけ避けたい。
となると、残る選択肢は一つしかない。
タクシーを探して周囲に血走った目を向ける。
「へいタクシー!!」
そう叫びたいのは山々だったが、早朝の住宅街に都合よく走っているはずもない。
まさに絶体絶命だった。
遅刻せずに会場にたどり着く方法が思い浮かばなかった。
こうなったら少しでも早く行動しなければ。
おとなしく腹をくくって走り出そうとした時だった。一台の乗用車がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
きっとその時の僕は正常な判断力を失っていたのだろう。
とにかく遅れたくない。その一心だった僕は、何を血迷ったか走りくる乗用車に向かって高々と手を挙げていた。
街中でのヒッチハイクである。
上手くいくなんてこれっぽっちも思っていなかった。逆の立場になって考えてみればわかる。僕だったら間違い無く無視するだろう。
だけど彼女は違った。
気が付くと、目の前に止まった車からは困惑顔の主婦が顔を覗かせていた。
僕は顔中に汗をかいて、なんとも情けない顔をしていたと思う。それが幸いしたのか、彼女の声はとても優しかった。
「どうかしましたか?」
「あの……○○ってこの先ですよね?」
「えーっと、そうですね」
「ぶしつけで申し訳ないんですが、そこまで乗せて行ってもらえないでしょうか?」
「え」
まことに図々しい限りである。
後部座席からは突然のヒッチハイカーに怪訝な目を向ける四つの小学生の目が覗いていた。
「この子たちを送っていった後ならいいですよ。これからサッカーの練習試合なんです」
「もちろん構いません! ありがとうございます」
まさに地獄に仏とはこの事だと思った。赤の他人の好意に身を持って触れた瞬間。日本もまだまだ捨てたものじゃない。
結局、講義には滑り込みセーフで間に合った。久しぶりに会った恩師に思わぬ笑い話として語る事が出来たのはひとえに彼女のおかげである。
親切な奥さんに何のお礼も出来なかった事がとても心苦しかった。
結局、ホームページに記載されていた施設の住所に誤りはなかった。
ただなぜか、住所で検索すると間違った場所が、施設名で検索すると正しい場所が表示される。
その理由は今もって謎のままだ。
文明の利器に頼るのは大いに結構。だけど、それに頼りきって自分の頭で考えるのを止めればそこで人の成長は止まってしまう。
くだんの事件の後、僕はグーグルマップの多用を控えるようになった。99%正解を弾き出すけれど、1%の間違いを生むこともあるからだ。
だけど、1%の間違いは決して無駄じゃない。
その間違いを許容することが人生を豊かにすることもあるのだ。僕が他人の温かみに触れたように。方向音痴を直そうと決意を新たにしたように。
そうだ、一つ目標を立てよう。
あの親切な奥さんのように、僕も街中でヒッチハイカーを見かけたら助手席を指してこう言うのだ。
「乗っていきますか?」
そして、ナビに頼らずに車を走らせる。
「大丈夫ですよ、地図は頭の中に入っていますから」
そう言って微笑むのが僕のささやかな夢だ。
《終わり》
***
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